第2章 異界の町と黒衣の魔女
岩壁に穿たれた洞窟を抜けた瞬間、視界が弾ける。
そこに広がっていたのは、地上のどこにも存在しない光景だった。
空は薄い紫色に霞み、双つの太陽がゆらめいている。足元の大地は黒曜石のように鈍く光り、風は乾いて金属の匂いを含んでいた。
ここが――“異世界”か。
「……また、とんでもないとこに放り込まれたわね」
マナは肩をすくめ、溜息をついた。
隣ではレイナが無言で環境データを計測している。手首の端末に映る数値を確認しながら、淡々と告げた。
「気圧は地球標準値に近い。酸素濃度も生存圏内。放射線量……問題なし。居住可能」
「なら少なくとも、呼吸困難で死ぬことはなさそうね」
マナは軽口を叩きつつも、腰の装備に手を添える。未知の空間では、何が敵となるかわからない。
***
二人は岩場を抜け、やがて人工物の影を見つけた。
丘の下に、町があった。
石造りの建物が並び、煙突からは白い煙が上がっている。街道を行き交う人々の姿もある。
それは確かに“人間の暮らし”を思わせる光景だった。
「……人間がいる、ってことか」
マナは小声でつぶやく。
ただし、その安心感はすぐに打ち砕かれることになる。
町の門前で警備の男に声をかけられた。
だが――何を言っているのか、まったくわからない。
「……え?」
マナはきょとんとした顔で固まる。
耳に入るのは、聞いたことのない発音の連続。どこかラテン語にも似ているが、違う。
こちらが日本語で答えても、当然通じるはずがない。
結局、やりとりは失敗し、怪訝そうな視線だけを向けられてしまった。
「……言語障害。翻訳不能」
レイナが端末を操作するが、機械翻訳すら追いつかない。
「言語データが存在しない。対応不可」
「うそでしょ……ここに来て言葉の壁とか、ほんとやめてほしいわ」
マナは頭をかき、どうしたものかと周囲を見渡す。
困り果てたその時――。
「……迷っているのかい?」
澄んだ女の声が耳を打った。
振り返ると、町の路地に佇む黒衣の女性がいた。
背丈はマナたちと変わらないが、長い黒髪を帽子に収め、肩からマントを羽織っている。その姿は、まるで絵本に出てくる“魔女”そのものだった。
そして不思議なことに、彼女の言葉だけは意味を理解できた。
「……あんた、こっちの言葉がわかるの?」
マナが警戒を込めて問いかける。
「わかる、というより……通じる、かしらね」
女は微笑んだ。どこか底知れない、しかし敵意のない笑み。
「言葉より先に、心の声を見せてごらん。そうすれば、なんとなく伝わるものよ」
彼女は身振りで「ついておいで」と示した。
マナとレイナは視線を交わす。無表情の相棒は、わずかに頷いた。
「……仕方ない。行くか」
マナは肩を落とし、魔女のような女性の後を追う。
二人は町を抜け、やがて木造の家にたどり着いた。
煙突から煙の立つその家は、どこか懐かしい香りを漂わせていた。
「ようこそ。ここが私の“家”よ」
黒衣の女性は扉を開け、二人を中へ招き入れる。