第四幕
吉永のナイフが迫る。
ああ、愛してる、愛奈……
『優人！！！』
俺は目を瞑った。
……………………………………………………………………………………………………………………………？
何だ？
痛みが無い？
どういう事だ？
恐る恐る俺は、目を開けてみた。
何だ！？
吉永が耳を塞いで、踞っている？
何なんだ？
「ぐああああ、誰だ！お前は誰だ！！？」
吉永が狂った様に暴れ回っている。
一体何が？
「う、うるさい！だ、黙れーーーーっ、ぐ」
吉永が転がりながら、外に出ていく。
は？！
扉が開いたままだ。
逃げるなら今しかない！
俺は何とか立ち上がると、半開きの扉に向かって走り込む。
バアアンッ
「あ、うっ」
縛られているから真っ直ぐ走れない。
それでも俺は、ヨレて扉に当たりながらも廃倉庫を出る事に成功した。
ドサッ
「うぐ、よ、吉永は！？」
俺は外に出れたものの、扉に当たった反動で地面にだらしなくのけ反った。
くそ、こんなところを吉永に襲われれば俺は万事休すだ。
俺は辺りを伺った。
だが、近くに吉永は居ない。
助かる！
俺はふらふらと立ち上がり、必死に足を動かした。
ザーンッ、ザーンッ
時間は恐らく２０時位。
辺りは人っ子ひとり居ない埠頭で、埠頭に打ち付ける波音しか聴こえない。
アイツは、吉永何処だ？
いや、今は逃げるのが先決だ。
俺は数メートルごとにある街灯を頼りに、慎重に足を進める。
足も縛られているから、足首しか動かせない。
だから、中々進まない。
しかも身体じゅう蹴られた上に、足首だけの筋肉を使うのは、かなり疲れる。
ドサッ
「あ、うあぁ！？」
俺は、うつ伏せに倒れてしまった。
くそ、早く逃げないと。
逃げないと…い、う、頭が 朦朧とする。
もう足が動かせない。
けど、幸いにも今は９月。
気温はまだ高いから、この場で寝込んでも大丈夫そうだけど、何だか腹が痛い。
熱も出てきたみたいだ。
どこか内出血してるのだろうか。
だとしても、こんな岸壁では朝まで人は来ないだろう。
どうしたものか。
『優人！』
「愛奈？」
『立って！優人、後、少しで人の通る道があるわ。頑張って！！』
「頭がぼーっとして、身体が痛くて…くたくたなんだ。もう、一歩も歩けない…寒い、眠い……」
『頑張って。男の子でしょ！いつまでも、あたしが貴方を守るわけにはいかないのよ。立って、立ちなさい。あと５０メートルで道に出られるの！お願い、頑張って！』
「は、ははは、君、に、励まさ、れたら、頑張る、しかない、じゃ、ないか」
『そうよ。頑張って！』
俺は街灯の柱に寄りかかると、柱を背にして身体を押し上げていく。
「はあ、はあ、はあ、はあ、い、息が、切れ、る」
『あと少しよ！優人！』
ぐ、ぐぐぐぐっ
街灯の柱で背中を滑らせた俺は、ついに立ち上がる事が出来た。
「た、立ったぞ、立ち上がっ…た」
『いいわ、優人！そのまま真っ直ぐよ』
「わ、分かった…けど、目が霞んで…見えない……」
『私が言う通りに進んで！』
「わ、かった。はあっ、はあっ、はあ」
『まずは、真っ直ぐに』
「ああ、はあっ、はあっ、はあっ」
『少し左にヨレてる。右に』
「はあっ、はあっ、こ、うか」
『いいわ。そのまま進んで』
「う、く」
『また、左に行ってる。右に進んで』
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
『いい、いいわ。そのまま、そのままよ』
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
『頑張って！あと少しだわ』
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
『やった、やったわ。道路側に出れたわ、優人！』
ドサッ
「もう、駄目だ。はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、もう、一歩も、歩け、な、い」
