第一幕
『そこは違う、右に曲がる』
「右?遠回りだよ」
『右………』
「分かった。右だな」
ふう、仕方ない。
俺はこの声に逆らえない。
そして俺は本来の通学路ではなく、遠回りになる河川敷の土手を目指して走る事になる。
何故走るかと言えば、このまま遠回りに学校を目指せば間違いなく遅刻になってしまうからだ。
キーンコーンカーンコーン…
「やべっ?!」
ダダッ
はあ、はあ、はあ、はあ。
あ?!
体育教諭の 鬼瓦がニヤニヤしながら校門を閉めようとしている。
くそっ、間に合え!
俺は鬼瓦の横を何とか、すり抜ける事に成功したかに思えた。
だがその瞬間、鬼瓦の手が俺の襟首に伸びていた。
つ、捕まる?!
『左にジャンプして』
「!」
その声に俺は、瞬時に反応していた。
タンッ
「な?!こおらぁ、響!」
「先生、失礼しまーす」
タッタッタッタッタッタッ
俺は鬼瓦の伸ばした腕の下を掻い潜ると、まんまと校内に入る事が出来た。
一時限目は古典の東海林じいさん先生。
ボケてるから教室の後ろ、背を低くして入れば大丈夫、と。
クスクス
おい 皆、東海林が気づくだろ、静かにしてくれ。
『無理』
「え」
「ひびきーっ、ちえすとーっ!」
ブンッ
は?
じいさん先生が大降りにスイングして白い何かを投げる?
パカンッ
「痛!」
じいさん先生の投げたチョークは見事、俺の額に命中し、そのまま俺は仰け反った。
おい、その枯れ木みたいな身体で、よく教室の後ろまでチョーク飛ばせるよな?
まったく感心するよ。
おっと、それどころではなかったんだった。
じいさん先生はスッと廊下を指差した。
はいはい、分かってますって。
廊下に立ってればいいんでしょ?
たくっ、なんでこんな時だけアドバイスしないんだよ。
そもそも、お前に従ったからこんな事になっているんだろうが。
何か言えよ!
『……』
またダンマリか。
はあ、まったくいつも肝心な事は教えてくれないんだよな。
まあ、それでもコイツには従わざるおえないんだが…。
◆
俺の名前は響 優人。
地方の高校に通う高校一年の15歳だ。
両親と妹の4人家族。
高校は一応、県内屈指の進学校。
ごく普通の家庭の、ごく普通の高校生だ。
だが俺には誰にも言っていない秘密がある。
それは《天の声》が聞こえるという事。
他人が聞いたら天の声って何だ、って思うかも知れないが、その声のお陰で随分と助けられた俺には、この声を無視する事が出来ない。
え、気のせいだって?
とんでもない。
この声は俺に危険を事前に知らせてくれる、本当に大事な相棒なんだ。
例えば苛め不良グループの待ち伏せとか、明日の抜き打ちテストとか、先の門を曲がると自転車にぶつかるとか、そういう事を事前に教えてくれて回避できる。
抜き打ちテストは回避出来なかったけどね。
聴こえるようになったのは3年前。
俺が中学の時だ。
そりゃ最初は分からないしビックリしたよ。
お化けに取り憑かれたか、何かの呪いかと悩んださ。
女の声だしな。
けど、いろいろ親切に教えてくれるし、事前に彼女から聞いた事が全て現実に起きたら、信じざるをえないよ。
勿論、かなり先の未来や宝くじの当選番号の売り場を教えてくれるものじゃない。
せいぜい5分から10分前か、どうでもいい明日のテストの傾向とかだけだけどな。
『今日は、早く帰ったほうがいい』
「は?今日は、部活に出るって約束してるんだ。どういう事なんだ」
おい、毎回突然だな。
俺の都合もたまには考えてくれ。
「それで、今日はなんだ?」
『………家族が危険…』
「な?!」
その瞬間、俺は走り出していた。
天の声の《家族が危険》は、俺には何の事が直ぐに分かる事だったからだ。
そして家族の誰が危険になるか、それも分かっている。
くそ、間に合え!!
俺の家はこの先の歩道橋を渡った坂を登った先、その坂道を全力疾走のまま駆け抜ける。
すると家まで100メートル手前、掴み合って争う男女がいた。
女は妹の紬だ!!
