8,男性教師と葉菜の名前
郁美が、楽しそうに笑う。
「じゃあ、私は葉菜ちゃんって呼ぶね」
「……うん」
今まで、こういうやりとりをしたことがなかったので、なんだか照れくさいが、悪い気はしない。
郁美に案内されて、職員室に向かう。まだ下足入れの場所が決まっていないので、片手に通学カバン、片手にローファーを提げて廊下を進む。
なんだかドキドキして来た。
「ここだよ」
郁美が、先に立って引き戸を開けて、声をかける。
「失礼します」
すると、そばを通りかかった中年の女性教師が、立ち止まってこちらに寄って来た。
「何かご用かしら」
「転校生の三丘さんを連れて来ました」
こちらを見た教師に、葉菜はぺこりと頭を下げる。
「ああ、聞いているわ」
教師は、奥に向かって声を張り上げた。
「吉尾先生。……吉尾先生、転校生の三丘さんでーす!」
それを聞いた郁美が、がっかりしたようにつぶやいた。
「なんだ、吉尾先生のクラスか。残念、私とは別だわ」
「そう……」
「私はA組、吉尾先生はB組よ。それじゃ、私はこれで」
「あっ、どうもありがとう」
「じゃあ、また後でね」
笑顔で手を振って、郁美は去って行った。
緊張しながら待っていると、ショートヘアに眼鏡の若い女性教師がやって来た。女子高だからか、見たところ、職員室にいるのは、ほとんどが女性教師のようだ。
「お待たせ。担任の吉尾彩子です。よろしくね」
笑顔でそう言って、右手を差し出す。
「あっ、三丘葉菜です。よろしくお願いします」
持っていたカバンを、あわててローファーを持った腕で抱え、おずおずと差し出した手を握ると、吉尾先生は力強く握り返して来た。
昨日の食堂の二倍はいそうな生徒たちの視線が、教壇の横に立つ葉菜に集まっている。震える両手を握りしめながら、葉菜は自己紹介をする。
「三丘葉菜です。家庭の事情で転校してきました。よろしくお願いします」
二度目なので、昨日よりはちゃんと話せた気がするが。横から吉尾先生が言う。
「三丘さんは、清心寮に入ったのよね」
「はい」
「あいにく、このクラスに寮生はいないけれど、みなさん、仲良くしてあげてくださいね。三丘さん、わからないことがあったら、遠慮なく私やみんなに聞いてね」
「はい」
どうやら寮生は、全校生徒の中の、ごく少数らしい。それで寮生同士は、より連帯感のようなものが深まって、親しくしているのかもしれない。
寮とは違い、クラスでは、ホームルームが終わっても、話しかけて来る者はいなかった。だが、前の学校でもそうだったので、特に寂しさは感じない。
一時間目の授業は国語だ。理数系も、地理や歴史もさっぱりだけれど、国語ならばなんとかなりそうな気がする。
そう思いながら、机の上に真新しい教科書とノートを並べる。ぺらぺらと教科書のページをめくって見ていると、始業のチャイムが鳴り始めた。
チャイムが鳴り終わるのとほぼ同時に、前方の引き戸が開いて、教師が入って来た。女性教師ばかりなのかと思っていたら、三十代くらいの男性教師だ。
「起立」
誰かが号令をかけ、みんなが立ち上がったので、葉菜もそれに倣う。
「礼。着席」
席に着くと、さっそく教師が口を開いた。
「みなさんおはよう」
生徒たちは、口々に「おはようございます」と答える。葉菜も、口の中でもごもごと言っていると、教師が葉菜に目を留めた。
「転校生の三丘、葉菜さん」
名簿を見てから、再び葉菜の顔に目を戻す。
「きれいな名前ですね。葉っぱの『葉』に菜の花の『菜』で『はな』と読ませるとは、なかなかしゃれている」
「はあ……」
自分では、葉っぱの「葉」に菜っ葉の「菜」だと思っていて、たしか父が付けたと聞いたはずだが、ずいぶんひどい名前だと思っている。
「はな」なのに、花に関わる文字が入っていない。姉は実花で、実りの「実」も「花」もあるきれいな名前なのに。
そのせいで、姉は見た目もきれいだけれど、自分はぱっとしないのだと思っていた。だが、教師は微笑みながら言った。