【短編版】他人の寿命が見える私は、婚約者の命が残り3ヶ月だと知っている ~婚約破棄されて辺境の実家に帰ることになった令嬢は、隣国の王子から溺愛されます~
「貴様との婚約を破棄させてもらうぞ、メアリー」
アンドレア公爵が眉根を顰めて、そう宣言する。背が高く、美しい相貌を持つ彼だが、その表情には嫌悪が滲んでいた。
「私との婚約を破棄するとは正気ですか?」
信じられないと、メアリーもまた目を細める。澄んだ朱色の瞳には、失望に似た怒りの炎が浮かんでいた。
「貴様との付き合いは長い。婚約を破棄することに躊躇いがないと言えば嘘になる」
「ではなぜ?」
「決まっている。『魔女のメアリー』と忌避される貴様との婚約のせいで、我がアイスビレッジ公爵家の評判が地に堕ちたからだ」
「嘘は止めてください。私と婚約する前から、貧乏公爵としてアイスビレッジ家の評判は最低でしたよ」
「そ、それは……」
「その状況を私が変えてあげたのです。感謝されこそすれ、疎まれる理由はありません」
「うぐっ……だ、黙れ、黙れ!」
「図星を指されると、声を張り上げるのも子供の頃から変わりませんね」
「~~~~ッ」
顔を耳まで赤く染めながら、アンドレア公爵は怒りを顕にする。だが何も言い返せないのは、メアリーの言葉が真実だからである。
(アイスビレッジ家のために尽くしてきたのですが無駄に終わりましたね)
メアリーは辺境伯領の生まれである。他国との国境を守護する立場にあるため、幼い頃より魔術の腕を鍛えられてきた。
それ故、彼女は師団にさえ匹敵するほどの力を持つ魔術師へと成長した。その腕を買ったのがアイスビレッジ公爵家だった。
広い領地を持ちながらも、魔物が出没するため、まともに作物の収穫ができないアイスビレッジ家は、貧困に苦しめられていた。
そこで彼らは考えた。腕の立つ魔術師を婚約者として迎え入れ、魔物の脅威を消し去ることで、領地を繁栄させようとしたのだ。
狙いは成功し、メアリーは魔女と称されるほど魔物を狩り尽くした。その力は領民たちを畏怖させたが、安全になった領地では作物の栽培が盛んになり、大きな繁栄を遂げた。
周囲から疎まれるようになったメアリーだが、婚約者のアンドレアが感謝してくれさえすればいい。そんな甘い考えを吹き飛ばすような裏切りが、突きつけられた婚約破棄だった。
「それで私を捨てて、誰と婚約するのですか?」
「ゴールデリア公爵家の令嬢だ。同じ公爵家同士。素晴らしい縁談になる。我がアイスビレッジ家の名も高まるというものだ」
「私が魔物を討伐しなければ、成し得なかった婚約なのに、よく胸が張れますね」
貧乏公爵家のままなら、この縁談はまとまらなかっただろう。面の皮もここまで厚いと感心させられてしまう。
「とにかく、貴様の利用価値はなくなった。婚約は破棄する。分かったな」
「構いませんよ」
「随分とあっさりだな……」
「後悔するのはきっとあなたの方ですから」
「どういうことだ……」
「いずれ分かることです」
釈然としない表情を浮かべるアンドレア。だがそれも無理はない。
(あなたには私のすべてを語ってはいませんでしたからね)
メアリーは生命力を操る光の魔術を得意としていた。本来なら治癒や呪いの解除に利用する能力だが、メアリーはその力を発展させて、他者の生命力――つまりは余命を視認できた。
(あなたの命が残り三ヶ月しかないと……教えてあげる義理はないですね)
婚約破棄を受け入れ、メアリーはアイスビレッジ公爵家を後にする。背中から虚勢を張った彼の高笑いが聞こえてくるが、彼女は冷笑で受け流すのだった。
●
婚約破棄されたメアリーは実家へ帰るため馬車に揺られていた。畦道を進む車窓の外に広がる小麦畑は見覚えのある景色のままだ。
(屋敷の皆さんと会うのも久しぶりですね)
アイスビレッジ公爵家に嫁いでからは魔物討伐で忙しく、実家に帰省する暇さえなかった。
久方ぶりの再会を心待ちにしていると、車窓に映る景色が変化し始める。高い城壁と設置された砲台、隊列を組んだ兵士たちの掛け声が響くようになった。
(兵士たちの精強さも変わらないですね)
国防の要として国内最高の軍事力を誇る軍隊。それこそが辺境領軍である。
一流の魔術師や剣士が国中から集結し、他国との戦争に備えている。これだけの人材を登用できるのは、将軍であるメアリーの父の存在も大きかった。
世界最強の魔術師と剣士、彼は両方の称号を持つ英雄だった。その彼に憧れて人材が集まってくるのだ。
英雄の血を引き、幼い頃より鍛えられたからこそ、メアリーもまた魔女と称されるほどの力を手に入れた。
その力が婚約破棄に繋がったのだと思うと、苦笑が漏れる。彼女の心情に合わせるように、馬車のスピードも徐々に落ちていった。
「お嬢様、屋敷に到着しました」