「君！だ、大丈夫か？！」
「はあっ、はあっ、あ、誰？」
「この道を通りかかった者だ。君？縛られているのか！？」
ああ、気が遠くなる。
ごめん、愛奈。
「君、しっかりするんだ！救急車を！…」
……………………
『優人…』
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俺は病院で目を覚ました。
医師の話しでは、打撲により腹部の臓器を痛めており、あと１時間遅かったら命が危なかったらしい。
幸い、海岸沿いの幹線道路で通行人に発見され、直ぐに救急車を呼んで貰えたようだ。
窓の外を眺める。
雲が流れていく。
あれから三週間が立ち、その間にいろんな事があった。
俺が保護された翌日、近くの海岸で吉永の遺体が上がった。
警察は足を滑らした事による、事故死との見方をしているらしい。
ただ俺は、そうではないと思っている。
あの時、吉永は突然、耳を塞いで何かが聴こえるようだった。
それが何が聴こえていたのか、何だったのかは解らないが、何かが聴こえ、そして俺が助かった事だけは確かだ。
そして、それを成したのは……
「…………………………」
ガチャッ
「お兄ちゃん！」
「紬」
「優人！」
「優人、大丈夫？」
「父さん、母さん……」
あの事件の後、俺は《天の声》を聴く事は出来なかった。
俺が呼び掛けても、彼女は声を発する事は無かったのだ。
そして、俺が無事に病院を退院出来た数日後、あの愛奈の病院の女医、佐藤医師から連絡を貰う事になる。
━━音羽愛奈▪危篤━━
◆◇◆
タッタッタッタッタッタッタッ
「佐藤先生ーーー！」
「 優人君？！」
「先生！ 愛奈は！愛奈は！？」
「……電話で連絡した通りよ。危篤状態……今日明日が限界ね」
「先生、愛奈はいつから、こんな状態に？！」
「急に心臓の活動が弱くなったのは１ヶ月前ね。それから徐々に低下して」
１ヶ月前！
俺が 吉永に襲われた、あの日からだ！！
「……！、先生！お願いあるんだ。聞いて貰えないか！」
「どんな事？」
「 愛奈に直接、伝えたい事があるんだ。会わせてくれないか！！」
「駄目よ！今は完全な面会謝絶で家族すら会えない状態なの。そんな状況の中で部外者の貴方を会わせる訳にはいかないわ」
「…………！」
「諦めなさい。貴方に連絡する事自体、病院の規則違反なの。これ以上は無理よ」
音羽愛奈に逢えない。
これが最後かも知れないのに？
そんなの、そんなの、絶対駄目だ！
ダッ
「 愛奈！！」
「 優人君、駄目よ！？ああ、誰か、誰か彼を止めて！」
俺は先生の制止を振り切り、愛奈のいる特別治療室に走る。
ガンッ
【関係者以外立入禁止▪ＩＣＵ専用病棟】
俺はその扉を開け、そして中に飛び込んだ。
「な、何だ、君は？出ていきたまえ。ここは関係者以外立入禁止だ。おい待て。誰かアイツを捕まえろ！」
目を丸くして叫ぶ男性医師と、その指示で俺を追う男性看護師達。
くそ、今捕まったらアイツに、愛奈に二度と逢えなくなる。
俺は通路を曲がると、防火扉を閉めて鍵をかけた。
ガンッ、ガンッ
『な、扉が閉まってるぞ！？鍵を、誰か鍵を持ってこい！！』
『こら、バカな事は止めなさい。ドアを開けるんだ。君！何をしているのか分かっているのか？早く開けるんだ。おい！』
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ
【音羽 愛奈▪特別治療室▪関係者以外立入禁止▪ＩＣＵ室】
あった。
ついに俺は愛奈の病室に入った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ
シュウッ、シュウッ、シュウッ、シュウッ
機械音と無数の管に囲まれて、彼女は今も其処にいたーーーーーーーーーーーーーーー。
伸びきった長い髪、長いまつ毛、色白の肌、その全ては、あの時会った時のままに…。
(ゆうと。《《あたし》》がゆうとをまもるから)
