職人たちの壁と耐震実験
さくらの提案する「耐震構造」は、伝統を重んじる職人たちの猛反発にあう。特に頑固な棟梁・ガストンとは犬猿の仲に。さくらは言葉ではなく事実で示すため、模型を使った公開耐震実験を行い、職人たちの度肝を抜く。
「王宮建築士」という、前代未聞の地位に就いた相川さくらの最初の仕事は、壁にぶつかることから始まった。それも、物理的な石壁ではなく、もっと分厚くて頑固な、「伝統」と「プライド」という名の壁だった。
国王ユリウスの絶対的な後ろ盾を得て、さくらは王城の修復と耐震補強計画の指揮を執ることになった。しかし、いざ現場で働く王宮お抱えの石工や大工といった職人たちに計画を説明すると、彼らはあからさまに不信と侮蔑の表情を浮かべた。
「筋交い?なんだ、そのひょろっとした木の棒は」
「柱と梁の間に、こんな斜めの材を入れたら、見栄えが悪くなるだけだろうが」
「そもそも、女の、それもどこから来たかもわからん小娘の指図など、聞けるか!」
職人たちの不満は、一人の男の元に集約されていた。その男は、職人たちを取りまとめる棟梁、ガストン。熊のように巨大な体躯に、岩のような頑固さを宿した顔。日に焼けた腕は丸太のように太く、その腕一本で、この国の石造建築の歴史を何十年も支えてきたという、生ける伝説のような人物だった。
ガストンは、さくらが持ってきた耐震構造の図面を一瞥すると、鼻で笑ってそれを横に押しやった。
「お嬢ちゃん、これは遊びじゃない。俺たちは、先祖代々受け継がれてきた工法で、この国の全てを建ててきたんだ。地震なんぞは、大地の女神様のご機嫌次第。神の御業に、人間が小細工で抗おうなど、おこがましいとは思わんのかね」
彼の言葉は、この世界の職人たちの総意だった。彼らにとって、さくらの「科学的な」建築理論は、自分たちの経験と誇り、そして信仰さえも否定する「異端」の思想に他ならなかった。
さくらは、言葉だけで彼らを説得するのが不可能だと悟った。日本でも、新しい工法を導入する際には、必ず古いやり方に固執する職人との衝突があった。だが、ここは異世界。自分には実績も信用もない。
「…わかりました、棟梁。でしたら、一つ、提案があります」
さくらは、数日間、設計室に籠った。そして、数枚の新しい図面と、奇妙な指示書をユリウスに提出した。
「陛下、どうか私に、広場の一角と、同じ大きさの角材と石材をそれぞれ二組、そして数人の職人をお貸しください」
ユリウスはさくらの意図を察し、二つ返事でそれを許可した。
数日後、王城の中庭にある広場に、多くの人々が集まっていた。ユリウスや大臣たち、そして仕事を中断させられて不満顔のガストンと職人たち。皆が見つめる中、広場には二つの、全く同じ大きさの小さな家のような構造物が建てられていた。一つは、ガストンたちがいつも通りに建てた、伝統的な石積みの家。そしてもう一つは、さくらの指示通りに、柱の間に「筋交い」を入れ、基礎部分に特殊な工夫を凝らした家だった。
「これから、皆様に見ていただきます。私の故郷で『耐震実験』と呼ばれているものです」
さくらはそう宣言すると、二つの家の土台となっている大きな板の両端に、太いロープを結びつけた二頭の馬を待機させた。
「今から、この二つの家を、馬の力で左右に揺らします。これは、地震の横揺れを再現したものです。ガストン棟梁、あなたの建てた家は、この揺れに耐えられると思いますか?」
ガストンは、ふんと鼻を鳴らした。
「当たり前だ。俺たちの技術は、伊達じゃない」
「では、始めます!」
さくらの合図で、御者が馬に鞭を入れた。二頭の馬が、ぐい、とロープを引く。二つの家が乗った土台が、ガタン、と音を立てて横に揺さぶられた。
一度、二度。揺れが繰り返される。
初めのうちは、どちらの家にも大きな変化はなかった。職人たちの間から、「ほら見ろ」「やっぱりな」という声が漏れ始める。
しかし、揺れが五回、六回と繰り返された時だった。
ミシッ、と嫌な音が響いた。ガストンが建てた伝統工法の家からだ。石と石の間の漆喰に亀裂が走り、壁が目に見えて歪み始めている。
「なっ…!?」
ガストンの顔色が変わる。
揺れが十回を超えた頃、ついにその時が来た。
ガラガラガッシャーン!!!
轟音と共に、ガストンの家は、まるで積み木の城が崩れるように、あっけなく倒壊した。舞い上がる土埃の中、残ったのは無残な瓦礫の山だけだった。
広場は、水を打ったように静まり返った。誰もが、信じられないものを見たという顔で、瓦礫の山と、その隣で何事もなかったかのように佇むもう一つの家を、交互に見比べている。
さくらの家は、揺れを受けてしなるように動きながらも、その構造を一切崩していなかった。柱の間に斜めに入った「筋交い」が、横からの力を効果的に分散させ、建物の倒壊を防いでいたのだ。
「これが、『構造』の力です」
さくらは、呆然とする職人たちに向かって、静かに、しかしはっきりと告げた。
「皆さんの技術や経験は、素晴らしいものです。石を積み、木を組むその腕は、私には到底真似できません。私は、皆さんの技術を否定したいわけじゃない。ただ、その素晴らしい技術に、私の世界の『知識』を加えさせてほしいのです。力を合わせれば、私たちはもっと強く、もっと安全なものを、この国に作ることができるはずです」
彼女の言葉に、嘘はなかった。それは、同じ「ものづくり」に携わる人間としての、心からの敬意と願いだった。
ガストンは、崩れ落ちた自分の家の瓦礫と、凛として立つさくらの家を、言葉もなく見つめていた。彼の顔には、もはや侮蔑の色はなかった。長年培ってきた自負とプライドが、目の前で揺るぎない「事実」によって粉々に砕かれたのだ。
やがて彼は、ゆっくりとさくらの前に進み出ると、その巨大な身体を折り曲げ、深く、深く頭を下げた。
「…王宮建築士殿。俺たちの、負けだ。どうか、あんたの知識を、俺たちに教えてくれ」
その言葉を皮切りに、他の職人たちも、一人、また一人と頭を下げていった。それは、異邦の女性建築士が、この国で最も頑固な職人たちの心を動かし、真の「仲間」を得た瞬間だった。
さくらは、胸に込み上げてくる熱いものを感じながら、しっかりと頷いた。
「はい、もちろんです。一緒に、この国を建て直しましょう」
革命は、いつも小さな実験から始まる。さくらが起こした小さな革命は、これから王都アストリアの景色を、そして未来を、大きく変えていくことになるだろう。