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コケモモのジャム キャベツのスープ

私のグランマが棲む家は兄いわく『魔女の屋敷』だそうだ。

その北欧風とも日本の古民家風ともとれる独特の雰囲気があるリビングで私と兄は祖母が並べるジャムの瓶を見つめた。


「そして…」

祖母が悪戯な微笑みを浮かべ、テーブルにコトンとガラスの瓶を置いた。

「これがサバのジャムですヨ」


「ええっ」「ぐえっ」

私と兄のコースケが同時にうめき声をあげた。


大き目のマグカップくらいのガラス瓶には茶褐色のペーストが入っている。

コー(にい)は密封してある瓶の前で鼻をつまんだ。

「サバって、あの魚のサバ?」


「そのサバですネ。少し食べてみマスか?」


祖母が瓶を開けようとしたので私は慌ててその手を押さえる。

「グランマ、いい!いいから開けないで!」


好奇心旺盛な兄はもう一度ガラス瓶の中の茶色いドロドロを眺める。

「それにしても…どうしてサバをジャムにしようとしたの?グランマ」


「フフフフ。それはネ」

祖母が腕を組んで、私たちを見た。

「イスタンブールにサバサンドというのがありマス」


「ああ、あれね。それで?」

兄はサバサンドを食べたことがあるかのように頷く。

こいつ、コー兄にはそういうところがある。


「それでサバはパンに合うと思ったのデスが…」

祖母がそう言って、いきなりガラス瓶の蓋を弛めた。


「あっ!」

私の制止は間に合わずガラス瓶が開けられてしまった。


「すごい臭いで…失敗でシタ!」

祖母は兄と私の鼻先に瓶の口をヒョイと持ってきた。


「うっ」「あああ」


私と兄が顔色を変えて鼻と口元を塞ぐと祖母は愉快そうに笑った。

「ホホホホ。失敗でシタ、シッパイ」




後ほど祖母がキッチンでコケモモを煮詰めながら私に教える。

(はな)、本来のジャムは果物とか野菜の水分を砂糖に置き換えて出来るものなのデス。サバは何してもジャムとは言えません」


「へえ、そうなの」

私は鍋に祖母の言うとおりの量のレモン汁を絞りながら頷く。そりゃそうだ。

小鍋からはコケモモの強い酸味が香ってくる。粒がしっかり見えるくらいのジャムにするのがポイントだそうだ。


「だからあれは…そうデスネ。サバのテリーヌとかパテとか、そういうものですカネ。ただ砂糖で甘く味付けをしたので、我が家では『ジャム』と呼んでいいことになっているのデス」

祖母はウインクをして、混ぜ棒でクルクルと真っ赤な中身をかき混ぜる。

「ま、私の故郷(くに)ではコンフィチュールが正しいんデスけどネ」

 

祖母は青春時代の前半までをスウェーデンとフランスで過ごしていた。

いろんな料理の作り方を学んだのはその頃なのだろうか。


「ジャムの方が『セッション』がありマスしね」

意味のわからない呟きをしてから、キッチン越しに廊下の壁の絵をチラリと見た。


私はそれに気がつかなかったふりをして話題を変えた。

「ねえ、グランマ。コー(にい)がグランマのこと魔女だって言ってたよ」

祖母がレモンの果汁を受け取って鍋に注ぐのを見ながら告げ口をする。


彼女は破顔した。

「オホホホホ。それはいいデスネ。私は昔から魔女に憧れていたデスから」


甘くて酸っぱい素敵なコケモモジャムの香りが小鍋からキッチン一杯に立ちこめた。

「これは肉料理にも合うんデスよ」






母方の祖母はスウェーデン人の父を持ち、そりゃもう北欧風の美貌をもつ女性だったと祖父がニヤニヤしながら言ったことがあった。(北欧風の美女というのが私にはわからなかった。兄は『ああ、つまりグレタ・ガルボね』と例によって知ったかぶりを)


もちろん今だって他の家のお婆ちゃんとはちょっと違う(ような気がする)

