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幽霊男爵のおせっかい夫人~借金返済のために結婚した令嬢の、愛され問題解決録~  作者: 千早 朔


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おせっかい夫人は"泣いた絵"を暴く

 バクバクと騒ぎ立てる心臓を抑えるようにして胸に手をやりながら、絵の前まで踏み入る。

 見遣った絵は――。


「変化が、ない……?」


 愕然とした呟きを吐き出したと同時に、全身の血がさっと引くのが分かる。

 よろめいた私の両肩を、エレナが即座に支えてくれた。


 やっぱり、違ったのかしら。

 仮説は仮説でしかない。

 二コラ様まで振り回しておいて、今回も私の"おせっかい"に――。


「いえ、待ってください」


 はっとしたようにして、二コラ様が絵に近づく。

 まさか、と小さく呟いて、"泣いた絵"の目元にそっと指で触れた。


 ぬるっ、と。

 滑った指と共に絵の具が歪み、二コラ様の指先に艶やかな藍色をうつす。


「っ、これは……!」


「よかったっすね、奥様」


 トーマスはリンゴの木を眺めながら、さして興味なさそうな声色で、


「"当たり"ってことっすよ」


「!」


「シャロン夫人。いったい、これはどうして……っ!」


 信じらない、という表情の二コラ様が詰め寄る勢いで私を見遣る。

 無理もない。通常の油絵は、この程度の湿気で絵の具が緩むことはないもの。


 正直なところ、私も驚いている。

 私は「あくまで、可能性の一つですが」と前置いて、


「蝋、ですわ。二コラ様」


「蝋……?」


「ええ。通常、油絵を描く絵の具は、顔料と油を混ぜて作ります。お父様が絵を描いてらしたという小屋にも、そのための道具がいくつも残されておりました。だから私達は誰もがこの絵を、"私達のよく知る油絵"だと思い込んでいたのです。まさか絵の具が溶けるなど、夢にも思わずに」


 私は「絵の具についてですが」と背を伸ばし、


「顔料と油を混ぜる手法は現在こそ主流となっていますが、はるか古来、蜜蝋と顔料を混ぜ描く手法があったそうです。……主人のコレクションの一部に、その手法を用いたとされる壁画の欠片がありました。その手法はすでに失われたものとされておりますが、一部の画家の間では、失われたこの手法を再興させようと、あえてこの蝋を使った絵画を描く者もいるそうです」


 窓へと視線を流し、小屋を見下ろす。


「お父様の小屋には、蝋と燭台が多く残されていました。灯りをともすだけを目的とするには、いささか多すぎる量に思えましたし、かといって暖を取るには心許ないように見えましたわ」


「! 父が、あの小屋でしか。絶対に外で絵を描かなかったのは、まさか……」


「実際にお父様にお尋ね出来ない以上、私の想像でしかありません。ですがこの蝋で絵の具を作り描く手法は、一流の画家でも難しいとされているそうです。単純に蝋と顔料を混ぜるだけでは、保存性が悪いのだと聞きました。ですがお父様は"画家"ではありませんから、保存性を気にせずご自身の思うように描くことが可能です。それに、あの小屋にあった蝋は蜜蝋ではなく、獣脂蝋燭に見受けられました」


 王族や貴族、教会などでは香りの良い蜜蝋が好んで使われているけれど、少しでも経費を抑えようとバックヤードでは安価な獣脂蝋燭を用いることも多い。

 二コラ様は「おっしゃる通りです」と首肯して、


「人を招く場でもないからと、父はあの小屋には獣脂蝋燭しか持ちこんでいませんでした」


 私は"よかった"と胸を撫で下ろし、


「獣脂蝋燭は蜜蝋よりも溶けやすく、湿度や日光に影響を受けやすい蝋です。もしもお父様が獣脂蝋燭を着彩に使用していたとしたら、絵を小屋から出さなかったのも納得がいきます。もとより飾るために描かれた絵ではありませんから」


 二コラ様は戸惑ったようにして、


「……ならばなぜ、母が存命の間は異変が起きなかったのでしょうか。部屋を閉め切っていたということは、湿度によって蝋が緩んだということでしょう。ですが、それならばこれまでも……」


「リンゴの木、ですわ。二コラ様」


 私は窓の外を見遣り、


「これまではリンゴの木が、この部屋の日差しを遮ってくれていました。ですが枝の一部が折れてしまったことで、御覧の通り、その部分から太陽の光が入り込んでくるようになったのです。間もなく訪れる夏を歓迎する、強く眩しい陽の光が」


「!」


「この部屋は日当たりの良い位置にありますから、それだけ陽が長く当たります。……もしかしたら、元より気温の変化によって蝋の劣化が進んでいたのかもしれません。私は専門家ではありませんから、すべて憶測でしかありませんわ。ですが……もし、絵の具に蝋が使われていて、絵を照らす陽射しと湿気が蝋を溶かしたのだとしたら。この絵が"溶けた"のは自然現象であって、けして、お母様の"幽霊"によるものではないということになるのではないでしょうか」


「……母の、"幽霊"では。母の意志がこの絵を泣かせたわけでは、ない」


 呆然と、自身の発した言葉の意味を理解しようとしているかのような二コラ様に、私は頷く。


「二コラ様のお母様は、二コラ様を責めてなどいらっしゃらないと。私は信じております」


「……っ!」

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