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『街の放浪癖』

『街の放浪癖』



萩原朔太郎の、『猫町』を読んだことがある人なら、俺が書こうとしている、『街の放浪癖』を読めば、似たり寄ったりじゃないかこんなもの、と言われるかもしれない。バックグラウンドには、確かに、『猫町』は、あるにはある。



しかし、俺は実際、萩原朔太郎の住んでいた町や空想を、実体験として持ってないから、俺なりの『猫町』になることは当然だろう。俺には、バスで少し出たところに、駅前がある。その駅の周囲には、数々のもの、ーつまり店や自販機や休憩場などー、があり、そこを隈なく歩きまわるのである。



これを、『街の放浪癖』だの、ちょっと大げさに言っている訳だが、確かに店も変わるし、自販機の内容も変わるし、休憩所も、人が疎らに座っていて、俺がいつも同じ場所を取れる確証はないのである。だから、放浪せざるを得ない、と言ったところか。



『猫町』の様に、猫の大群が見えたりすることはないにしても、俺には俺の街の見方があって、それは、人々の流動性とでもいおうか、それこそ、放浪している、架空の同胞に、出くわすだけでも、軽く会釈をして、無言の会話を果たすのだ。



また、場所、場所の、異なる位置から見える街の姿は、脳裏に焼き付き、その日の放浪を終えると、全ての映像が、何か映画でも観てきたかのような、感動にしばし浸らせるのである。だから俺は、この放浪を止めない、『街の放浪癖』、となるのである。



結句、俺は、毎日、無数の無限と言った量式の、体感をするのであって、それらが小説執筆に役立っていることは、間違いない。二度と同じ景色が見えない駅前を、俺は今日も、限りある時間で、放浪する、という訳である。

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