青緑の澄んだ目の色や高い鼻ときれいな唇の色、白い肌、銀色の髪の毛…。

何より所作だ。特に手の動きが何だかなめらかで私はよく目を奪われていた。

流行のお洒落とはいえないだろうけれど、祖母の着ている服は動きやすさと女性らしさを兼ね備えた柔らかみがあり、たいがいグレイッシュな落ち着いたトーンだった。

それは中学生の私からも格好よく上品に思えた。

つまり…私にとってグランマは憧れの、理想の大人の女性像だったんだ。




私と兄は毎年の長期休暇に祖父母の住む高原の家に遊びに行った。

最初は父や母に連れられ、物心ついてからは自分たちだけで。

そう、その滞在はごくごく居心地が良かったのだ。



祖母は私たちが来るとニコニコと喜んで迎えてくれたけれど、猫っ可愛がりするというほどのこともなく、私たちは食事以外は概ね放置されていた。

私たちに与えられた部屋は屋根裏の小さなスペースだったが、まずそこを自分の居場所として使えるように掃除し、毎日のベッドメイキングや洗濯をするのも自分たちだった。(主に私だ)


祖父の方はと言えば、こちらも放任主義のようで私たちの世話をする気は一切無く、むしろ庭に放し飼いにしているウサギの方を構っている時間の方が長かったかもしれない。

ただこっちも可愛がっている…という風ではなくホイホイと餌をやったりフンを片付けたり、淡々と世話をしていた。

大柄で白い鬚を蓄えた祖父も、まあ変わった人ではあった。(兄は『ワイルドサンタクロース』と)




さてこの家では思いっきり朝寝坊しても別段怒られないのに、手作りのパンが焼ける匂いで私たちは自然と早起きになった。食事の準備が出来るとチリンチリンとベルの鳴る音が響き、私たちはリビングにあるやや低目のテーブル周りに集まった。

それはグランパ自慢の大きな一枚板の欅テーブルだ。

まだ湯気の出ている焼きたてパンと自家製のヨーグルト、近くの農家に直接分けてもらっている大量の野菜を使ったサラダを祖母がトントンと置いていき、私も手伝う。


祖父が遅れて居間に入ってくると、さらに私たちの鼻腔は刺激された。

祖父は焼いたベーコンの大きな塊をまな板に載せたまま持っている。

いい感じに焦げたベーコンからは微かに煙が出ていた。

彼はそれをゴンとテーブルに置いてナイフで厚く切り、私たちの皿に取り分けるのだ。


「新作のベーコンだぞ。ブナとヒッコリーで強めに燻した。通好みだが…口に合うかな?」

祖父の燻製小屋はグランマの手入れした美しい庭に不釣り合いで、時々二人のもめごとの種になるそうだが、こんなベーコンが出来るのなら、私は断然祖父の味方だ。

祖父が肉塊にモギュモギュとナイフを入れると切り口からジュワリと油が滲み、たまらない薫香が立ちのぼる。


「口に合うかって…どう考えても旨そうすぎる」

兄は意地汚く『もっと厚めに、もっと!』と祖父にリクエストする。


焼きたてパン、手作りヨーグルト、新鮮な野菜サラダ、厚切りベーコン…私達はすべてを堪能した。

コー兄はとにかく何でも卑しくガツガツと食べるけれど、(まあ私もそうなんだけど)私の一番のお気に入りは祖母の作るジャムだった。

朝のパンにも使うが、午後のティータイムのスコーンやクッキーに載せてパクリと口にするそれは至福の味だ。


今日のアフタヌーンティーも件のコケモモジャムが供された。

コケモモの旨みが凝縮され、洗練されたその濃厚な味わいには苦めの紅茶が抜群に合う。

私はまだ粒々がしっかりと残る『コケモモの砂糖煮』みたいなジャムをたっぷりスコーンにのっけた。

深紅のジャムが素朴なキツネ色のスコーンに映える。

たまらず齧り付くと甘さの中に思いがけないほどの酸っぱさが現れた。そこへアールグレイの紅茶を一口…。

大げさだけど口の中でフワリと広がる幸せな風味で脳の真ん中へんから痺れるような感触だった。


…私たちはつまり祖父母に胃袋を掴まれていたのだった。





真夜中の屋根裏、カーテンの向こう側のコー兄が手を出し、親指と中指と小指の3本を立ててヒラヒラさせる。(本人は『ぐわし』と何か意味不明な声を出す)

