小学校編・第2章「仲間と敵と、試合の意味」
「おっはよーっ、たかし!」
朝練に向かう途中、公園脇の道で声をかけてきたのは、ファイターズのキャプテン・高村蓮だった。
爽やかな朝の空気の中、彼の明るさはいつも眩しい。俺が転生後に初めてできた“本当の友達”かもしれない。
「おはよう、蓮。今日も朝練?」
「うん! 明後日、春の練習試合あるだろ? 対戦相手、ちょっとヤバいらしいよ」
「……ヤバいって、どのくらい?」
「なんか、全国準優勝チームのレギュラーが移籍してきたらしくてさ」
その言葉に、胸がざわついた。
小学生の全国大会──確かに、あのレベルになってくると一球の重みが違ってくる。
「たかしが入ってから、マジでチームの雰囲気変わったよ」
「……俺はまだ“見習い”だよ。一球投げただけだしな」
そう言ったけど、自分でもその言葉に嘘が混じってるのは分かっていた。
《百発百中》は、間違いなく“ズルい力”だ。俺ひとりだけ、言霊という裏技を持っている。
この力に“溺れない”こと。
今の俺が一番意識しなきゃいけないことだった。
* * *
グラウンドに着くと、ファイターズのメンバーたちが次々と集まってきた。
その中に、あまり馴染みのない顔が一人いた。
「おい、たかし! こいつ紹介しとく!」
篠田が肩を組んできたのは、小柄で眼鏡をかけた少年。人懐っこい笑みを浮かべていた。
「はじめまして! 保科匠です。ポジションはキャッチャー!」
「え、蓮がキャッチャーじゃなかったの?」
「元々ね。でもこいつ、リードと読みがヤバいんだって。春から正捕手候補で合流したって話」
保科は笑いながらペコリと頭を下げた。
「俺、野球センスとかはないんで……頭使うほう専門です」
蓮が後ろから口を挟む。
「“野球脳おばけ”って呼ばれてるんだよ。たかしの球、受けてもらおうか」
保科がミットを構える。
目の奥が、ただの小学生とは思えないほど冷静で、冴えていた。
(……こいつなら)
思い切って、球を投げた。
──ズバン。
ミットが心地よい音を立てて鳴った。
「……これが“百発百中”ってやつか……」
「な、なんで知ってる?」
「いや、冗談。マジで狙った通り来たんで、つい言っちゃっただけ」
保科の笑みは底が読めなかった。でも、不思議と嫌な感じはしない。
この世界で、“言霊”の存在を本能的に察知する者がいても不思議じゃない。
* * *
そして、いよいよ──春の練習試合当日。
相手は市内でもトップクラスの「川越ビクトリーズ」。
その中でも注目されていたのが、転校してきたというスラッガー、城之内 翼。
バッティングフォームの構えがすでに小学生のそれではなかった。
身長も大きく、打席での佇まいは堂々としている。
(初回。先頭。対・城之内)
俺はマウンドで、心の中に静かに言霊を唱えた。
──《百発百中》
風が吹いた。呼吸が整う。狙ったところへ、吸い込まれるようにボールが走る。
第一球。アウトロー、ストライク。
第二球。インロー、ファウル。
「いいぞ、たかしー!」
ベンチの声が飛ぶ。……が、城之内の目が笑っていた。
──第三球。
俺は、インハイに変化球を投げた。
──カキィィン!!
鈍く、重たい打球音。打球は、まるで弾丸のようにレフトへ飛んでいった。
「レフト! ……うわ、超えたっ!」
歓声と悲鳴が交錯する中、ボールは防球ネットを超えて飛び去った。
──ソロホームラン。
《百発百中》をもってしても、打ち取れなかった。
しかも、狙い通りに投げた球を、完全に“読まれていた”。
(……通用しないのか)
初めて感じる、言霊の“限界”。
* * *
ベンチに戻ると、保科が静かに言った。
「スゴい球だったよ。でも、あの打者は“スゴい球を待ってた”」
「……打たれたのは、俺の責任だ」
「違うよ。“一球で終わらせた”からだ。これからは“一球入魂”じゃなくて“全打席入魂”が必要だよ」
保科のその言葉に、心が震えた。
まるで、言霊そのものが宿っているような──そんな言葉だった。
* * *
試合はその後、互角の展開が続いた。俺はマウンドに立ち続け、四苦八苦しながら投げた。
そして気づいた。
力じゃない。技術でもない。
勝負を分けるのは、“心”だ。
そのとき、俺の中に新たな言葉が芽吹いた。
──《一球入魂》
その言葉が、体の奥に熱く宿る感覚。
この一球に、心を込める。もう一度だけ、投げよう。
──《一球入魂》
心の奥から浮かび上がるように、その言葉は現れた。
今までの《百発百中》とは違う。単にコントロールを操る力ではない。
目の前の打者ひとりに、球ひとつに、魂を注ぎ込む。
その感覚は、たしかに「球が変わる」感覚だった。
次の回、相手の四番が打席に立ったとき。
俺は、マウンド上で深呼吸し、心の中で言葉を紡ぐ。
(この一球を、俺のすべてで)
握ったボールが、ぬくもりを持って答える。
振りかぶり──
投げた。
ズバンッ!!
