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都市を創る(スラムの上下水道計画)

復興が進む一方、スラム街では地震後の衛生環境悪化が深刻化していた。さくらは建築知識だけでなく、公衆衛生の観点から上下水道の敷設をユリウスに提案。それは、一人の建築士が、国全体のインフラ整備に関わる第一歩だった。

棟梁ガストン率いる職人たちという、頼もしい仲間を得たさくらの王城修復計画は、驚異的なスピードで進み始めた。さくらの描く合理的な設計図と、それを完璧な形で具現化する職人たちの熟練の技。二つが噛み合った時、それは単なる修復作業ではなく、未来を創る「建設」へと昇華された。

筋交いが入れられ、鉄材で補強された城壁は、以前の何倍もの強度を誇った。新しく打ち直された基礎は、大地にどっしりと根を張り、王城に絶対的な安定感をもたらしている。ユリウスや大臣たちは、日ごとに力強く生まれ変わっていく王城の姿に、感嘆の声を上げるばかりだった。さくらは、もはや「異邦の聖女」ではなく、この国に不可欠な「王宮建築士」として、確固たる地位を築きつつあった。

しかし、さくらの視線は、輝かしい王城の中だけには留まっていなかった。

ある日、彼女はユリウスに願い出て、身分を隠し、粗末な平民の服を着て城下町へと視察に出た。特に、先の地震で最も大きな被害を受けた、城壁の外側に広がるスラム地区へと。

そこで彼女が目にした光景は、想像を絶するものだった。

家々は倒壊したまま放置され、人々は粗末なテントや掘っ立て小屋で暮らしている。問題は、それだけではなかった。最も深刻だったのは、衛生環境の急激な悪化だった。

共同で使われていた井戸は、地震で崩れて瓦礫に埋まり、人々は泥の混じった水溜りの水を飲むしかなかった。生活排水や汚物は道端に垂れ流され、強烈な悪臭を放っている。そして、その不衛生な環境が原因で、赤痢やチフスといった感染症が蔓延し始めていた。特に、抵抗力の弱い子供やお年寄りが、次々と命を落としていた。


「…ひどい…」


さくらは、顔を青くして呟いた。建物の倒壊という直接的な被害よりも、その後に訪れる「二次災害」の方が、より多くの人々の命を静かに、そして確実に奪っていく。これは、現代日本の防災知識における、基本中の基本だった。

さくらは、城へ戻るなり、すぐにユリウスの執務室へと向かった。


「陛下!今すぐ、スラム地区の衛生環境改善に着手しなければ、手遅れになります!」


鬼気迫る表情のさくらに、ユリウスは驚いて顔を上げた。


「衛生環境…?確かに、病が流行っているという報告は受けている。薬師たちを派遣してはいるが…」


「薬では、根本的な解決にはなりません!問題の根源は『水』です!汚染された水を飲み、不衛生な環境で暮らしている限り、病はなくなりません!」


さくらは、羊皮紙の上に、淀みない動きで図面を描き始めた。それは、城の建築図とは全く異なる、都市の断面図だった。


「これは、私の故郷では『上下水道』と呼ばれているものです」


彼女が描いたのは、清浄な水源から各家庭へ安全な水を供給する「上水道」の管と、各家庭から出た汚水を衛生的に処理場まで運ぶ「下水道」の管が、網の目のように都市の地下を走る、壮大なインフラ計画だった。


「まず、街の北にある清流から水を引き込み、濾過ろかと浄化を行う『浄水場』を建設します。そこから、陶器や鉛で作った水道管を地下に埋設し、街の各所に共同で使える『給水栓』を設置するのです。人々は、いつでも清潔な水を手に入れることができるようになります」


さらに、さくらはもう一枚の図面を描く。


「同時に、各家庭や道路の側溝から出る汚水を集め、地下の下水管へと流します。そして、集められた汚水は、街の外れに作る『処理場』で微生物の力を利用して浄化し、無害な水として川へ戻すのです。これにより、街から汚物と悪臭が一掃され、感染症の発生を劇的に抑えることができます」