話したいことがあるから集合、の合図だ。


「あのさ、華。グランマだけど」


私は寝転がったままカーテンから顔を出して、顎を兄側のクッションにのっけた。

「ふむふむ」


「やっぱり魔女だと思うんだ、僕は」

またか。


必要以上に真面目な兄の顔がオレンジ色のランプに滲んで私は笑う。

「コースケくん、君は確か高校2年生だったよね」


コー兄がムッとしてさらに口元に力を入れた。

「僕は見たんだ。あのスープ作りを」


「夕方の美味しいスープ?」

私は思い出す。今夜のキャベツのスープも絶品だった。

薄いブラウン色のスープにたっぷり入ったキャベツ…塩味と得もいわれぬ深い旨み。

まずこんがりと焼いた豚肉に大葉をそえ、玄米ご飯とともに口いっぱいに頬張る。

そこへこのスープを流し込めば、もうそれは芳醇な味わいだ。豚肉からジュワッと出た暴力的に美味しい脂を味わった後、スープが口の中をサッパリさせ、残るのは肉本来の風味と優しいキャベツの甘さだった。


思い出しただけで表情が緩む。

「美味しかったよねえ」


「馬鹿、華。美味すぎなんだよ、あのスープには絶対何か秘密がある」

コー兄の表情は真面目そのものだ。美味しいならいいじゃん。

「僕はね、実は昼間グランマがあのスープを仕込むのを目撃したんだ」


「…今、馬鹿っていったね」


「いや、スマン。それより…あのスープにグランマが入れた物…聞きたいか?」


「別に。おやすみなさい」

私はカーテンを閉めて寝るふりをした。


「ま、待て。驚くから、ホント」

コー兄は慌ててカーテンの隙間に手を入れて、私の陣地に顔を半分入れた。


「領空侵犯!約束通り明日の洗濯当番は兄貴ね」

私は思わず笑って、もう一度布団から身体を半分起こした。


「うう、わかったよ。聞いてくれ」

これで私よりも4歳上で、高校では生徒会長とは笑っちゃう。


「はいはい、どうぞ」

私はパジャマの上で腕を組む。


「グランマ、スープにヤモリを入れてた」


コー兄が本当に悪魔にでもあったような大げさな恐怖顔をしたので私は吹き出す。

「プーッ、ヤモリはないでしょ。見間違いじゃない」


「いや、このくらいの大きさで黒くてグランマが尻尾を掴んでたけど、手があった。あれはヤモリだ」


コー兄はなおも言い張るが私は欠伸をして、カーテンを閉めた。

「だとしても、ヤモリの黒焼きは食用で薬だってグランマが言ってたじゃん」


カーテンの向こうからコー兄の声が聞こえる。

「それにしてもグランマの料理は謎が多すぎる。今日のヤモリやこの前のサバジャム…これから何を食べさせられるか恐怖だぞ。何しろばあちゃんは魔女だ」


兄のぼやきを聞きながら私はランプを消した。

昼間、あちこちサイクリングをしたせいで心地よい疲労感がある。

明日は近くの川で泳いでみようかな?水が冷たいかな?明日のジャムは…?


グランマ魔女説は置いといて明日のジャムは気になるな。

なぜこの兄は時々『グランマ』と『ばあちゃん』が混ざるのか。

恐怖という割には食卓に誰より早く着き、誰よりも大量に食べるよね。

だいたい魔女だという時、嬉しそうなのはどうして?


美味しいから何でもいいけど…できたら爬虫類じゃないといいな。あれ?ヤモリは両棲類??

イモリとヤモリって違うんだっけ…Zzzzzzzzzzzz


読んでいただきありがとうございます。

しばらく続きますが、事件は起こりません。

けれど次回、ヤモリスープの秘密が明かされ、お祖父ちゃんがジャムになります笑。

よろしければ続けてお読みください。

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