第3章 魔女の館にて
石造りのアーチをくぐった先にあったのは、深い森の中にぽつんと建つ小さな館だった。
茨のような蔓草に覆われながらも、どこか威厳を感じさせる塔の形をしている。
マナとレイナは、黒衣の女性に導かれるまま館の中へ足を踏み入れた。
中は外観に似合わず広々としており、天井近くまで積まれた本棚と、不思議な紋様を刻んだランタンが灯っている。空気は乾いていながら甘い香草の匂いが混ざり、現実感が薄れるようだった。
「……ここ、なんだか絵本の中みたいね」
マナはきょろきょろと視線を走らせ、ぽつりと呟いた。
「魔女の家って感じだよな」
レイナは相棒の背中を軽く押しながら、奥の暖炉の前に促される。
女性は杖を振り、テーブルに不思議な光を帯びた水晶を置いた。水晶の中には霧のような揺らめきが広がり、二人の声を吸い取るように淡く光る。
「これを通せば……おそらく言葉は通じるはずよ」
女性は低く艶めいた声で告げた。
「え?ほんとに?」
マナは目を丸くする。
次の瞬間、頭の中に不思議な感覚が流れ込み、目の前の言葉が急に理解できるようになった。
「……あ、わかる。今、何て言ったか全部わかるわ」
レイナも頷き、「通訳機みたいなもんか」と肩を竦めた。
「それで――あなたたちはどうしてこの世界に?」
女性は腰かけ、深紅の瞳を細める。
「調査のために来たの。わたしたちの世界と繋がった“穴”を見つけて、封じる必要があるのよ」
マナは正直に答えた。
女性は少し驚いたように目を見開き、マナに視線を注ぎ続ける。
「……なるほど。けれどあなた、ただの人間じゃないわね」
「……な、何のこと?」
マナの胸がわずかに痛んだ。
「血の匂いよ。吸血鬼の残滓があなたから漂っているわ。懐かしい匂い……。ノクティリアに似ている」
「ノクティリア……?」
レイナが聞き返す。
「ええ。私の古い知り合い。あなたの中にあった“力”は、きっとあの子の欠片を使ったものじゃないかしら」
マナはぎゅっと拳を握る。
「……そう、ね」
女性はふっと微笑む。
「馴染みのよしみで、少し魔法を教えてあげるわ。あなたの身体は、どうやらこの世界の空気に適応できているみたいだから」
魔女の指先が宙に軌跡を描くと、空気の粒が光り、暖炉の炎が色を変えた。
「この世界の大気には魔素が満ちている。ここに住む者は、呼吸をするだけでそれを体内に取り込み、術として操れるの。あなたもやってごらんなさい」
マナは深呼吸し、言われるままに手を差し出した。
すると、掌に小さな光の粒が浮かび上がる。
「……すごい。わたし、魔法が使えるのね」
「それはこの世界にいる間だけよ。あなたの世界には魔素が存在しない。だから魔法は成立しないの」
レイナは腕を組み、どこか感心したように呟く。
「私は人工生命体だからか、魔法は使えなさそう」
女性はレイナを見て目を細める。
「なるほど。あなたもまた異質ね」
そしてマナに顔を寄せ、囁くように言った。
「けれど――あの子の残滓を纏うあなたと一緒にいたら、私は襲ってしまいそうだわ」
マナは思わず身を引き、顔を赤らめた。
「な、何それ、脅しかしら」
女性はくすくす笑い、机に地図を広げた。
***
羊皮紙に描かれた地図には、山や川、町や砦が細かく記されている。
レイナが腰の端末を取り出し、ボタンをタップする。
「よし、これで位置情報を照合……GPSがあるから現在地もバッチリ――」
「……ちょっと待って」
マナは目を細める。
「異世界でGPSなんて受信できるの?」
「……あれ?」
レイナが首をかしげ、端末の画面を見つめる。電波はどこからも来ていなかった。
「ほら、やっぱり。来てないじゃない」
「……」
「……」
沈黙のあと、マナは呆れたようにため息をつく。
「……バカ」
館の中に、小さな笑いが広がった。