アップルパイにはチーズを
と、意気揚々と宣言し、同意を得てきたはいいものの。
「うーーーーーん、どうして絵が泣くのーーーーー!」
場所は変わってクーパー邸。
なんだか雲行きが怪しいからと、本日の作業と調査は小一時間で切り上げに。
お屋敷に戻ってきた私はなにか糸口を掴めないだろうかと、書斎から絵画にまつわる本を応接間に運んできて、片っ端から目を通している。
のだけれど。
「そう都合よくはいかないものね……」
昨夜見に行った"おもちゃ部屋"でも、"泣いた絵"はおろか、溶けかかった絵など存在しなかった。
書斎から引っ張り出してきたこの本たちも、そう。
画家として大成した男性の記録や、絵の具の素材となる顔料の一覧はあれど、"絵が泣く"記述などどこにも見当たらない。
「なにか……なんでもいいのよ。"幽霊"を否定できる、ほんの小さな可能性でいいのだけれど……」
力なく机に突っ伏した、その時。
「――奥様。少し、休憩しない?」
「! ディーン」
近づいてきたのは、肩下まである銀色の髪を一つに結い、白いコックエプロンの袖をまくり上げた男性。
ディーンはクーパー邸の料理人で、お屋敷の食関連を一人で担っている。
歳は確か、私の五つ上だったかしら。
前髪の隙間から覗く赤い瞳が、私を捉えて柔く緩む。
「デザート、作ってみた。食べる?」
「嬉しい! もちろんいただくわ。これは……素敵、アップルパイね」
知った香りに声を弾ませながら広げていた本を閉じると、ディーンが汚れないようにと遠ざけ、「そう、正解」とデザートプレートを置いてくれる。
クーパー邸に越してきた当初、リックがディーンについて『料理の腕は確かですが、どうにも人付き合いが苦手なものでして。奥様には、不快な思いをさせるかもしれません』と言っていたけれど。
出される料理のあれもそれもが素晴らしいのはもちろん、私への気遣いを多分に含んだメニューに、「きっと仲良くなれるはず。ううん、仲良くなりたいわ!」と段階的に話しかけること一年。
見事努力の実った今では、逸らされてばかりだった目はこうして合うようになり。
ディーン自らから、話しかけてくれるほどにまでなれた。
ちなみに先日のアップルパイ夫人……もとい、ラスティ夫人の件で、"フィクタ"のアップルパイ再現レシピが胸を張れるほどに完璧に仕上がったのも、ディーンの功績が大きい。
「このチーズの香り……もしかして、"フィクタ"の再現レシピのアップルパイかしら?」
途端、ディーンが嬉しそうにへにょりと笑む。
「それがね、今回はちょっと違くて――」
「お兄!」
怒気を含んだ声に、ディーンが「あ」と顔を上げた。
と、ティーワゴンを押してきたのは、ミルクティー色の髪をふんわりとまとめたメイド。
彼女はアネット。
クーパー邸に仕える唯一のメイドで、ディーンとは兄妹だと聞いている。
その証拠とも言うように、二人の眼の色はそっくり。
アネットは私と目が合うと、ころりと晴れやかな笑顔になり、
「奥様! 今すぐお紅茶の準備をしますね」
「ありがとう、アネット」
嬉しそうに頷きティーワゴンを止めたアネットは、次の瞬間、キッとディーンを睨め上げ、
「お兄、カトラリー持って行かなかったでしょ! 奥様に手づかみで食べさせるつもり?」
「あっ、ほんとだ……」
「もーっ! ほんっとに料理以外に気が向かないんだから。ご安心ください、奥様。優秀で有能なメイドであるわたくしが、ちゃーんとお持ちしましたから!」
得意げに胸を張ってナイフとフォークをセットしてくれるアネットに、「まあ、さすがはアネットね。助かったわ」と笑みが零れる。
小柄な体躯と、リスのように大きな瞳。
更にはくるくる変わる表情が愛くるしいのはもちろん、私よりも二つ年が下だからか、アネットを見ていると微笑ましい気持ちになってしまう。
「どうぞ、奥様」と淹れられた紅茶にありがたく口をつけ喉を潤してから、まだ湯気のくゆるアップルパイにナイフを入れる。
シナモンやスパイス、そして甘いリンゴに混ざる、チーズの魅力的な香り。
サクッと割れたパイが零れないよう気を付けて、フィリングでの火傷に注意しながら、フォークで一口を。
「ん? んん!」
淑女たるもの、口の中に物を入れて喋るべからず。
けれども湧き出る衝撃と感動を伝えたくてディーンを見上げると、意図を汲み取ってくれたように、こくこくと頷いてくれる。
「っ、これ、"違う"わね!? 再現レシピのアップルパイはとろっとしたチーズが決め手だったけれど、これはチーズがあるのにないわ!」
「そう、そうなんだ! あれはフィリングに直接混ぜ込むレイシピだったけれど、こっちはパイクラストにチーズを練り込んであってね。そうするとデザートとしてのリンゴの甘さを保ちつつも、噛みしめるたびにサクッと焼かれたチーズの香ばしい塩気が合わさって、また違った美味しさが生まれたんだよ……!」
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