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ニガウリのジャム アユとプチトマトのアヒージョ

私は家の前の雑木林から小川につながる道へと走り抜ける。

朝の爽やかな風が私の頬を撫でた。

朝ご飯の後、例によって私は掃除と洗濯の当番をコー兄に押しつけた。

これから1時間ほどジョギングする予定だ。


祖父母の家の食事が美味すぎるのがいけない。今朝も焼きたてのライ麦パンを3枚とスクランブルエッグも山盛りにいただいた。

少しは走らないとこの夏の終わりが怖すぎる。




朝食にもグランパがいなかったのでコー兄が私に目配せする。

テーブルにはオレンジ色の小瓶と褐色の大瓶がひとつずつ。

(絶対、そっちの茶色いのがグランパジャムだ)

んな、馬鹿な。


私は2種類のジャムをガン見する。

「ねえ、グランマ。この…」


私が言いかけると玄関のベルが鳴って、それはいつもの牛乳が届いた合図だ。

グランマがコー兄をチラリと見て、クイクイッとあごを動かした。


「えっ?僕?」

コー兄は口をとがらせつつも大人しく立ち上がって、牛乳を取りに行った。

その後小さく呟きながら。

「抵抗してジャムにされるのは嫌だからね」


「プッ」

私は吹き出し、グランマも苦笑いする。


「ねえ、グランマ。このジャムは…」

とりあえず私は怪しくない方のオレンジ色のジャムの正体を確かめる。


「ああ、これはニガウリです。美味しいデショ」

ニガウリ?何だっけ?瓜、ニガウリ…か。


爽やかな酸味と食べ応えのある食感のライ麦パン、そこに甘いけれど少しだけほろ苦いジャムを塗って口に入れる。

「うーん、美味しい!ライ麦の風味とすごく合うね!」


グランマがニコリと笑って、チーズの箱を開けた。

「このクリームチーズも一緒に塗りなサイ。さらに濃厚な美味しさになりマスよ」


コー兄が牛乳の大きな瓶2本をカチャカチャいわせながら戻ってきた。

「あああっ!僕の留守を狙ってクリチが出現している!」


「ミルクを1本は冷蔵庫に、テーブルに1本置いてくだサイ」

グランマはクックックと笑いつつも相手にせず、自分は立ち上がって三人分のマグカップを並べた。


絞りたての冷たい牛乳を飲んでは、『ライ麦パンwithチーズ+ニガウリジャム』を食べ、さらに半熟のスクランブルエッグをカリカリベーコンですくって口に入れる。

あんまり美味しくて、私もコー兄も食べ過ぎたのだった。いつものことだけど。



本日も午前中は受験勉強に励むと決めたコー兄の恨み言を背中で聞きながら、私はTシャツとハーフパンツに着替えて出動した。


「脳を働かせれば糖分を使う。したがってカロリーは消費するはず。大丈夫、僕は太らない」

コー兄、何を言ってるのかホントわからない。こういうところだ。





少し荒い息を吐いて、昨日遊んだ小川の上の土手で休憩する。

腕を開いて深呼吸すれば、高原の澄んだ空気が胸いっぱいに入ってくる。

この空気だってご馳走のひとつだなって思いながら、私は夏色の空を見上げた。


すると土手下から足音が聞こえて子犬とその飼い主が現れた。

白いワンピースのスカートが揺れている。


「あれ?」

声の主は昨日の女の子、お菓子のお礼に弟を連れてきた私と同年代くらいの娘だ。

こうやって正面からよく見るとすごい美人さんだ。

口元のホクロがチャームポイントかな。

先へと走りたがる子犬のリードを引いて彼女が笑いかける。


「…あ、えっと」


なかなか、反応できない私だが、彼女の方からニコリと挨拶してくれた。

「おはようございます」


「おはよう、うん…ございます」

やっぱり私は大きな声で返事が出来ない。

そうなのだ。私は人見知りで同じくらいの年頃の女の子と話すのが特に苦手だ。

昨日もこの川で遊ぶのは小学生の男子がほとんどだとわかっていたし、今朝もこの時間なら付近には人があまりいないという推測で行動している。


「昨日は美味しいクッキー、ありがとうございました」

ハキハキした口調で、それでもニコリと笑って女の子がお礼を言う。

しっかり者のお姉ちゃん…って感じかな。同い年くらいと思っていたけれど、実際は私より何歳か上なのかもしれない。


「いいえ…気にしないで」

私はようやく少し微笑むことが出来た(と思う)

