貴族の"普通"は難しい
「エレナ、私ね。私のお母様が大好きだわ」
「ええ、よく存じております」
「そんなお母様がもしも死んでしまったとして、私への恨みから"幽霊"になったと噂されて恐れられたらと考えると……とても、心苦しいの」
私は決意を持って、エレナを見上げる。
「"幽霊"なのか、そうでないのか。決めるのが生きている私達なのだとしたら、私は"そうでない"理由を見つけたいわ」
エレナの肩がぴくりと揺れる。
それから小さく息をついて、「シャロン様が、お決めになられたのでしたら」と頭を下げた。
私は少しびっくりして、
「今回は止めないの?」
私が思いついたら行動しないと気が済まない性格だと承知しているエレナは、それでも欠かさず、"止めたほうがいい"と制止をかけてくれるのに。
エレナは驚く私の丸めた双眸を受け止めてから、
「シャロン様が絵を拝見しに自ら赴いた時点で、覚悟は出来ております。シャロン様のご性格は、幼少の頃よりよく存じておりますから。リック様からも、今回の件は奥様の気のすむまでお手伝いして構わないと許可を得ております」
「え!? いつの間にそんな話を……」
「おっしゃったではありませんか。"普通"の考えでは、シャロン様の侍女は勤まらないと。"幽霊"、"泣いた絵"などと聞けば、普通のご令嬢は震えあがるでしょうが、私の知るシャロン様は、より好奇心を刺激され目を輝かせるものです」
エレナはさも当然のような顔で告げると、
「内容が内容ですので、"おもちゃ部屋"への入室もお好きになさってくださいとのことでした。もしかしたら、お力になれる物があるのではないかと」
「"おもちゃ部屋"……!」
クーパー邸には、"おもちゃ部屋"と呼ばれる部屋が存在している。
この部屋に飾られているのは、エイベル様が世界各国から集めてきた、価値あるものから風変わりなものまで千差万別のコレクション。
基本的には執事のリック様と、メイドのアネットくらいしか入らないそうなのだけれど、私は「いつでも好きにしてくれて構わないよ」とエイベル様直々に入室の許可を得ている。
エイベル様は商人としての手腕と功績が王室に認められ、男爵位の叙爵を受けた。
その彼自身が不在な最中、彼の"功績"の歴史ともとれるその部屋を好き勝手暴くのは気が引けたのだけれど。
リックに案内され、一度覗いたその部屋を見て、考えを一変。
ずらりと並んだ品々はどれもこれもが生まれて初めて見るものばかりで、大量のお菓子を前にした子供のようにはしゃいでしまったのを今でも覚えている。
社交界の一部では気味悪がられているという"おもちゃ部屋"にすっかり魅了されてしまった私は、少しでも収められた品々の背景を知りたいと、時折リックと共に入室し、解説をお願いしていた。
たしかにあの部屋には、絵画も数点あったはず。
「そうよね、何か手がかりになりそうなものがあるかもしれないわ。食べ終わったら、さっそく行ってみましょう!」
希望の光が見えたと安堵するが早く、口内にいれたお肉もお野菜も、一気に美味しさが増してくる。
そんな私の様子を呆れたように見守っていたエレナは、「シャロン様」と口にすると、
「サールマン伯爵様のご不幸を憐れみ手を貸すのは結構ですが、シャロン様は既に夫を持つ身にございます。あまり軽々しく他の殿方に触れるのは、お止めになったほうがよろしいかと。勘違いをさせて、不貞の誘いを受けても厄介ですから」
「んふっ!?」
ごくりと飲み込んでしまったお肉が詰まりそうになって、慌ててグラスに口をつける。
エレナが背をさすってくれる感覚。胸のつっかかりが取れて落ち着いたところで、私は「不貞って……」と目尻を指先で拭った。
私も二コラ様も、ほんの数日前に"はじめまして"を交わしたばかり。
今だってただ協力関係にあるというだけで、異性としての恋慕はおろか、友情すら育めてはいないというのに。
それをいきなり、不貞って。
貴族の世界では"普通"なのかしら。
そもそも、伯爵家当主で気遣いも出来る二コラ様が、私のような"田舎娘"に手を出すほどお相手に困っているとは考えにくい。
「ちっとも淑女らしくない私相手にそんなお誘いが来ることはないでしょうけれど、エレナの言う通りね。"クーパー男爵夫人"として、軽々しく旦那様以外に触れるべきではなかったわ」
「シャロン様。シャロン様はもう少しご自分の魅力について、ご自覚を持つべきにございます」
「もう、エレナったら。小さい頃から変わらずに私を好いてくれるのは嬉しいけれど、それは"身内びいき"というものよ。さすがの私でもわかるわ」
「いえ、そうでは……」
「さ、しっかり美味しく頂いて、早く"おもちゃ部屋"に行かなきゃ」
再び食事を再開した私に、エレナが諦めたようにして押し黙る。
お父様もお母様も、弟のテッドも。
そしてエレナも含め領地の皆は私のことをよく可愛がってくれていたから、小さい頃は本当に自分が愛らしいのだと勘違いをしていたほどだった。
歳を重ね、分別がつくようになるった今は、皆のそれが自身の近しい者に向ける愛情なのだと理解できるけれど。
それでも愛してもらえるのは純粋に嬉しいので、心はポカポカと温かくなってしまう。
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