4,帰って来ないルームメイトと自己紹介
「そんな顔しないの。私は榎戸さんにご挨拶してから帰るから」
思わずその手を掴むと、姉は困ったような笑みを浮かべながら、二人に向かって言った。
「まだまだ子供で。いろいろ至らないこともあると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
見海が答える。
「一年生だし、一人だけ途中から入るのは不安ですよね」
下まで行って、タクシーが来るまで一緒に待つと言ったのだが、そんなことはいいから、みなさんに失礼のないように、早く寮や学校に慣れるようにねと言って、姉は部屋を出て行ってしまった。
涙を拭っていると、今まで黙っていた瑠衣が、声をかけて来た。
「どうして今頃転入することになったの?」
葉菜は、机の前の椅子をこちらに向けて座っている彼女を見る。
「お姉ちゃんが、結婚することになって」
瑠衣は、目を見開いて言う。
「どうしてお姉さんが結婚すると、あなたが転校することになるの?」
「ええと……」
見海が苦笑する。
「困っているじゃない」
「あっ、いえ、私とお姉ちゃんは二人暮らしで、お姉ちゃんがお嫁に行くと、私が一人暮らしになっちゃうから」
「ああ、一人暮らしは心配だから、ここの寮に入るっていうこと?」
見海の言葉に、瑠衣が言った。
「寮に入るために転校するなんて、順序が逆じゃない? まあ、見るからに一人暮らしは無理そうだけど」
「瑠衣ちゃん……」
見海は、瑠衣をたしなめてから、葉菜に微笑みかけた。
「でも、急に環境が変わって大変だよね」
「はい……」
葉菜は、再び泣きたい気持ちになる。私だって、好きでここに来たわけじゃないのに。
話しているうちに、いつの間にか薄暗くなり、見海が電気を点けた。姉はもう帰ってしまったのだろうと思い、胸に寂しさがこみ上げる。
「淳奈、帰って来ないね」
「どうせまたデートでしょう」
話している二人の顔を代わるがわる見ていると、見海が、葉菜に言った。
「もう一人のルームメイトのことよ。二年生の」
「男のことしか頭にない子。てか淫乱?」
瑠衣の言葉に、城山が顔をしかめる。
「やめなさいったら」
結局、淳奈と呼ばれたルームメイトは帰って来ず、夕食の時間になったので、三人で一階の食堂に向かった。階段を下りながら、瑠衣が葉菜に向かって言う。
「門限は八時なんだけど、淳奈が帰って来るのは、たいてい門限ギリギリね。ホントにあの子、男と遊ぶのに忙しいのよ」
「はあ……」
いかにも忌々しそうな言い方に、葉菜は思う。どうやら瑠衣は、彼女のことが好きではないらしい。
食堂に入って行くと、すでに集まっている生徒たちの視線が集中し、葉菜はうつむきながら二人の後に続く。見海が言う。
「席は自由なんだけど、みんなだいたい決まっていて、私たちは、いつもここよ」
見海が指したテーブルの横を通り過ぎながら、瑠衣が言う。
「あそこのカウンターに並んで料理をもらうの。それで、だいたいみんなが揃ったところで『いただきます』をするのよ」
「はい……」
みんなが料理の載ったトレイを手に席に着いたところで、榎戸が、カウンターの向こうから出て来て言った。
「みなさんに、今日、新しく入った方を紹介します。三丘さん、立って」
声をかけられ、葉菜は、椅子をガタガタさせながら、あわてて立ち上がる。
「みなさんに自己紹介をしてください」
「あっ、はい。ええと、三丘葉菜です。ええと……」
二十人ほどの寮生たちが、顔を上げて葉菜を見ている。口ごもっていると、榎戸が助け舟を出してくれた。
「三丘さんは一年生で、家庭の事情で、転校とともに、ここに入ることになったのよね」
「はい……」
「慣れないことも多いと思うから、みなさんサポートしてあげてくださいね」
榎戸が微笑みかけて来たので、葉菜はぺこりと頭を下げる。
「よろしくお願いします」
パチパチと、まばらな拍手が起こった。