九十一話
「お疲れ様でした~」
アリクイと糸ようじの坂本は、収録終わりににこやかなあいさつを交わしながら楽屋へと戻ってきた。
「なあ、山? 今日の@滴先生キレッキレだったね」
「だよな」
山賀は相方の言葉に、含みのある笑いを浮かべている。
この表情の時の山賀は、要注意だと長年コンビを組んでいる坂本は警戒心を上げる。
前にこの表情をしたときは、調子を落とした先輩芸人を執拗に追い込んだ時だった。
「もしかしてだけど、……なんかやった?」
ゲスト扱いのアット君。中身は芸事の素人である@滴主水が入っているため、制作側としてはそこまでコミカルな動きは求まていない。しかし、今日の収録は実に見事な働きをしていた。
明かに片手間に呼ばれた人間の動きではなかった。その動きには何か野心めいた若手芸人に似た空気を醸し出しているようにも見えた。
「少しね~」
坂本は呆れたように山賀を見る。自分の立場を忘れたわけでもあるまいに。
「山、裏仕事どうするつもり?」
「え? そんなの決ってるじゃん。やるよ」
いや、この話題でこの表情は無いだろうと思う坂本ではあったが、これまでの山賀は一度たりとも仕事を投げ出したことなどない。それこそ若手時代の一瞬先が大怪我になるかもしれない企画だろうと笑って進んできた。
「本当にお前は芸人向きだよな、お前の子供たちが心配だよ俺は」
「バッカ! 俺ほど良いパパな芸人いないだろ!」
「大先生怒らせて、今度は俺たちが青色千号に謝らないといけなくなるんじゃないかって、もうヒヤヒヤなんだけど」
「アハハ! それは無いって。あの先生は意外と強かだぞ、きっとな」
何故だか山賀にもわからないが、あの頃のような心にしこりが残るような結果があの男、@滴主水の周囲に起きるとは思えなかった。
誰との結果になるのかは見当もつかないが、誰であれ安本の逆鱗に触れるようなことはない。なぜだかそんな気がする。
「ま、最悪になりそうなら俺たちもいるし」
「やぁま! 俺を巻き込むなよ」
「え~! コンビじゃん俺ら」
◇ ◇ ◇
「すいません。遅くなりました」
美祢は先程まで番組収録していたスタジオとは別のスタジオに走りながら入ってくる。
ここでは、はなみずき25の新曲『あなたへの歩み』のミュージックビデオの撮影が行われている。
他のメンバーはすでにスタジオ入りしていて、個別のパート撮影は終わっている。
美祢はスタジオの隅で、助監督からパート割りや演技指導を受ける。
「はい! いったん止めまーす」
撮影スタッフの声が響いたかと思うと、スタジオの外に走り出していく影が一つ。
「菜月ちゃん?」
美祢が顔を上げると、それは西村菜月という美祢と同い年のメンバーが、涙を流しながら走って行くのが見える。
めったに泣かない、デビュー当時の美祢とは正反対で同じオーディション組ということもあり、よく対比されていた。ファン曰く勇気の菜月、泣き虫みね吉と揶揄されていた。
菜月はデビュー当時から、2列目の常連でパートによっては花菜とペアになることも多い。絶対的なエースの花菜に必死に喰らいついて行く姿が、ファンの目を引くのだが最近はそれも影を潜めている。
トラブル発生により説明をしていた助監督は監督に呼ばれ、他のスタッフも撮影で疲労の溜まっているメンバーに殺到していた。
美祢は走り去っていった菜月とスタッフを見比べて、即座にスタジオの外に走り出す。
美祢は自身の経験上、菜月がどこにいるかなんとなくわかっていた。
屋上のドアを開けると、すぐ横にうずくまっている菜月を見つける。
「……菜月ちゃん」
「……っ美祢ぇ!」
菜月は美祢の姿を確認すると、その胸に飛び込んでくる。
美祢は胸元にある髪を優しく撫でながら、菜月を抱きしめる。
「どうしたの? 最近立場が逆になっちゃったねぇ~」
美祢は優しく、よく菜月が自分に言っていたような口調で、あやす様に菜月に問いかける。
「っだって! 最近の花菜怖いんだもん! ~~! 隣にいたくないよ」
よしよしと撫でながら美祢は、新曲の制作に入ってからの花菜を思い出す。
確かに最近の花菜の様子はおかしい。
正確にはあの日、美祢と喧嘩になったあの日から少しずつ変わっていた。
レッスン場でもまるでライブ本番かのような空気をまとい、その表情は数々のアイドルを育ててきたスタッフも息をのむ。元々花菜は笑顔を多用するタイプのアイドルではなかった。
しかし、それが最近は顕著に出過ぎているような気がしていた。
美祢はフォーメーションでは、花菜の後ろでその表情を見る機会は少ないが隣のパートがある菜月は、その余波をまともに喰らっていたのだった。
花菜と比較され、その醸し出す空気感や表情があっていないと何度もダメ出しを受けている。
「大丈夫! 菜月ちゃんならできるよ。私も協力するから……ね?」
「本当?」
「うん! だから戻ろう?」
菜月は俯きながら渋々うなずく。
美祢に肩を抱かれながら、菜月は階段をゆっくりと降りていく。