しっかりしていて、美人で、優しそうでこんなお姉ちゃんもいいなあ。


「おばあさまにもよろしくお伝えください」

そう言って立ち去ろうとする女の子に私は思わず声をかけていた。


「あの!また…ここに来ますか?」


彼女は立ち止まってまたリードを引き、振り返って目を瞬かせた。

「…はい。多分また来ます」

それからまたニコリと微笑む。

「弟の面倒を見ながら」


私の口からは不思議にスラリと言葉が出た。

「また会えると嬉しいです」


女の子はヒマワリのように笑った。

「栞です。本にはさむ…シオリ」


私も慌てて名乗る。

「華といいます。夏休みにこっちへ遊びに」

思いもかけず名前まで教え合った出会いに私は自分で驚いている。


私たちは近いうちの再会をユルく約束して土手のあっちとこっちへ別れた。


彼女の後ろ姿をまたチラリと振り返った。白いキャペリンハットをかぶった長い黒髪が風で揺れている。それを見ながら、私は首を傾げた。

人見知りの私としたことがどういう風の吹き回しだろう。昨日も今日も思った(お姉ちゃんっていうのもいいもんだな)が影響したのか。


でもこの出会いは私にもコー兄にとっても、思わぬ転機だったんだ。まあ、後々振り返ってみればだけど。





お昼過ぎについにあの肌色のジャム、コー兄いわく『グランパのジャム』の秘密が解き明かされる。


昼食後、コー兄は自転車で8㎞ほど離れた牧場に出かけた。

何でもこの夏のうちに馬に乗れるようになりたいとのことで、グランパの紹介で乗馬クラブに入会したんだ。

「この高原の街の魅力は涼しいことと食べ物が美味いこと。それから馬がいることに古い建築物が多いこと。それから…」などと聞かれていないのに熱弁して、ずいぶんクラブの人から気に入られたみたい。


数回通ううちだいぶ上手くなってきたようで、当初しきりに訴えていた『お尻が、僕のお尻が』という意味不明の文句も最近は言わなくなっていた。


その兄が戻ってきたのは私が読みかけの文庫本をまた数ページ進めただけでウトウトしていた午後3時だ。

昨日とほとんど同じページをお腹の上で開いたまま、私は目を醒ます。

賑やかな兄の声が玄関先から聞こえた。


「ただいま!皆様のコースケくんはお茶の時間に間に合うように全力で戻りました!」

いちいちセリフが馬鹿みたいだ。

といっても私も人のことは言えない。

文庫本は栞をはさむ必要がないくらいに、同じところで癖がついてついてしまった。こういう本が傷む扱いにグランマは結構嫌な顔をする。


私は慌てて本を閉じて立ち上がり、誤魔化すように本棚へ押し込む。

栞といえば…

私は思い出す。あの娘の名前はそう、『栞さん』だった。コー兄は私がここに『友達』って連れてきたらどんな顔するかな。ビックリするだろうけど、少しは安心してくれるかもしれない。



「わあっ!」

キッチンからコー兄の叫びが聞こえる。


「何なの、生徒会長」

私もキッチンに顔を出した。


「こ、これ…」

あの褐色肌色ジャム(パテ)の横にグランパの老眼鏡が置いてある。


「えええええっ」

私も思わず声を出してしまった。


その時突然台所に面した勝手口がバタンと開いて誰かが家に入ってきた。

兄妹二人で叫ぶ。

「ギャッ」「キャアアアアアアア」

(ちなみに『ギャッ』が私、『キャアア』と高い声で悲鳴をあげたのはコー兄)


