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伯爵様の遺言

「ともかく、まずはこの"泣いた絵"の解明に全力を注ごうと思うの」


 起床と同時に宣言した私に、エレナから返ってきたのは「左様でございますか」といつもの淡々とした相槌のみ。

 けれど制止が入らないということは、エレナも同意してくれているということね。


 よし、と意気込んだ私は今日もトーマスを連れ、二コラ様のお屋敷にやってきた。

 絵に、変化はない。


「ああ、やっぱり」


 気になることがあるからと一緒にパーラーに来ていたトーマスが、絵よりも窓から見えるリンゴの木に興味を示して呟く。


「いやね、ずいぶんと立派に育ってるもんでしたから、さぞかしこっちにも影響があるだろうと思ったんすが……案の定、ってやつっすね。せっかくいい向きにある部屋なのに、これじゃあ日中も陰ってしょうがないでしょう。どうしやす? この際にばっさりいっときやすか?」


 ちょきちょきと片手を鋏に見立てて二つの指を動かすトーマスに、慌てて「ちょっと、トーマス!」とその指を掴み制止をかける。

 トーマスにとっては"邪魔な木"なのだろうけれど、あのリンゴの木は二コラ様にとって思い入れのある木。


「失礼いたしました、二コラ様。彼は事情を知らないものでして」


 急ぎ頭を下げると、二コラ様は「気にしていませんよ」と微笑み、


「僕も同じように思っていましたから。わざわざ陽を遮るなんて、勿体ないと。母が、どうしてもあの木が好きだからそのままにしておいてほしいと、頑なだったもので。そんな母もいなくなりましたし、ひと思いに切ってしまったほうが良いのでしょうが……」


 二コラ様が、ちらりと絵を見遣る。


「もう少し、このままにしておきたいと思います。せっかくご提案いただきましたのに、申し訳ありません」


 トーマスは「そうっすか」と肩をすくめ、


「切りがいのありそうな木だったもんで、残念っす」


 その後は何か少しでも手がかりになればと、二コラ様のお父様が使っていたというお庭の小屋を見せてもらえることになった。


「この別邸で過ごす間、父はほとんどの時間を小屋にこもり、一人で絵を描いていました。生前の父は、母も使用人も、もちろん僕も。誰一人として中には入れなかったと記憶しています」


 開錠し、開かれた扉から覗き込んだ内部は、昼間だというのに薄暗い。

 おそらくは小さな窓が屋根に一つと、横の壁に一つしかないから。

 屋敷の一部屋ほどの大きさしかないようだけれど、三角に組まれた屋根が高いからか不思議と圧迫感はない。


「お父様が外で描かれることはなかったのですか?」


「ええ、一度も。描いている姿を見られるのが嫌だったのか、描いた絵を見られるのが嫌だったのか、今となってはわかりませんが。描いた絵も、けしてこの小屋から出そうとはしませんでした。自分はただ好きに描きたいだけで、誰かに見て欲しいわけではないと、よく言っていましたね」


 二コラ様の言葉通り、他に人を入れることはなかったよう。

 座れる場所といったら、伯爵家当主が座っていたとは思えない、簡素な木製の椅子だけ。


 開かれたままのイーゼルは全部で五組。

 そのどれにも絵が置かれていたのだろうけれど、今支えているのは空虚のみ。


 備え付けの棚に置かれていたのは、使い古した大小異なる筆や刷毛の数々と、蝋燭にランタン。

 数個のキャンドルフォルダに、画材となる顔料の入った小瓶や油。


 それと、絵の具を混ぜ合わせるために使っていたと思われる大理石の板や陶器の板に、パレットナイフ。

 小皿に小鍋、それからまっさらなベニヤ板やキャンバスが数枚。

 他にも細々としたものがあるけれど、どれもが木箱に収められ、きちんと整頓されている。


「元より几帳面な人でしたから、僕たちはほとんど触っていません。ただ、父の死後はまだ、あちらこちらに描き上げた絵が積まれていました」


「全て燃やしてほしいとのご遺言があったのだとか?」


「はい。家族以外の誰にも見せることはなく、必ず全て、その手で燃やしてほしいと書かれていました。ですが……」


「お母様が、あの絵だけはと」


 二コラ様は憂うように瞼を伏せ、


「母も、父の絵は見たことがなかったそうです。なのであの絵を見つけた時は、本当に嬉しそうにしていて……。父の意志に反するとはわかっていたのですが、母の悲しみが少しでも紛れるのならと、あの絵を残してしまったんです。せめて……母が亡くなった時に燃やしてあげたなら、あの絵の母は泣かずにすんだのかもしれませんね」


 苦笑する二コラ様がなんだか弱々しく見えて、私は「ですがっ」と声を上げる。


「ですが、あの絵を残されていたのは、二コラ様がお父様に続いてお母様を亡くされた悲しみに耐えるためだったのではありませんか? 私の両親はまだ健在ですが、二人がいなくなったらと考えるだけで、胸が押しつぶされそうですもの。その息使いを、姿を思い起こせる品を自ら処分するなんて、きっと出来ませんわ」


「シャロン夫人……」


「もう少しだけ、お時間をくださいませんか、二コラ様。怪異の理由が見つからないから"幽霊"の意志だとするのなら、理由さえ見つかれば、悲しむ"幽霊"などいないという証拠になりますでしょう?」

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!

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