2,走り去るタクシーとお嬢様学校の寮
正直なところ、一人暮らしをして、ちゃんと生活出来る自信はまったくない。それで、渋々提案を受け入れたのだったが。
いよいよ姉と別れて、見知らぬ他人ばかりの寮に入らなければならないのだと思うと、寂しさと不安で涙が止まらなくなった。出来ることならば、このままUターンして家に帰りたいくらいだ。
だが、そうしている間にも、タクシーはゆるい坂を上って行く。黎明女子学院は、山の麓にある。
通学生には、駅と学校を往復出来る路線バスがあるが、自宅が遠い生徒のために、学校に併設された寮があるのだ。
やがてタクシーは、「清心寮」と書かれた門の前で停まった。二人を降ろしたタクシーは、坂道を下って行き、すぐに木立の向こうに見えなくなった。
葉菜は、門の向こうにある建物を見上げる。
お嬢様学校の寮だというから、なんとなく煉瓦造りの洋風の建物を思い浮かべていたのだが、それはどこの街角にもありそうな、ありふれた三階建てのビルだった。
「さあ、行きましょうか」
姉に促され、入り口に向かって歩き出す。
ガラスドアの入り口の脇にチャイムがあり、「御用の方は押してください」と書かれたプレートが貼られている。
姉がボタンを押すと、すぐにインターホンから声が聞こえた。
「はい。どちら様ですか」
姉が答える。
「今日からお世話になります、三丘葉菜ですが」
「ただいま参ります」
三丘葉菜は私なのに、お姉ちゃんがそう名乗るのはおかしいよ。仏頂面をして、そんなことを考えていると、すぐに奥から、エプロンを着けた中年女性が現れた。
ガラスのドアを開けるなり、彼女はにこやかに言う。
「まあ、ようこそいらっしゃいました。寮母の榎戸と申します。荷物は届いていますよ」
姉が頭を下げながら言う。
「三丘と申します。よろしくお願いします」
お姉ちゃんは、もうすぐ三丘じゃなくなるのに。またもそんなことを思っていると、姉がこちらを見て言った。
「あなたもご挨拶しなさい」
それで葉菜は、仏頂面のまま頭を下げる。
「よろしくお願いします」
だが、榎戸は、相変わらずにこにこしながら言った。
「まあ、かわいらしい。きれいな髪ね」
葉菜は、髪を長く伸ばしているのだ。校則では、肩より長い髪はゴムでまとめることになっているというが、今は学校ではないので下ろしたままだ。
かわいらしいというのは、着ているワンピースのことだろうかと思う。姉が似合うと言ってくれるし、コーディネートの必要がなくて楽なので、葉菜はワンピースを好んで着ている。
榎戸は、姉に目を移す。
「こちらはお姉さま? 美人姉妹ね」
「いえ、そんな」
姉が、恥ずかしそうに首を横に振っている。榎戸という人は、ずいぶん調子がいいと葉菜は思う。
「それじゃ、さっそくご案内しましょうね」
玄関を入ってすぐの、ガラスがはまった引き戸を開けて中を見せながら、榎戸が説明する。中は、いくつかテーブルが置かれた二十畳ほどの部屋だ。
「ここは談話室です。寮生同士で思い思いに話したりくつろいだり、何かの会議をするときにも使われます」
確認するように、姉と葉菜の顔を見て笑いかけてから、榎戸は引き戸を閉めて、廊下を先に進む。
さっきと同じくらいの広さの部屋に、こちらは長テーブルが並び、奥にカウンターとキッチンが見える。今度は一緒に中まで入った。
「ここは食堂です。食事は、私とパートの女性で作っていて、基本的に、平日は朝晩、休日は昼食も出します」
姉が、葉菜を見て言う。
「手作りのご飯が食べられるのはいいわね」
「お口に合うといいですけど」
姉と榎戸は微笑み合っているが、葉菜は黙ったまま、二人を横目で見る。姉の料理が食べられなくなるのは悲しいし、そんなことよりも……。
榎戸が言った。
「さて、今日から暮らすお部屋に参りましょうか」
ああ、ついに来た。葉菜はうなだれて、食堂を出る二人の後に続く。