「ありがとうございます」
馬車が停車し、御者が扉を開く。すると玄関先では見知った顔が待ち構えていた。
「メアリー、無事だったか!」
髭を蓄えた銀髪の男が駆け寄ってくる。見上げるほどの高身長と、鍛えられた肉体、整った容姿は昔と変わらない。メアリーの父――レオル辺境伯である。
「婚約破棄されたと聞いたぞ」
「私と別れて、公爵家の令嬢と結婚するそうです」
「ふざけた真似を……我が軍の力で、アイスビレッジ公爵領を更地にしてやろうか?」
「必要ありませんよ」
「だが……」
「どうせ、あの人の余命は三ヶ月しか残されていませんから」
「――ッ……そうか……」
レオルはメアリーの師であるため、彼女が余命を視認できることも知っていた。三ヶ月後には命を落とすと知れたことで溜飲が下がったのか、冷静さを取り戻す。
「まぁ、男なんて星の数ほどいるんだ。俺が新しい縁談を――」
「気持ちだけ受け取っておきます」
「しかしだな……」
「当分、一人でいたいので」
「そうか……」
レオルの厚意には感謝するが、すぐに気持ちを切り替えられるほど器用でもない。頭を下げて、屋敷の最上階にある自室へと逃げ去るように移動する。
(久しぶりの我が家ですね……)
ベッドに飛び込むと、枕に顔を埋める。不在の間もきちんと洗濯されていたのか、お日様の匂いが心地よかった。
(精一杯、尽くしてきたんですけどね……)
魔物討伐のために、我が身を危険に晒したのは、すべてアンドレア公爵のためだ。別れ際も気丈に振る舞ったが、ショックを感じてないといえば嘘になる。
「男性を見る目がないのかもしれませんね……」
独り言をボソリと漏らすと、箪笥から影が飛び出してくる。白い子猫に見覚えがあった。
「シロ!」
「にゃ~」
「昔と変わらず、小さいままですね」
成長が遅いのか、そういう猫種なのかは分からないが、手の平サイズの白猫は、メアリーが子供の頃から飼っていた姿のままだ。
傍まで駆け寄ってくると、ベッドの上で丸まった。
「私を慰めに来てくれたのですか?」
「にゃ~」
「ふふ、可愛いですね」
頭を撫でてあげると、嬉しそうに甘えた声で鳴いてくれる。婚約破棄の悲しみが一気に吹き飛んだ。
「でも私が不在の間、いったい誰が世話を……」
「にゃ~」
シロが廊下に視線を送ると、扉がノックされる。入室してきたのは美しい銀髪の男性だった。白磁の肌はシミ一つなく、見惚れるほどの美貌だ。
「メアリー……」
「あなたは?」
「僕のことを忘れたのかい?」
「まさか……カイン殿下ですか?」
「正解。幼馴染の顔を忘れられたら困るね」
カインは隣国の王子だ。剣の腕を鍛えるため、幼少の頃から辺境領に預けられていたため、メアリーとは幼馴染でもある。
「もしかしてシロの世話をカイン殿下が?」
「僕の趣味みたいなものさ。気にしないでくれ」
カインは子供の頃から動物が好きだった。趣味というのも本心だろう。
「それよりも聞いたよ。婚約破棄されたんだよね?」
「私を笑いますか?」
「まさか。君は僕の親友だ。その君を傷つけるやつを許せないだけさ」
目の前にいたら、剣の錆にしてやると、彼は続ける。メアリーのために心の底から怒ってくれる優しさが心に染みた。
「僕なら君を不幸にしないのにな……」
「殿下、その台詞は私でなければ勘違いしますよ」
「されてもいいんだが……」
「ふふ、殿下の心遣いに感謝します」
慰めてくれたカインに、メアリーは礼を伝える。婚約者を失っても、親友が傍にいてくれる。それだけで前向きな心持ちになれるのだった。
●
婚約破棄から三ヶ月が経過した。アンドレアは屋敷のベッドで横になり、苦悶の声を漏らしていた。
「……っ――い、痛いっ……」
額には汗が浮かび、手足を動かすたびに激痛が奔る。このような症状が現れたのは、一ヶ月ほど前だった。
最初は小さな違和感だった。体を動かすと関節が軋むが、我慢出来ないほどの痛みではなかった。
しかし日を追うごとに痛みは増した。領内一の名医を呼びつけ、診断させた結果は、ウィルス性の心臓病だった。
治療法が確立されておらず、医者も匙を投げるしかない状況だった。さらにこの病は感染するため、恐れた使用人たちは屋敷から逃げ出した。
さらに婚約者の公爵令嬢までもが、縁談を白紙に戻してほしいと申し付けてくる始末だ。
すべてを失い、孤独になった彼は、人生の終焉を感じ取っていた。話し相手も失った彼は、壁に掛けられた絵画に視線を送る。
そこにはメアリーとの仲睦まじい姿が描かれていた。気まぐれで残しておいた一枚だが、捨てなくてよかったと今になって思う。
「昔はよく看病してもらったな」
子供の頃のアンドレアは病弱だった。体調を崩すと、そのたびにメアリーは付きっきりで傍にいてくれて、おかゆを作ってくれた。