「な、何だ。お前ら」

勝手口から顔を覗かせたのは逆に驚き顔のグランパだ。


「じ、じいちゃん…ジャムになったんじゃ」

説明しよう。コー兄はホラー展開になると『じいちゃんばあちゃん』呼びになるのだ。


「何じゃ、そりゃ」

わけわからん、という顔でサンダルを脱いでグランパがキッチンに上がりこむ。

「老眼鏡を忘れてったせいで麻雀は散々だったわい」


私は(そりゃそうだよねえ)とちょっとスプラッタ展開を想像した自分を恥じる。

しかしコー兄は若干本気だったようで、まだ口が利けない。立ったまま腰を抜かしているのかもしれない。


そんなふうにワイワイやっていると、二階からグランマが現れた。

「何デスか。騒がしいデスね」


グランマ、絶対隠れてたな。私は多分彼女が階段の踊り場でキッチンの様子を伺いつつ、ニヤニヤしていたに違いないと確信する。




徹夜麻雀でボロ負けした筈のグランパが何故か逆にホンダさんから分捕ってきたのは数匹の鮎だった。

何でもブルドーザーのようにガツガツ食べるコー兄だが、川魚は少しだけ苦手らしい。

クーラーボックスの戦利品を見て、ほんの少し顔を顰めた。


「ふふん、コー兄。苦手が顔から漏れるようじゃ修行が足らないね」


私の言葉にむむっと言葉を詰まらせる兄だったが、グランマは彼のお腹をさすって予言する。

「ダイジョブ。あなたは今日も夕飯を大盛りで食べるでショウ」


さらにグランパはコー兄を作業に誘う。

「うむ。浩介、お前は今からワシとペンキ塗りをやろう。空腹は最高のスパイスだからな。お前にそれをプレゼントしよう」

グランパのコー兄へのお誘いは基本的に命令である。

私もコー兄もそれは承知している。私の兄はむむむと唸った。





アフタヌーンティの仕度を手伝いながら、私はグランマに尋ねる。

「ねえ、グランマ。わざとやったでしょ」


「オウ?何のことデースカ。ゼンゼーン、ワタシ、ワカリマセーン」

グランマが両手を広げる。ナイフ持ってるんだから危ないでしょ。


「そういうときだけ、ガイジンの真似する。グランパの老眼鏡あそこに置いて、コー兄の驚く顔を楽しんでたでしょ」


「フフフ、あんまりアナタたちが魔女狩りごっこで楽しそうなんで、お手伝いしたんデスよ」


「でも、じゃあグランマ。この褐色のパテは…?」

私は件の大きなガラス瓶を持ち上げる。


「兎のパテですネ」


「えっ、まさか」

私は思わず庭に面した窓を見る。

燻製小屋のペンキ塗りをする楽しそうな兄と祖父、その横の兎小屋…


「はい、一匹いただきました」

何と…これはこれで。


そうか、それで庭で『ごめんなさい。マー君』と手を合わせてたのか。


「ダーリンとの約束です。10匹を越えたら食糧にしていくと。ま、元々非常用食糧のつもりで飼育してるんで、本来の使い途デスね」


グランマの話では最初5匹から飼い始めた兎だが、元々食用としての飼育だったようだ。それから増えすぎると潰して食肉にしているとのこと。


「グランマがさばくの?」


グランマが笑う。

「まさか。それは無理デス。角のカドノさんちで処理してもらって、半分くらい肉を貰ってくるんデス」


私がもう一度恐る恐るという様子で瓶を覗き込むとグランマが冷蔵庫を開ける。

「正確に言うと、そっちは兎のレバーのパテでス。肉はこっちに冷蔵してありマスよ」

そう言ってバターを取り出し、冷蔵庫を閉める。

角のカドノさん、知らない方だけどありがとう。後で私も庭で手をあわせるとしよう。


「夕飯にダーリンが貰ってきた鮎をアヒージョにしまショウ。パテはバゲットにつけると美味しいデスからその時に」


いい匂いがしてきたので、私はレンジからマフィンを取り出す。

グランマが3日前に焼いたのを冷凍しておいたやつの温め直しだ。

今日のティータイムはこのマフィンとニガウリのジャム、そしてミルクティー…もう美味いのがここに並べただけでよくわかる。

私はそっとジャムを指先で『つまみ舐め』する。

「はっ、そうだ、グランマ。ニガウリってもしかしてゴーヤのこと?」


「知らなかったデスか?意外と甘いデショウ?」


「どおりでちょっと苦いかなと。でもなんでゴーヤがこんな色なの?」


「ゴーヤは青いうちに収穫するカラ知らない人も多いのデスが、ほっとくと熟してオレンジ色になるんデス。そうなると甘くてジャムに出来マスし、中の種もトロッとして美味しいんデスよ」