ミットが大きく鳴る。打者はバットを振ることさえできず、立ち尽くしていた。
「……見逃し三振!」
審判役のコーチの声が響く。ベンチの蓮と篠田がガッツポーズした。
「やったぁ!! 今の、マジすげぇ!」
保科がマスク越しに振り向いて、ニヤリと笑った。
「たかし……今の球、ヤバかったよ」
「……自分でも、ちょっと驚いてる」
《一球入魂》は、特別な力だった。
ただの言霊じゃない。“心”そのものが球に宿る、そんな感覚。
このとき、俺は初めて気づいたんだ。
──言霊は、単なるスキルじゃない。
──“今の俺”が、どう生きて、どう戦いたいか。それが言葉に宿って、形になるんだ。
* * *
試合は後半、互いに得点を奪い合う展開になっていった。
相手チームのエースは緩急の使い方がうまく、ファイターズ打線はなかなか崩せない。
一方こちらは、俺が投げ続けることでなんとか試合を繋いでいた。
(やっぱり、スタミナがキツい……)
小学生の身体では、完投はかなり厳しい。
しかも、ここまでフルパワーで投げてきたせいで、肩にじんわり痛みが走っていた。
「なぁ、交代する?」
保科が静かに聞いてくる。
「……いや、もう一回だけ、任せてほしい」
「……わかった。じゃあ、俺も覚悟決めてリードするよ」
最後のイニング、同点で迎えた守備。
マウンドに立つと、相手ベンチから聞こえてきた声がふと耳に入った。
「さっきのホームラン打ったヤツ、次の打席で決めろよ!」
──城之内、再び。
* * *
汗が滲む。息が苦しい。
でも──この瞬間のために、俺は転生したのかもしれない。
再び対峙した、あの男。
構えが、微動だにしない。
打つことを、完全に“決めている”顔だ。
保科のサインは、インコース高めのストレート。
(よし……魂、込める)
俺は、投げた。
城之内の目が、光った。
──カキィィン!!!
ボールが、大きな弧を描いて外野へ──!
「センターーーッ!」
蓮が全力で追う。影を切るように、走る。走る。走る──!
そして──
「取ったぁぁああっ!!」
蓮が倒れ込みながらもグラブを高く掲げていた。
「チェンジ!!」
試合終了。引き分け。
勝てはしなかった。でも、確かに戦えた。
俺の中で、なにかが静かに芽吹いていた。
* * *
試合後、ベンチでひとり、水筒を飲みながら空を見上げた。
疲労感。充実感。そして──悔しさ。
「勝ちたかったなぁ……」
「でも、あれだけやれれば充分だよ」
隣に座った保科が言う。
「次の試合、たかしはもっと強くなる」
その言葉に、心が震えた。保科の言葉って、なんでこんなに響くんだろう。
(もっと強く──か)
その瞬間、言葉がまた、胸の奥に浮かび上がった。
──《臥薪嘗胆》
じん、と火がともるような感覚。
次にまた戦うとき、きっとこの言霊が力になる。
(俺はもっと、もっと強くなりたい)
* * *
家に帰ると、夕食の食卓に家族が揃っていた。
弟の優翔は「たかしおかえりー!」と駆け寄ってきて、俺の腕にぶら下がった。
「試合、どうだった?」
「引き分け。でも、いい試合だったよ」
「たかし、すっげぇ!」
母さんが笑っている。父さんも「お疲れさん」とねぎらってくれる。
この“家族”にも、俺はいつかちゃんと、全部を話したくなる日がくるんだろうか。
(でも、今はまだ──)
口に出さず、俺はただ黙って箸を動かした。
──この世界で、俺はもう一度、夢を追うんだ。