35,玉子の入ったお粥とうろ覚えの電話番号
どのくらいの間、眠っていたのかはわからない。物音に、ふと目を開けると、佑紀乃が部屋に入って来たところだった。
「葉菜ちゃん、目が覚めたのね?」
ベッドに近づいて来た佑紀乃が、葉菜の額に手のひらを当てる。
「よかった。熱は下がったみたい」
そう言いながら、葉菜の髪をそっと撫でる佑紀乃に問いかける。
「あの、ここは?」
佑紀乃が微笑む。
「私の家よ。ここはゲストルームなの」
「私、どうして……」
「葉菜ちゃん、ガゼボで倒れていたのよ。ひどい熱で」
「……ガゼボ?」
「ああ、庭のあずま屋のことよ」
そういえば、もう一度玄関に向かおうとして、立ち上がったところで、何もわからなくなったのだった。
だんだん記憶がよみがえって来る。葉菜は、小火の起きた寮から逃げ出してここに来たのだった。はっとして、飛び起きる。
佑紀乃があわてたように言う。
「急に起きちゃ駄目よ」
だが、今はそんなことにかまっていられない。
「今何時ですか? どうしよう、私……」
今頃、寮では騒ぎになっていることだろう。それに、学校でも。
すると、佑紀乃が言った。
「大丈夫よ。寮に電話して、葉菜ちゃんがここにいることは伝えてあるから」
「昨日、ここから帰ったら、寮に消防車が来ていて」
「ええ、聞いたわ。葉菜ちゃんたちの部屋で小火があったんですってね」
「私じゃないんです!」
佑紀乃はうんうんとうなずく。
「わかっているわ。小火が起きたのは、葉菜ちゃんがここにいた時間だし、そのこともお伝えしたわ。
寮母さんも、同室の人も、葉菜ちゃんがやったとは思っていないって言っていたわ。何も心配いらないから、葉菜ちゃんは、ここでゆっくり体を休めて」
「あの男の人は?」
「もう帰ったわ」
「あの人、佑紀乃さんの旦那さんじゃないんですか?」
佑紀乃が、首を横に振る。
「違うわ」
それではいったい誰なのだろうと思ったが、いつになく硬い表情の佑紀乃に、それ以上は聞けなかった。
佑紀乃が、ふと微笑みを浮かべて言った。
「今日は一日、ここでゆっくり体を休めてね。明日の朝、一緒に寮まで行きましょう」
「え?」
「寮の方たちにもご挨拶したいし、こんなことになってしまったのは、私にも責任があるんだもの。ちゃんと説明して、お詫びしないと」
「そんなこと……。私が勝手に来ただけです」
佑紀乃の表情が曇る。
「でも、何もしてあげられなかったわ」
「そんなことありません。こうして部屋に上げてもらって、パジャマまで……」
葉菜は、自分の体を見下ろす。白い清潔なパジャマは、とても肌触りがいい。
「葉菜ちゃんのワンピース、泥で汚れていたから洗濯してあるわよ」
「あっ、すいません」
「ううん」
佑紀乃は再び微笑んだ。
その後、佑紀乃は玉子の入ったお粥を作って食べさせてくれた。それは、葉菜が風邪を引いたときに、いつも姉が作ってくれるものとよく似た味だった。
いくらかほっとしたものの、やはり姉のことが気になる。榎戸が小火騒ぎのことを学校に知らせた後、おそらくは姉にも連絡が行っているのではないかと思う。
だが、佑紀乃の話では、葉菜に対する疑いは晴れているらしい。姉に心配をかけてしまったことに変わりはないが、ある程度のことはしかたがないだろう。
一時的な感情で、寮を飛び出して来てしまったことは、やはり軽率だったと思うが、今さら悔やんでもしかたがない。寮に帰ったら、榎戸や見海にも、それに、いずれ話せるときが来たら、姉にも謝らなくては。
お粥を食べながら、そのようなことを話すと、佑紀乃が言った。
「それなら、今お姉さんに連絡すればいいわ。私のスマートフォンを使って」
「いいんですか?」
「もちろん」
普段、姉と連絡を取り合うのは、もっぱらメッセージアプリで、電話で話すことは滅多に、というか、まったくない。
それで、手元に自分のスマートフォンがない今、うろ覚えの電話番号が合っているか不安だったのだが、呼び出し音がなり始めたのでほっとする。