そう言うとグランマもティースプーンでジャムを一口ペロリと舐めた。

「成長すると別の旨みが出てくることもあるンデス」

今日も彼女の視線の先には廊下の2枚の絵があった。


私は零す。

「甘くなっても奥の方に苦いのは残るけどね」





今日も屋根裏のオレンジ色のランプが優しい色だ。

私は文庫本を閉じてカーテンを見る。

勘が冴えてるね。コー兄の手がニョキリと出てきた。

「ぐわし」


「何でしょうか」

私は例によって上半身だけコー兄の側の領域に侵入する。


「兎だったとはな」


コー兄が悲痛な顔をしているのでつい笑ってしまった。

「お替わりしてたくせに」


クッションに顎を置いた私にコー兄は芝居がかって顔を顰めた。

「ベルくんには気の毒だがあのパテは美味すぎる」


兎に名前があるとは。

私も夕飯のバゲットにタップリとつけて食べた兎のレバーパテの味を思い出す。

ねっとりと濃厚な味わいとコク、軽く塩味が効いていてバゲットに良く合う。

そこに合わせるのが『鮎とプチトマトのアヒージョ』だからたまらない。

私は元々パンにオリーブオイルをつけて食べるのが好きなんだ。


焼いたバゲットにレバーパテとクリームチーズ、そしてほろ苦い鮎の風味とニンニクが効いたアヒージョのオイル…今日もまた食べ過ぎてしまった。


グランパがパテを食べながら『ワシが眼を離した隙に、ごめんよ、マリー』と言い、グランマは『これはマリーじゃなくてベルですヨ。マリーはまだ生きて庭で草をモゴモゴ食べてマシタ』と横目で見た。

ベルはグランパの薄情さにガッカリしていることだろう。

私は兎に名前がついているのをそれで初めて知った。


「その後グランパは赤ワインがベストマリアージュだとか言って、グイグイ飲んでたな」

ますますベルが気の毒になってきた。


「真似したら駄目デスよ」

兄が羨ましそうなので、グランマの口調で釘を刺す。


「そのグランマだけど、僕の驚く様子を楽しんでたそうじゃないか。やはり魔女なんじゃ」

あんたが目論み通り怖がったり驚いたりするからでしょうが。





「華、グランマの言うことも考えてみたんだ」

コー兄が今度はホントの方の真面目な顔になった。


「どの話?」

私も少し顔をあげる。


「勉強が好きだから大学行くんでしょって」


「ああ、言ってた」


「僕は建築物が好きなんだ」

そういえばこっちに来て教会巡りとかもしていたね。


「大工さん?」


「そうじゃなくて…建築学をやりたい」


「設計士さんてこと?」


「そうかもしれないし、違うかも」

コー兄が眼をつぶってしばらく黙った。

私は口を挟まず待っている。こういう時、グランマも答えを急がないで待っていてくれる。


「古くて歴史のある建築物の研究をしたいんだ」


「へえ」


「『へえ』ってもうちょっと感心しなさい」


「そう言われても」

私が笑うとコー兄も笑った。

そうだよね。夢を具体的に口にするって難しいよね。




「華」

欠伸をした私にコー兄が優しい眼をする。


「うん?」


「廊下の華の絵、水色の教会が描いてあるだろう」

その絵についてはあまり触れてほしくないけれど。

この高原の街をすべて水色で描いた水彩画だ。

…母の真似をして描いた。


「小6の時の絵だよ。お恥ずかしい」

私はわざと明るく笑った。


「僕はあの絵が好きだ。隣の母さんの絵よりも」

コー兄は今までになく真剣だ。

「あの青い風景に出会ってみたいんだ」


「…」


「グランマが自分の好きなことを人に決めてもらうな…って言った。誰の役に立つのか立たないのかわからないけれど、僕は探してみたいと思ったんだ」

兄が言い終わって、少し照れくさくなったのか屋根裏の天井を見上げた。




それからいつものように他愛ない話をする。

コー兄からはクラブでいかに自分が上達して格好よく馬を乗りこなしているか。それによって女性達の眼が熱っぽくなっているかというホラ話。グランパがジャムになっていないのは良かったものの自分が魔女のオモチャになっているのではというホラー話。


私からは読みかけの文庫本が全然進まない話とグランマから聞いたゴーヤの話。

…何でかわからないけど川沿いで知り合ったあの女の子の話は言いそびれた。何でだろう。



カーテンを閉めてランプを消した。そして今夜はコー兄に明日の洗濯当番を押しつけ忘れたことを思い出した。





読んでいただきありがとうございます。

美味しいモノを美味しそうに書きたいのですが、なかなか難しいです。伝わっているでしょうか。

次回は「イチジクのジャムの巻」です。コー兄と栞さんの出会いをジャムのように甘酸っぱく描きたいと。続けて読んでいただけたら嬉しいです。

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