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九十七話

 新年の産声がもう間近に迫った頃、渋谷夢乃はとあるアフレコスタジオにいた。

 番組企画で始まった夢乃のアイドルと声優の二足のわらじは、本日をもって一旦幕を閉じる。

 1クール分のアフレコは本日のカットで、最後となる。急遽ねじ込まれた疾風迅雷伝のアニメは、突貫に次ぐ突貫であったのにもかかわらず、作画班も一定のクオリティのキープに成功していた。現場ではクリスマスの奇跡が起きたと、もっぱらの噂になっている。

 そんな現場にもかかわらず、夢乃はアイドル然とした態度を一切見せることなく、初演技の新人の様に真摯に作品に向き合ってきた。

 あとは、年明けからの放送を待つばかりである。


「最後まで本当にありがとうございました。大変勉強になりました」

 録音ブースに顔を出し、いつものように深く頭を下げて帰ろうとする夢乃。

「あ、ユメノ! ちょっといいか?」

 音響監督の岩瀬は、帰ろうとする夢乃を引き留める。

「はい……?」

「監督とも相談したんだがな、もしお前がやる気なら事務所に来期のオーディションいくつか送るが、どうする?」

「え……、いいんですか? だって、私……」

 俯く夢乃の頭を岩瀬は豪快に撫でる。

「新人がミスするのなんて当たり前だ、それ以上に役者のお前を見てみたい。それだけじゃ不満か?」

 涙のにじむ目をこすり、夢乃は岩瀬の目をしっかりと見て答える。

「ご迷惑じゃなければ、こちらこそお願いします!」

「おう!」

 岩瀬は、ニッコリと笑い夢乃を送り出す。

 

 建物を出ようとする夢乃を引き留める声が届く。

「いたいた! 夢乃ちゃ~ん!! ちょっと待って! ……ほら! お願いするんでしょ!」

 声のヌシは、先程まで共演していた女性声優だ。

 萩原麻美(はぎわらあさみ)、十年以上主役級の役を勝ち取っている、今や女性声優の代名詞。第一線の大物が夢乃を呼び止める。その後ろに引きずられるように夢乃の前に連れてこられたのは、小河原正人(おがわらまさと)。夢乃が生まれた時から声優を生業としている。主役級こそ少ないが、名バイプレーヤーとしても声優業界では有名人だ。

「麻美さん、小河原さんも。お疲れ様です。今回の現場、大変お世話になりました」

「ああ、大丈夫。気にしないで、私も良い刺激もらったし。それよりも……ほら!」

 萩原に押される様に夢乃の前に立つ小河原。

 夢乃は、小河原という男の噂を二つほど手にしていた。なぜこの小河原という男がそんなにも有名人なのか? 

 一つは超が付く程女癖が悪く、それは声優業界No.1だともっぱらの噂だ。今まで3回の婚約したが、3回とも小河原の浮気でご破算となっている。


 夢乃が明らかに警戒を見せると、小河原は困ったように頭を搔く。

「いや~、参ったな。やっぱりやめとこうかなぁ」

 苦笑いのまま、後退りを始める小河原の背中を萩原が小突く。

「ちょっと、わかったよ……渋谷さん。もし良かったらなんだけど、今度僕の主宰する舞台に出てくれないかな?」

「え? 私がですか?」

 もう一つは噂というよりは一つの事実として、小河原の主宰する劇団は演劇業界で知らない者がいないほど有名である。有名劇団の演出家もわざわざ顔を出し、次々と演出を願い出るほどだ。

 小河原の劇団に参加し、その舞台を踏むというのは役者として得難いステータスとなる。

 それが、自分のようなアイドルが……。

 夢乃は、押し黙ってしまう。

「べ、別に直ぐに返事しなくってもいいから、考えてもらえないかな?」

 

 ◇ ◇ ◇


 日も落ちたころ、ようやく夢乃は寮へと戻ってきた。マネージャーにも岩瀬と小河原の話をしてみたが、反応はあまり芳しくなかった。夢乃は少し前から感じていた、齟齬の正体をみた気がした。

 寮の前でうなだれている夢乃の背中に声がかかる。

「あ、夢乃さん! お帰りなさい」

「美祢……。あんた走ってたの?」

「はい、兼任が思ったよりキツいから今は体力強化月間なんです!」

 観客のいない、自分との会話でも美祢はアイドルらしい輝くような笑顔を見せてくる。

 何時からだろう? 自分の笑顔を思い出せなくなったのは。


「そういえば美祢、かすみそう25のMV視たよ」

「え……」

 夢乃は努めて先輩として振る舞う。

「美祢の感情表現は、単調なんだって何回言えば良い? 確固たる意思があっても葛藤がなくなる訳じゃないでしょ? 見守るって決めても心の苦しさとかがあるんじゃない?」

「苦しさ、ですか。わかりました、もう一度考えてみます!」

 夢乃の言葉をしっかりと受け止める美祢を見て思い出す。はなみずき25のリーダーである小山あいの言葉を。

(花菜ならまだ勝てる、か。……なるほどね)


「夢乃さん、入らないんですか?」

「あ、うん。電話しなきゃいけなかったんだった。先行ってていいよ」

「はーい」

 置かれた現状に不満もなく元気に走り去る美祢を見送り、夢乃は空に輝いている月を眺める。

 夢乃の視界に写る満月が、次第に崩れていく。

「もう、やだな。……泣きの芝居ばっか上手くなってさ」

 月が上っていくなか、夢乃の頬だけが濡れていく。


 翌日、夢乃から脱退を希望すると運営陣は聞かされる。

 その話題はその日のうちに、はなみずき25のメンバーにも伝わるのだった。

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