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八十八話

「アクションシーンね。お前小説なんて書いてたのか」

「ええ、あの頃は趣味だっただけですけど。縁あって今は物書きを仕事にさせてもらっています」

 昔の知り合いになんとなくこういった話をするのが、気恥ずかしい主であったが、一度口にしてしまえばそこからは説明するのに抵抗は感じなかった。

「なるほどな。で? どれを撮るんだ?」

「えっと、虎の型です」

「初伝か、お前できたよな?」

 間宮は主にお前がやってみろと言い出す。間宮は主がどの程度衰えているのかを確認するつもりのようだ。

「できなくはないと思うんですけど、さすがに受けだけをお願いするのは……」

「馬鹿言え、受けの方こそ慣れてないと怪我するだろうが」

 間宮は立ち上がり、とりあえずやってみろと構えをとる。

 ああ、やっぱりこうなったかと、主は諦めたように立ち上がる。


 カメラをセットし、間宮の前に立つ主。表情から緊張が見て取れる。

「よし、こい」

 間宮の声に頷き、主は膝をやや折り重心を落とす。

「ッハ!」

 短いかけ声のあと、一足距離を縮める。左手の指を全て第2関節で曲げ、大きな弧を描きながら間宮へと振り下ろす。間宮は型の通り両手を重ね十字受け、主は右手を下から振り上げる。

 一歩引いて主の2撃目を避けた間宮を追うように、主は半歩進み諸手の掌底を間宮の胸部に差し出す。

「ぜんぜんダメだな。足をそろえるなって言ってただろ」

 間宮はそう言いながら、主の足を下段で刈り取り主を床に転がす。

「師範……そんな下段は初めて見ましたよ」

 空手などの下段ではなく、まるで柔道の出足払いのような下段で主に痛みこそない。

 だが、初見の動きで急に地面を取り上げられたような感覚に主の心臓はこれまでにないぐらい早く動いている。

「相変らず、佐川君は型が苦手なんだね」

 政尾は二人の懐かしい光景を見て頬が緩んでしまう。

「仕方がねぇ。政尾受けろ」

「はい、……ここで映ってる?」

「はい、大丈夫です」

 間宮と政尾の演武は主の目にも圧巻の一言だった。

 2年通ったが、間宮の動きは理解に苦しむ。人の動きから逸脱しているかのような速さ。

 主の倍は離れた年齢の人間が、こうも動けるのは何度考えても理不尽でしかない。


 主がこの道場に通っていたのには訳があった。

 看護師は時として、業務の一環として様々な研究を行うことがある。統計を取り、現場の業務を改善してみたり、ケアに適した物品を考案してみたりと規模や方向性も様々ある。

 当時主は、流行っていた古武術の身体操作を介護・看護のケアに取り入れるという研究に手を出していた。なので型や攻撃に対する理合いは、全く興味を持たなかった。

 重心の取り方や力の使い方、身体操作の精密性などを中心に学んでいた。

 2年もかけた研究ではあったが、共同研究者の同僚が辞め、評価者の上司には効果を疑問視され結局形になることもなかった研究。

 もう関わることもないと思っていた古武術に、またこうして関わるなどとは思ってもみなかった。

 主は何とも言い難いモノを感じていた。


「今日は本当にありがとうございました……師範。あのこれ、謝礼です」

「いらんいらん。……あ、謝礼なら政尾にアレ見せてやってくれ」

 間宮は思い出したように手をたたく。主はこの人がこんなリアクションするのかと、怪しんでいる表情を隠しもしない。

「アレ?」

「猫だよ、猫」

 主が間宮に師事していたころ、主が創り出した一つの技がある。

 虎の型の最後に似ていることから、二人の間で猫と呼ばれていたのもだ。

「まあ、そんなんでいいならやりますけど……」

 間宮の含んだような笑みが気になるが、自分だけ頼み事をしておいて断るのも申し訳ない。


「じゃあ後ろから肩をつかめる距離にいてくださいね」

 そう政尾に言うと、主は政尾に完全に背を向けてしまう。

「いきます」

 主の身体がまるで糸を切られた人形のように地面に向かって沈んでいく。沈みながら反転し、伸ばされた主の両手が軽く政尾の身体に触れたかと思うと、政尾の身体が宙を舞う。

 政尾はいったい何が起きたのか理解出来ない。身体にさしたるダメージはないが、確実に3メートルは投げられている。いや、そもそも投げられたというのが、正解なのかさえわからずにいる。

 ただ宙に投げ出され、そのまま着地させるだけの技。

 まるで意味のない。意味はないのだが、政尾はそれを再現できるとは到底思えなかった。


「うん、あの頃のまま衰えてないようで安心だ。……よし! 認可状作るから明日も来なさい」

「お断りします」

 即答し帰り支度を始める主に、政尾の視線が固定されている。それを見て間宮は満足そうに頷く。


 主が帰ったあとも政尾は道場に残り、一人先程の主と頭の中で戦っている。

「どうだ? 防げたか?」

 間宮の声に政尾はただ首を振る。

「だろうな。初見じゃ儂も無理だったかなぁ」

「師範! アレが無拍子ですか?」

「違うな。外から見れば単なる二拍の体当たりだ」

「二拍……ですか?」

 間宮は声には出さず、首肯する。

「だが、起こりがわからない」

 今度は政尾が頷く。

「手が先に到達しているからわからないだけだろうな。まるで拍子を飛ばされた感覚になる」

 そう言って立ち上がった政尾の胸に手を当て、その後に踏み込む動作を見せる。

「この手に翻弄されていると?」

「だろうな。……どうだ? 面白いだろ?」

 政尾は子供のような笑顔を見せる自分の師匠に、同じように笑顔を見せるのだった。

「お! いい名前思い付いたぞ、これからコイツは拍子抜けと呼ぶか」

 秋の終わりを告げるような、冷たい風が道場を走り抜けていった。


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