その計画の壮大さと合理性に、ユリウスは言葉を失った。彼は聡明な王だったが、その発想は、あくまで「問題が起きてから対処する」というものだった。病人が出れば薬師を送る。家が壊れれば食料を配給する。しかし、さくらの提案は、そもそも「問題が起きない社会基盤インフラ」を創り出すという、全く次元の違うものだったのだ。


「…素晴らしい…。だが、さくら。これほどの計画、実現するには莫大な費用と時間、そして労働力が必要になる。今の王国の財政では…」


懸念を示すユリウスに、さくらはきっぱりと答えた。


「費用対効果は、計り知れません。一時的な支出は大きいですが、これにより民の健康が保たれれば、労働力は向上し、税収も増えます。医療費も削減できる。これは、未来の王国への、最も確実な『投資』です!」


さくらの瞳には、絶対的な確信が宿っていた。それは、何百年という時間をかけて公衆衛生を発展させてきた、人類の歴史そのものに裏打ちされた自信だった。

ユリウスは、決断した。


「…わかった。君に、全てを任せる。王家の財産を切り崩してでも、この計画を断行しよう」


しかし、この壮大な計画にも、やはり「壁」が立ちはだかった。保守派の貴族たちだ。


「スラムの連中のために、なぜ我々の税金を使わねばならんのだ!」


「得体の知れない異邦人の戯言に、陛下は誑かされておられる!」


「そんな無駄な土木工事に金をかけるくらいなら、軍備を増強すべきだ!」


貴族たちの猛反発を受け、計画の予算は議会で凍結されてしまった。

さくらは再び壁にぶつかった。だが、彼女はもう一人ではなかった。


「建築士殿、面白いことを考えてるじゃねえか」


さくらが頭を抱えている設計室に、棟梁のガストンが顔を出した。彼の後ろには、腕利きの職人たちが何人も控えている。


「貴族の旦那方が、金を出さねえって?けち臭えこった。だがよ、金がなくたって、俺たちには腕がある」


ガストンは、さくらの描いた上下水道の図面を、興味深そうに眺めていた。


「なあ、建築士殿。この『すいどうかん』ってやつ、本当に泥水が綺麗な飲み水になるのか?」


「はい。濾過槽を通せば…」


「面白え!やってみようぜ!」


職人たちは、好奇心と職人魂に火をつけられていた。彼らは、さくらのもとで働くうちに、新しい技術や知識を学ぶことの面白さを知っていたのだ。

ガストンの提案で、彼らはまず、自分たちが暮らす地区で、小さなモデルプラントを作ることにした。予算がないなら、廃材やありあわせの材料を使う。労働力は、自分たち自身だ。

彼らは数週間かけて、さくらの指導のもと、見様見真似で小さな浄水施設と、数メートルの水道管を完成させた。

そして、公開実験の日。

泥水が、砂と砂利、そして炭の層でできた濾過槽を通り、管の先から、透明な水がちょろちょろと流れ出してきた。

それを見たスラムの住民たちは、初めは恐る恐る、やがて先を争うようにその水を飲んだ。


「うまい…!ただの、水の味がする!」


「腹も痛くならねえ!」


その光景を見ていた、計画に反対していた貴族の一人が、思わず呟いた。


「…ばかな…。魔法でもないのに、こんなことが…」


この小さな成功は、大きな波紋を呼んだ。住民たちは、自分たちの手で生活を改善できることを知り、こぞって計画への協力を申し出た。貴族たちの中からも、計画の重要性を理解し、私財を投じて支援する者たちが現れ始めた。民衆が、そして一部の良識ある貴族たちが、頑なな議会を動かしたのだ。

凍結されていた予算が、ついに承認された。

さくらがたった一人で始めた計画は、今や、王国の民全体を巻き込む、巨大な国家プロジェクトへと発展していた。

それは、一人の建築士が、単なる建物を超え、都市を、そして国の未来そのものを創り始めた、歴史的な一歩だった。さくらは、丘の上から槌音の響き始めたスラム街を見下ろし、この仕事の持つ、途方もない責任とやりがいを、改めて実感していた。


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