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保守貴族の妨害

さくらが主導する上下水道計画は、民衆の支持を得て、ついに国家プロジェクトとして始動した。しかし、その急進的な改革を快く思わない保守派貴族たちが、計画を頓挫させようと陰湿な妨害工作を開始する。予算の差し止め、資材の横流し、そして職人たちへの脅迫。度重なる妨害に計画は難航するが、さくらは知恵と、味方になった職人たちとの絆を武器に、この逆境に立ち向かう。

王都アストリアのスラム地区は、活気に満ちていた。槌音と、人々の威勢のいい声が響き渡る。相川さくらが立案した上下水道計画は、民衆自身の力強い後押しを受け、ついに本格的に始動したのだ。ガストン棟梁率いる職人たちだけでなく、多くの住民がボランティアとして参加し、自分たちの手で未来の生活基盤を築こうと、目を輝かせながら働いていた。

さくらは、王宮建築士の仕事の合間を縫って、毎日現場に足を運んだ。職人たちに図面の説明をし、住民たちに衛生管理の重要性を説く。泥にまみれ、汗を流しながら働く彼女の姿は、もはや「異邦の聖女」ではなく、民衆と共に歩む、頼れるリーダーそのものだった。

国王ユリウスもまた、この計画を全面的に支持していた。彼はさくらの革新的な発想と、民を惹きつける不思議な人柄に、この国の新しい時代の到来を予感していた。二人の間には、王と臣下という関係を超えた、固い信頼と、そして微かな恋慕のような感情が芽生え始めていた。

しかし、光が強ければ、影もまた濃くなる。

さくらの急進的な改革と、彼女に全幅の信頼を寄せるユリウスの姿勢を、快く思わない者たちがいた。古くからの権益を守ろうとする、保守派の貴族たちだ。

彼らの筆頭は、王国の財務を司る、オルデン大公。白髪をきっちりと撫でつけた、痩身の老人だが、その瞳の奥には、長年権力の中枢にいた者特有の、冷徹で計算高い光が宿っていた。彼は、伝統と秩序を何よりも重んじ、平民の、それも素性の知れない異世界の女が国政に影響を及ぼすことを、断じて許せなかった。

最初の妨害は、最も効果的で、そして陰湿な形で始まった。「予算」の差し止めだ。

オルデン大公は、自身が議長を務める貴族院の議会で、上下水道計画の予算執行に対し、「計画の杜撰ずさんさと、費用対効果の不透明さ」を理由に、再審議を要求。巧みな演説と根回しで、承認されていたはずの予算の大部分を凍結させてしまったのだ。


「そんな…!どうして、一度決まったことが覆るんですか!」


報告を受けたさくらは、ユリウスの前で声を荒らげた。


「オルデン大公だ。彼を中心とする保守派が、ついに実力行使に出てきた。議会の決定である以上、余も簡単には手出しができない」


ユリウスは、悔しそうに拳を握りしめた。

予算がなければ、資材が買えない。工事は、たちまち立ち行かなくなってしまう。現場には、失望と不安の空気が流れ始めた。

だが、さくらは諦めなかった。


「…わかりました。なければ、ないなりのやり方があります」


彼女は、ガストンたち職人と頭を突き合わせ、計画の見直しを行った。高価な鉛管の代わりに、安価で手に入る陶器製の土管を改良して使う。浄水場の構造を簡略化し、今ある資材でできる範囲の工事を優先する。それは、苦肉の策だったが、計画を完全に止めるよりは遥かにましだった。

しかし、保守派の妨害は、それだけでは終わらなかった。

次に彼らが狙ったのは、「資材」そのものだった。さくらたちが、限られた予算で何とかかき集めた陶管やレンガといった資材が、夜中のうちに何者かに盗まれたり、破壊されたりする事件が相次いだのだ。明らかに、計画を妨害するためのサボタージュだった。

犯人は、オルデン大公に雇われたゴロツキたちだろう。だが、彼らは決して尻尾を掴ませなかった。現場の士気は、目に見えて低下していった。


「くそっ…!これじゃ、埒があかねえ!いくら作っても、これじゃきりがないぜ!」


ガストンが、砕かれた土管の山を前に、怒りに声を震わせる。

さらに、妨害の手は、職人たち自身にも伸びてきた。

オルデン大公は、職人たちの多くが、貴族の屋敷の仕事も請け負っていることに目をつけた。彼は、さくらの計画に協力する職人に対し、今後一切、貴族からの仕事は回さない、と圧力をかけ始めたのだ。職人たちにとって、それは死活問題だった。日々の糧を失う恐怖に、計画から離脱していく者が、一人、また一人と現れ始めた。

