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幽霊男爵のおせっかい夫人~借金返済のために結婚した令嬢の、愛され問題解決録~  作者: 千早 朔


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込められた"愛"の可能性

 二コラ様が絵を見遣る。

 絵の具の付いた指先と絵を何度も見比べ、ぐっとその手を握りこんだ。


「……母は病気を患ってからも、死を恐れてはいませんでした。父が、待っているからと。ちゃんと再会出来ているといいのですが」


「信じましょう、二コラ様。"幽霊"の是非を定めることが出来るのは、私達"生者"だけですもの。私達がきっとそうだと思い込んでいる間は、それが真実になります」


「……なるほど。素敵な"思い込み"ですね」


 ――どうか安らかに、と。

 絵に向け囁いた二コラ様の目元は、愛おし気な目をした絵の女性とよく似ていた。



***



「お世話になりました、シャロン夫人。明日からは、当家の庭師を連れて来ることが出来そうです」


 トーマスが道具を荷馬車に詰め込んでいる間、お見送りにと外に出て来てくれた二コラ様が安心したように笑む。

 二コラ様はこの後あの絵を外し、焼いてしまうのだという。


「元よりそうした遺言でしたし、あちらで母が叱られていては不憫ですから」


 そう告げる二コラ様の笑みには、ほんの少しだけ寂しさの名残が。

 けれどもこれまでで一番清々しい表情をされているから、私も「そうですか」と微笑むに留める。

 二コラ様は静かに、お父様のアトリエだった小屋を見遣った。


「なぜ、父はあの絵の瞳だけを蝋にしたのでしょうね。他の絵を全て焼いてしまう前に気づいていれば、父のこだわりから法則性を見出すことも出来たのかもしれませんが……。父と、もっと話をしておくべきでした。昔からあまり会話をしたがらない人だったからと、僕も、無関心すぎましたね」


 後悔ばかりでいけませんねと苦笑する二コラ様に、私も同じく小屋を見遣る。

 私は少し考えてから、


「私に蝋画の知識を授けてくださった方の話によると、蝋画は"描く"のではなく、"焼き付ける"と言うそうです」


「焼き付ける……?」


「ええ。熱した蝋を画布などの表面に"焼き付けて"描く手法なのだと。本来の蜜蝋画は全て蝋で作られた絵の具を使用しますから、最後に絵の表面を熱で溶かして、絵の具同士を馴染ませて完成させるのだと教えてくださいました」


 私はあの絵の蝋と良く似た、藍色の瞳を見上げ、


「私、こう思うのです。お父様は、二コラ様のお母様の瞳を一番"焼き付けたかった"のではないでしょうか。私には、二コラ様のお父様の絵もまた、言葉なき遺言だったように思えます。だって、"誰にも見られたくはない"のなら、決して絵を見ないようにという一文を添えるか、小屋ごとの焼却を願うべきですもの。わざわざご家族を指定し"その手で燃やしてほしい"だなんて、必ず見てほしいとおっしゃっているようではありませんか?」


「!」


「健康でらしたお父様が遺言状を残されていらしたのは、その身に"万が一"が起きた場合のためだったのでしょうが……。あの絵を通して、お母様と二コラ様に伝えたい"何か"があった。あの、惜しみない愛情が込められていたお母様の絵を思うと、そう感じてならないのです」


 いかがでしょう、と首を傾げた私に、二コラ様が片手で目元を覆って俯く。


「……感謝します、シャロン夫人。本当に僕は、鈍くていけませんね」


 二コラ様は深く息を吐きだしてから、


「父の絵には、他にも母の絵がありました。僕の姿も、幼き頃からいくつか。他には母が好んだあのリンゴの木や、本邸の庭園に咲く薔薇と、多種多様ながらどれも父の身近なものばかりが描かれていて。……絵を見た当時はただ、小屋にこもって想像を頼りに描くがために、身近なものしか"描けない"のだと考えていました。けれどもしあれらが、父が"選んで"描いたものだとしたら。父は僕が想像していた以上に、僕たち家族を大切に思ってくれていたのかもしれません」


 潤んだ藍色の瞳が、晴れやかな空を見上げる。


「……僕も、愛されていたんですね」


 ぽそりと落とされた呟きは、澄んだ青の向こう側で見守ってくれているだろうその人に宛てたもの。

 二コラ様はさりげなく目元を拭うと、今度こそ、全てが吹っ切れたように清々しい微笑みを私に向けた。


「シャロン夫人。お困りの際は、いつでも声をかけてください。僕に出来ることは、何でもお手伝いさせていただきます」


ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!

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