俺は妹を拘束する男を突き飛ばすと、無理やり後ろに引き離す。
男は反動でだらしなく道路に倒れ込んだ。
妹「お兄ちゃん!」
男「ぐ、くそ」
妹が気づき、俺の背中に下がる。
男はふらふらと立ち上がり、ポケットから何かを取り出した。
手元に鈍い光?!
アイツ、ナイフを出しやがった。
野郎!
「お、お前、お前が邪魔するから!」
「きゃあああ、お兄ちゃん!」
『左にステップ、更に後ろに下がる!』
「!!」
ビシッ、ザシュッ
ぐっ
あいつ、ナイフをもう一本隠し持っていやがった?!
野郎!
「お、お前、お前が邪魔するから!」
「きゃあああ、お兄ちゃん!」
『左にステップ、更に後ろに下がる!』
「!!」
ビシッ、ザシュッ
ぐっ
あいつ、ナイフをもう一本隠し持っていやがった?!
最初の右手に持ったナイフはわざと見せたもので、本命は左手に持った第二のナイフだったのだ。
なんて用意周到な奴なんだ!
だが【天の声】のお陰でギリギリ避けれた。
ふっ、バキッ
「ぎゃっ!」
よし、ヤツの顔面に俺のパンチがヒット!
ヤツはナイフを落とすと、すかさず背を見せ逃げていく。
ふぃーっ、何とかなった…な。
服を、少し斬られただけで済んだ。
「お兄ちゃん!怖かったよぉ」
「すまん、紬。遅くなった」
『……………』
妹が俺に抱きついてくる。
だいぶ怖がらせたな。
あの野郎、許せん!
ふうっ
俺は男の逃げた後を睨みながら一息ついた。
あの男は吉永。
20代の小太り男でずっと妹に付きまとっている所謂、ストーカー男だ。
妹の紬は来年、高校進学を予定していて、最後の中学生活の記念に友人と東京に遊びに行った際、奴に絡まれて自宅に逃げ帰った経緯がある。
妹は自慢じゃないが下手なアイドルより美人になる下地があり、成長するにつれ、こうした手合いが増えるのは時間の問題だった。
しかし奴の執着は尋常ではなく、いつの間にか自宅を知られ、妹から相談を受けた両親が警察に通報する事態となった。
やがて吉永は警察に捕まり刑に服したが、該当する刑罰では異常な執着を見せる奴を止める事が出来ない。
結局一年あまりで出所すると、再びストーカー行為を始めた訳だ。
それ以来、事あるごとに妹は奴のストーカー行為に悩まされてきたのだった。
もちろん《天の声》のお陰で俺が直ぐ妹の危機に駆けつけたから奴はココまで何もしてこなかった、いや出来なかったのだろう。
が、今日は遂に行動に移したようだ。
「《天の声》、助かった。ありがとな」
『…………』
「お兄ちゃん?」
「あ、いや、何でもない」
やべぇ、口に出てた。
妹は《天の声》の事は知らない。
傍目には独り言を言うヤバい兄にしか見えない。
だが今回も俺は《天の声》のお陰で妹を救う事ができた。
《天の声》には感謝しかない。
◆◆◆
翌日、学校に何時も通りに登校すると、クラスでは学生の交通事故の話題が飛び交っていた。
その交通事故は学年が違う本校の生徒で、俺がよく使う道で昨日、トラックに跳ねられたらしい。
俺はその話を聞いて胸を撫で下ろした。
何故ならそれは《天の声》に指示され、河川敷遠回りコースに行かなければ、俺が使う予定の通学路だったからだ。
【《天の声》は俺の守り神に違いない】
改めてそう実感した日になった。
「なあ、今さらなんだが、君はいったいなんなんだ?」
『…………』
相変わらず必要な事以外、話してくれないんだな。
基本的に《天の声》は一方通行。
会話のような事が成立するのは極めて稀だ。
ただコイツの声、昔何処かで聴いた事があるような気がするんだよな。
まあいいか。
その日俺は自室のベッドに入ると、目覚ましをセットして眠る事にした。
………………
…………
……
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「ゆうと、《《あたし》》がゆうとをまもるから」
「まなちゃん、こわい、こわいよぅ」
「ないちゃだめ。わるいひとにみつかっちゃう。だいじょうぶ。じゅうかぞえたら、ここからでて、かいだんにむかうよ。そうすれば、おかあさんにあえる」
「ん」
「「いち、に、さん、よん、ご、ろく、ひち、はち、きゅう、じゅう…」」
「どう、おちついた?」
「…わかんない。でも、まなちゃんといっしょだから、こわくない」
「よし、ちょっとまって。ん、あいつら、いまはいない。にげるよ!」