現場は、かつての活気を失い、重苦しい空気に包まれた。さくらは、自分の力のなさに、唇を噛みしめることしかできなかった。自分の知識は、人を救うこともできるが、同時に、新たな争いを生み、人々を苦しめている。その事実に、彼女は深く傷ついていた。

その夜、さくらは一人、薄暗い設計室で、進まなくなった計画図を前に途方に暮れていた。

コンコン、と扉をノックする音がした。


「…ガストンさん…」


入ってきたのは、疲れた顔のガストンだった。彼の後ろには、まだ計画に残ってくれている、数人の年配の職人たちがいた。


「建築士殿、少し、いいかい」


ガストンは、さくらの向かいの椅子にどっかりと腰を下ろした。


「…俺たちは、馬鹿だからよ。貴族の旦那方みてえに、難しいことはわからねえ。だがな、あんたがやろうとしてることが、この街の、俺たちのガキや孫たちのための、正しいことだってことくれえは、わかるんだ」


彼は、ごつごつとした大きな手で、自分の膝を叩いた。


「仲間が減っちまったのは、正直、堪える。明日食う飯の心配をしなきゃならんのも、事実だ。だがよ、俺たちは職人だ。一度やると決めた仕事を、途中で放り出すなんて真似は、死んでもできねえ。それに…」


ガストンは、そこで初めて、悪戯っぽく笑った。


「あんたと一緒にやる仕事は、理屈抜きで、面白えんだよ。今まで、俺たちが考えもしなかったようなもんが、目の前で形になっていく。こんなワクワクする仕事、他にねえからな」


他の職人たちも、黙って力強く頷いている。

彼らの言葉に、さくらの瞳から、堪えていた涙が溢れ出た。自分は、一人じゃなかった。どんな逆境の中でも、信じてついてきてくれる仲間がいる。その事実が、打ちひしがれていた彼女の心を、再び奮い立たせた。


「…ありがとうございます…。私、諦めません」


さくらは、涙を拭うと、顔を上げた。その瞳には、もう迷いはなかった。


「オルデン大公が、正攻法で来ないというなら、こちらもやり方を変えるまでです」


翌日、さくらはユリウスに面会し、ある大胆な提案をした。


「陛下、大公たちが恐れているのは、計画そのものではありません。この計画によって、民衆が力を持ち、自分たちの権力が揺らぐことです。ならば、彼らが無視できない形で、この計画の『利益』を示して見せましょう」


さくらの計画は、こうだった。

上下水道の最初の敷設ルートを、スラム地区から、王都で最も地価の高い「貴族街」へと変更する、というものだった。


「貴族街もまた、先の地震で多くの井戸が使えなくなり、水の確保に苦労しているはずです。もし、彼らの屋敷に、蛇口をひねるだけで清浄な水が届くようになったら?彼らは、その快適さを、手放せるでしょうか?」


それは、敵の懐に、トロイの木馬を送り込むような作戦だった。快適さと利便性という「アメ」を使って、反対派の牙城を内側から切り崩すのだ。


「だが、それではスラムの民が後回しに…」


「いいえ。貴族街で成功モデルを作れば、計画の有用性が誰の目にも明らかになり、その後のスラム地区への展開は、むしろ加速するはずです。それに…」


さくらは、少し意地悪く笑った。

「工事には、熟練の職人が必要です。その職人たちは、今、誰の味方についているでしょう?」


ユリウスは、さくらの意図を理解し、思わず膝を打った。オルデン大公からの仕事を干されている職人たちにとって、貴族街での大規模工事は、またとない収入源となる。大公は、自分が脅したはずの職人たちが、自分の足元で、自分たちのための工事を始めるのを、ただ指をくわえて見ているしかなくなるのだ。

すぐに、計画変更の布告が出された。

案の定、オルデン大公は激怒したが、自分の屋敷に水道が引かれることを歓迎する貴族も多く、もはや計画に公然と反対できる空気ではなくなっていた。

逆境が生んだ、起死回生の一手。

さくらは、自らの知恵と、仲間との絆を武器に、巨大な権力の壁に、見事な一撃を打ち込んだ。

槌音は、今、貴族街に響き渡っている。それは、新しい時代の到来を告げる、産声のようでもあった。さくらの戦いは、まだ始まったばかりだ。


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