30,名残惜しい気持ちと消防車
まだ安心は出来ないが、そうであってくれればいいと思う。今週も、見海は予備校の講習会に行き、瑠衣は家に帰るので、昼間は一人になる。
葉菜は、もうためらうことなく、佑紀乃を訪ねようと思っている。
今日も佑紀乃は笑顔で迎えてくれた。葉菜ももう、佑紀乃の前で泣くこともない。
次々にひどいことが起こったせいで、そういうことに、いくらか慣れてしまったのかもしれない。それがいいことだとも思わないが。
今日は佑紀乃は、朝早くから時間をかけて作ったという、マカロンとチーズタルトを出してくれた。
「うっかり聞くのを忘れていたけれど、葉菜ちゃん、チーズは大丈夫だったかしら」
心配そうな佑紀乃に、葉菜は答える。
「チーズもチーズケーキも大好きです。……すごい。こんなのも、おうちで作れるんですね」
目を見張る葉菜に、佑紀乃は照れくさそうに言った。
「葉菜ちゃんに食べてもらいたくてがんばったのよ。マカロンは、初めて挑戦してみたの」
なんとうれしいことを言ってくれるのだろう。感激している葉菜に、佑紀乃が、マカロンを指しながら言う。
「まずは一つ食べてみて」
「はい」
薄紅色のマカロンを、一つつまんでかじる。サクサクの生地は、口の中でほろほろと崩れて、すぐに溶けた。
「……おいしい!」
思わず声を上げると、両手のひらを合わせた佑紀乃が、うれしそうに微笑んだ。その笑顔に、葉菜も幸せな気持ちになる。
チーズタルトも、こっくりと濃厚で、とても優しい味がした。
お茶を飲みながら、葉菜は今週起こったことを佑紀乃に話した。郁美が家で静養することになり、メッセージを送っても返事がないことや、淳奈が謹慎処分になってしまったことなどを。
「お友達のこと、心配ね。葉菜ちゃんも辛かったわね」
佑紀乃の言葉に、鼻の奥がツンとする。
「見海さんや瑠衣さんにも何かあったらどうしようかと思って……」
つい弱音を吐いた葉菜に、佑紀乃が微笑みかける。
「でも、ルームメイトの方たち、みんなとてもいい方ね」
「はい、とても心強いです」
だからこそ、これ以上迷惑をかけたくないのだ。
今日もおいしいお茶とお菓子をごちそうになって、話を聞いてもらって、ずいぶん気持ちが軽くなった。今や葉菜にとって、佑紀乃は、見海たちと同じくらい大切でかけがえのない存在だ。
「それじゃ、また遊びにいらしてね。よかったら、週末じゃなくても、いつでも葉菜ちゃんが来たいときに」
帰り際、そう言って、佑紀乃は送り出してくれた。名残り惜しい気持ちを抑えて、葉菜は洋館を後にした。
別荘地の間を通る道路を、寮に向かって歩いていると、遠くからサイレンの音が聞こえて来た。あれは消防車だろうか。
さらに歩いて行くと、広い通りを消防車が走って行くのが見えた。向かっているのは、寮の方向だ。
まさかとは思いながら、不安になって、葉菜は足を速める。やがてコンビニのある通りに出ると、消防車が寮の入口へと続く道路を上って行くのが見えた。
まさか……。いつしか葉菜は、寮に向かって駆け出していた。
寮の敷地内に消防車が停まっていて、消防士の姿も見える。寮に残っていたらしい寮生たちも、外から寮を見上げているが、どこにも火や煙は見えない。
立ち尽くしたまま呆然と見回していると、後ろから声をかけられた。
「葉菜ちゃん」
振り向くと、今戻って来たところらしい見海だ。
「これ、どういうこと? 何があったの?」
「私も、今帰って来たばっかりで……」
そこへ、榎戸が駆け寄って来た。
「あなたたち!」
見海が尋ねる。
「何があったんですか?」
「あなたたちの部屋から小火が出たのよ」
「えっ!?」
二人は、顔を見合わせる。
「ちょっとこっちへ」
榎戸は、二人を人気のない物置の陰へと連れて行った。




