九十二話
美祢と菜月が戻ってからも、度々撮影は止まることがあったがそれでも進行は少しだけ巻くことができていた。
花菜はあいも変わらず、自分の纏う空気で共演者であるメンバーを困惑させている。だがすぐ後ろの立ち位置の美祢が緩衝材の役割をこなしていた。
ヒリつくような花菜の空気を、メンバーしか見えないわずかなタイミングを使い美祢が笑顔を見せ和ませている。
そもそも『あなたへの歩み』は、片思いの少女が主人公の歌だ。
確かに安本の歌詞は、楽しいだけの片思いを描いてはいないから花菜の解釈も間違いではないだろう。
ただ、美祢は苦しいだけの片思いなのだろうかと、歌詞を何度も読み込んでいる。苦しさの中にも楽しさや幸福感を感じる瞬間はあるし、その逆も当然にある。
センターと裏センターが、真逆の解釈をしていることで、少女の混沌とした心情を監督の意図以上に表現していく。
そして美祢が徹底してくるしさの中の淡い心の動きを追及してくれたおかげで、他のメンバーのそれぞれの解釈が浮き彫りになり、言葉では上手く表現できない少女時代の恋心の難しさというものを画面の中に落とし込んでいく。
「はい! OKでーす」
撮影終了を告げる声に、メンバーは思わず歓声を上げてしまう。
今までの撮影では起こり得なかったメンバーのリアクションに、スタッフもホッと胸を撫で下ろす。
スタジオの全員がゆるんだ表情の中、花菜は一人撮影時の空気をそのままに佇んでいる。
何故か集中している様子の花菜に、さっきまで笑顔をこぼしていたメンバーたちは静まり返り誰ともなく控え室へと逃げていく。
美祢はツカツカとヒールを鳴らしながら、花菜へと無造作に近寄る。
前に立つ美祢に気が付かない様子の花菜。美祢は花菜の顔の前で勢いよく柏手を一つ打つ。
「っえ!? なに? ……美祢、いつ来たの?」
「花菜、もう撮影終わり」
「え? 嘘っ!」
花菜は慌てて周囲を確認する。撤収作業に入っているスタッフをみて苦笑いを残し恥ずかしそうに走って行く。
「花菜! ……もぉ~。……あれが今の花菜か」
自分が撮影に合流したことにも気が付かないような集中力。そして無意識に制作の意図を理解して、それを行動に落とし込む表現力。
美祢は今までただ言葉として言っていた高みを痛感していた。
ようやく背中を捉えたかと思えば、その距離は未だに遠いと想わざるを得ない。
もし、これがライブのステージだったとしたら……。ふと、美祢は今の状況に既視感を覚える。
「もしかして……ああ、それじゃダメか」
美祢はあの状態の花菜への対抗策の糸口を見つけたような気がした。
だが、それは以前良い結果をもたらさなかった方法でもある。けれども、花菜にはいい結果をもたらしているのは間違いない。
花菜を支えることのできるアイドルになる。それが美祢がアイドルになった動機でもあり、今も届かない目標だ。今だって支えることだけならできるかもしれない。
美祢の目標とするのは、低い位置にきた花菜を支えるのではなく、高みにいる花菜をそのままの位置でささえることだ。
美祢の目標を叶えるなら、美祢の実力は花菜と同じかそれ以上でないといけない。
例えか細い道だとしても、光が指している道を進まない理由にはならない。
「よし! 頑張ろっ!」
気合を入れ、意識的に笑顔を作りながら美祢は走り出す。
◇ ◇ ◇
翌日からレッスン場のヌシが帰ってきた。
早朝から登校前に、下校したら使用時間の限界まで。
美祢はまたあの頃のように、ただひたすら同じステップを繰り返し繰り返し踏み続ける。
「ボス、大丈夫なんでしょうか?」
「ん~? ……まあ、まだ大丈夫だろ」
本多は警戒している部下の言葉を気にした様子もなく答える。
あのダンスに憑りつかれた様な美祢を見ていたスタッフは気が気ではない。
美祢の後輩も、美祢の踊りから目を離すことなくただ見ていた。
「矢作智里、どうだ? 賀來村はアイドルしてるか?」
「はい。……先輩、アイドルです」
「ん! なら放っておいて問題なし」
智里は美祢のダンスに釘付けになっていた。以前とは違うあふれるような笑顔のまま踊っている美祢に。
智里も痛感していた。
自分が目指したアイドルは、今もなお進化を続けていた。
その背中に見える羽根の力強さ。まさに飛んで行ってしまいそうな躍動感。
そして、こうも楽しそうに踊るアイドルを智里は知らない。
智里は我慢できないとでも言うように、美祢の隣に立ち美祢に合わせるようにステップを刻みだす。
「まったく、ガキンチョは眩しいねぇ~」
「え?」
「いや、なんでもない」
本多はありもしない髭をなでる。
本多の眼にはまるで月と太陽がそろって踊っているかのように見えた。
そう、はなみずき25の行く末を照らす月と太陽。
「あとどれくらいやれっかなぁ~」
言うことの聞かなくなってきた腰を恨みがましく摩ると、少しだけ美祢と智里が遠くに見えた。