「ん、がんばる!」
タッタッタッタッタッタッタッ
「こらぁ待て、この糞ガキ!」
「わああああ!?」
「ゆうと?!」
「どうした?」
「人質のガキが逃げ出しやがった」
「ち、邪魔くせぇ、人質は十人もいるんだ。一人くらい、見せしめにぶっ殺してもいいだろう」
「よし、このガキでいいか」
チャキッ
「うわあああん、おかあさーん!」
「ゆうと!ゆうとをはなせ!」
「うお、痛ぇ!?このガキ!俺の足を噛みやがった!くそガキが」
ガンッ
ズザーッ
「あ?ああ、あああああ、まなちゃん?まなちゃん?うわあああーーーーーーーっ!!」
ガガァーンッ
「ぐあっ!」
「が、警察が!?」
「全員手を後ろに!警察だ、動くな!」
▩▩▩
ピーポー、ピーポー、ピーポー、ピーポー
ピーポー、ピーポー、ピーポー、ピーポー
「まなちゃん、まなちゃん、まなちゃん!」
『14時37分山野辺幼稚園、立て籠り事件。重傷者一名、音羽 愛奈ちゃん、五歳幼児。緊急搬送します。繰り返します。14時3………』
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ガバッ
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ
い、今のは!?
なんで、なんで忘れていた?
あれはあの声は、あの時の幼馴染みの声!?
ドタドタドタドタッ
「母さん!」
「優人?どうしたの?今日は、日曜日のはずだけど」
母さんはキッチンにいた。
俺は直ぐに幼稚園時代の事を母さんに聞いた。
母さんは俺の話しに驚いて、そして悲しそうな顔で話し始めた。
「…思い出してしまったのね。あなたは、あの事件の後、ショックで幼稚園での事も、その前の事も、全て忘れてしまっていたの」
「忘れていた?俺は!?」
「それから私達はアナタの事を思い、別の町に引っ越したの。だからその後のまなっ、音羽 愛奈ちゃんの消息については分からないの」
「音羽 愛奈、それが?!」
「そう、彼女の名前。私達はご両親と付き合いがあってね。優人は幼稚園入園前から愛奈ちゃんとよく一緒に遊ぶ仲だったの」
そう言って母は俺に事の詳細を語った。
それは俺が忘れた、幼少期の頃の話だった。
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今から11年前、俺が通っていた幼稚園がテロリストに占拠されるという事件が起きた。
二人組の男達が入り込み、保育士二人と園児10人を人質に身代金と仲間の釈放を要求したのだ。
そして、警察と犯人達との交渉は難局を極め、その立て籠りは3日の長期に及んだ。
その時居合わせたのが俺と仲良しだった音羽 愛奈だったのだ。
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「愛奈ちゃんはその事件で一人だけ酷い怪我をしたの。犯人達は捕まったけど彼女は意識不明で病院に運ばれた。ご両親は真っ青になって病院に向かったのを覚えてるわ」
「………!」
「ご両親とウチはご近所さんだった。だけどしばらくして、新築の家を売っていつの間にか引っ越してしまっていたの。連絡先も一切誰にも伝えないでね。だから私達は愛奈ちゃんとご家族のその後の消息は分からない」
消息が分からない……
だが病院に入院したはずだから、その時のカルテが病院に残っていれば居所が分かるかもしれない。
あと当時の新聞とか、ネットにあればいいんだが。
◆◇◇◇
それから俺は、あらゆるメディアを駆使して当時の情報を探し回った。
だが、彼女とその家族の情報を見つける事は、ようとして出来なかったのだ。
「なあ、お前はなんで、三年前から俺のところに来てくれたんだ?」
『…………』
夕方の河川敷。
座り込み流れる川面を見ながら《天の声》に呼びかける。
だが回答は無い。
天の声は今まで、俺の呼びかけに反応した事は一度も無いからだ。
だけど呼びかける。
俺が彼女の声を聞きたいから。
「お前、愛奈なのか?」
『…………』
駄目か………。
やはり黙りになってしまった。
それから数ヶ月、特に伝える事も無いのか《天の声》は聴こえない。
俺はその間も幼馴染みの消息を捜していたが、彼女に繋がる情報を見つける事は出来なかった。