「あの味が恋しいな……」
使用人がいなくなったため、調理も満足にできない。だが空腹はそんな事情を考慮せずに襲ってくる。
アンドレアはベッド脇に置かれたカビの生えたパンを齧る。口の中に不快な食感が広がり、いつの間にか目尻から涙が溢れていた。
「うっ……っ……どうして俺は婚約破棄なんて馬鹿な真似を……」
思い返せば、メアリーは本心から愛してくれていた。いつだって傍にいてくれたし、魔物討伐も彼のために尽くしてくれただけだったはずだ。
それなのに彼女を裏切ってしまった。涙がポタポタとパンの上に落ちる。
「帰ってきてくれ……っ……メアリー……」
虚空に向かって叫ぶが、誰もいないはずの屋敷で反応があるはずもない。だが彼の予想に反して、足音が届いて扉が開かれた。
「私の名前を呼びましたか?」
「メアリー……どうして……」
「あなたの死に顔を見に来ました。聞きましたよ。婚約者から見捨てられたそうですね」
「ああ……」
「私の気持ちが少しは分かりましたか?」
「今では後悔している……俺は大切なものを捨てた大馬鹿者だ……」
メアリーはベッドの傍に置かれていた丸椅子に腰掛ける。両手両足と違い、首から上は動かしても痛みがない。
精一杯の謝罪を込めて、申し訳無さそうに顔をクシャクシャにする。その懺悔を彼女は満足げに受け入れた。
「この三ヶ月で、随分と心変わりしたものですね」
「後悔する時間はたくさんあったからな……メアリーは変わらないか?」
「私も変化はありました。幼馴染と再会したおかげで、あなた以外にも大切な人がいると知れたんです。隣国の王子で、とても優しい人なんですよ」
「いい男なんだろうな……」
「私を捨てたあなたよりは」
「そうか……」
「では死に顔も見れたことですし、私は帰るとします」
椅子から立ち上がろうとするメアリー。そんな彼女に縋るような目を向ける。
「ま、待ってくれ……あ、あの……悪かった……酷いことをしてしまったと反省している」
「そうですか……」
「だから……俺が死んだ後も俺のことを忘れないでほしい……頼む……」
「厚かましい願いですね」
「自覚している。ただ仲違いしたまま死にたくないんだ……」
目尻から涙をこぼしながらアンドレアは謝罪する。その彼を見下ろしながら、メアリーは瞳に多くの感情を浮かべた。
「私はあなたを許しません」
「今際の際の願いでもか?」
「残念ですが、それは違います。あなたはまだ死にませんから。きっともう数年くらいは長生きしますよ」
光魔術は生命力を操作するため、残り僅かな余命を伸ばすことも可能だった。メアリーは置き土産代わりに彼を治療してあげたのだ。
(反省しているようですし、命だけは救ってあげましょう)
もちろん婚約破棄を許したわけではない。あくまで死ぬのは可哀想だからと余命を伸ばしてあげただけだ。
アンドレアはメアリーが治療したことを知らない。だが彼女が去るまで、頭を下げ続けた。それは本心からの謝罪だった。
●
アンドレアを治療してから数ヶ月が過ぎ、婚約破棄で負った心の傷も癒えた頃。メアリーは自室に届いた大量の花束に呆れ顔を浮かべていた。
「毎朝届くよね。君のファンからかな?」
カインも呆れ顔で訊ねる。
「元婚約者からですよ。反省の印だそうです」
「後悔するなら、最初から婚約破棄なんてしなければいいのに」
「あの人は馬鹿ですから……」
「もしかしてまだ好きなのかい?」
「まさか。当分、恋愛はお腹一杯です」
「僕が相手でもかい?」
「カイン殿下とはいつまでも友人でいたいですから」
「残念。いつでも王妃の椅子は空けて待っているから」
「ふふ、面白い冗談ですね」
親友の軽口として、メアリーは受け流す。それを残念に想いながらも、カインは優しげに微笑む。
「君は変わらないね」
「そうですか?」
「覚えているかな。子供の頃、大怪我を負った僕を君が救ってくれたこと」
「そんなこともありましたね」
「その頃からずっとアプローチしているのに、君の心にはちっとも響かない」
「殿下が冗談ばかり口にするからですよ」
「きっと、いつか振り向かせてみせるさ」
「ふふ、私は難攻不落ですよ。なにせ魔女のメアリーですから」
一筋縄ではいきませんよと、メアリーは微笑む。その笑顔は魔女というより、聖女のように輝いていたのだった。
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《タイトル》
【連載版】他人の寿命が見える私は、婚約者の命が残り3ヶ月だと知っている
~婚約破棄されて辺境の実家に帰ることになった令嬢は、隣国の王子から溺愛されます~
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