9,クラス委員の忠告とホームルーム後に起こったこと
「趣きのあるいい名前ですね。ああ、私は朽木一朗といいます。
朽ちた木だなんて! しかも一朗とは、個性もセンスのかけらもない名前だ」
口ではそう言いながら、朽木先生は楽しそうに話す。教室中を見回しながら、まるで舞台俳優のようだ。
「さて、それでは授業を始めましょうか」
ちょっと芝居がかっているけれど、面白い先生。国語の授業は好きになれそうだ……。
そう思いながら、葉菜は教科書を広げた。
滞りなく午前中の授業を終え、昼休みになった。昼食は、持参の弁当を食べるか、構内のカフェテリアで食べることになっている。
通学生は、多くの人が弁当を持って来ているようだが、寮生の葉菜は、一人カフェテリアに向かう。人の流れに沿って歩いていると、後ろから声をかけられた。
「三丘さん」
振り向くと、髪をうなじで一つにまとめた真面目そうな雰囲気の女の子がこちらを見ている。
「私、クラス委員の結城よ」
「あっ、はい」
結城は、横に並ぶと、前を見たまま歩きながら話しかけて来る。
「あなた、気を付けたほうがいいわ」
「え?」
「クラス委員として忠告しておくわ。表立っては言えないけど、うちのクラスは河合さんが牛耳っているの」
「河合さん?」
そう言われても、どれが誰なのか、まだ名前も顔もわからない。
「窓際の一番後ろの席の人よ。彼女の父親、地元の有力者で、学院にも多額の献金をしているとかで、彼女も女王のように君臨しているってわけ。
あの人に目をつけられると面倒なことになるわよ」
献金なら、姉の姑となる人もしていると聞いたけれど、目をつけられるとはどういうことだろう。そう思っていると、結城が言った。
「あなた、朽木先生に気に入られたみたいじゃない?」
「そんなことは……」
ただ単に、転校生だから話しかけられただけだと思うが。だが、結城はさらに言う。
「あなたはピンと来ないかもしれないけど、この学校には男性教師は数えるほどしかいないし、そのほとんどがおじさんなの。朽木先生、この学校では一番若くて、見た目もまあまあだし、生徒には人気があるのよ。
ご多分にもれず、河合さんもご執心なの。さっきのあれはまずかったわねえ」
「でも私は……」
「わかってるわ。あなたにはなんの落ち度もないけど、このクラスで穏便に過ごしたいと思ったら、河合さんの逆鱗に触れないように気をつけることね」
戸惑っているうちに、結城はくるりと踵を返し、小走りになって、去って行ってしまった。
カフェテリアの入り口に、郁美が立っていた。手を振って近づいて来ながら言う。
「来るのを待ってたんだよ。あっちにクラスの友達がいるから一緒に食べよう」
「あ……うん」
「どうかした?」
「ううん」
葉菜は首を横に振る。郁美が、葉菜の腕を取って行った。
「行こう。お腹空いちゃった」
郁美のクラスメイト三人を紹介されて、昼食は彼女たちと一緒に食べた。みんな葉菜に優しくしてくれた。
彼女たちと廊下で別れ、教室に戻った葉菜は、思わず河合を探す。結城に言われた、窓際の一番後ろの席に目をやると、ポニーテールの子が席に座り、周りにいる数人が、彼女におもねるように話しかけている。
おそらく、ポニーテールが河合だろう。きれいな子だけれど、つんと澄ましていて、いかにも気が強そうに見える。
もちろん、それは葉菜の主観でしかないが、地元の有力者の娘と聞いて、なるほどと思うような雰囲気をまとっている。
見つめていると、不意に彼女がこちらを向いて、目が合った。数秒、冷たい目で葉菜をじっと見つめた後、河合は、ゆっくりと前を向いた。
それは、帰りのホームルームが終わった後に起こった。
ようやく、長いような短いような、緊張の転校第一日目が終わった。そう思い、ほっとして、机の中の教科書とノートをロッカーにしまおうとしたのだが。
葉菜は、何度も引き出しの中を見て、教科書とノートを数えて確かめる。授業の後、たしかに入れたはずの国語の教科書だけがないのだ。