八十七話
はなみずき25の新しいシングル楽曲『あなたへの歩み』の制作が始まると、美祢はさらに多忙となる。
しかし思った以上に疲弊しない美祢に、周囲の大人たちは若干の驚きを見せる。スケジュールの過密さで言えば、はなみずき25の誰よりも忙しい現状。
美祢も忙しさを認識しているが、胸に当たる金属の感触が不思議と美祢の疲労を和らげてくれる。
「えへへ」
「パイセン。いきなり笑い出してどうかしました?」
美祢は不意にかけられた声に、必要以上の反応を見せてしまう。
「ひゃぁ! ……なんだ美紅さん、やめて下さい。いきなり声かけるの」
「え? もしかして今までの話聞なかったんですか?」
「え?」
周りを見れば、かすみそう25のメンバーが集まっていて、美祢に怪訝な表情を向けている。
「あ~、……ごめんなさい」
美祢の疲労を回復してくれる魔法のネックレス。その存在を知っているのは、極わずかしかいない。
◇ ◇ ◇
「ひとまずこれでいいかな? ……ん?」
主は執筆を終えて、伸びをすると携帯のランプが光っているのに気が付く。確認すると牧島から連絡があった通知を見つける。
「牧島くん? なんだろ?」
牧島へ返信すると、即座に牧島から通話が入る。
『あ、@滴先生ですか? 傘部ランカ先生から確認したいことがあるとのことで』
傘部ランカ、主の原作『ゼロから始める魔法体系』のコミカライズを担当している大御所漫画家だ。
以前注意を受けてから何度も打ち合わせをしているが、このように編集者を介しての連絡は珍しい。
「確認? なんだろ?」
『作中に出てくる体術の、なんだっけな? あ、あった。体術の猫なでってあるじゃないですか? それの動きがわからないらしくって』
「あ~、アレか。あれは何て言えばいいかなぁ」
思い浮かべた動作は、主の頭のなかに鮮明に浮かび上がる。しかしそれを言葉にすると昔書いたままの言葉しか浮かんでこない。
一つだけ、明確な方法がある。あるにはあるが。
「流石に実際やったら危ないしな」
『出来たら安全な方法でお願いします』
「ですよね……。じゃあ、後日動画をお渡しするって伝えてください」
『わかりました。……出来るだけ早くにお願いします』
牧島との通話を終えると、主はため息を床に落としながら一つの連絡先を呼び出す。
少しの逡巡を挟み、意を決して通話を始める。
「まだこの番号が使える……のか。じゃあまだまだ元気なんだな」
『はい、総合弓術道場間宮です』
「あ、政尾さんですか? お久し振りです、佐川です」
聞き覚えのあるよく通る声に、懐かしい記憶がよみがえる。
主がまだ孤独に恐怖を覚えていなかったころ、月に何度も通った古流武術の間宮流弓術の師範代の声だ。
『おお! 佐川君か!? 久しぶりだなぁ、どうだ元気だったか?』
「はい、おかげさまで。あの、師範は?」
『ああ、いつも通り。変らないよ』
変らないと聞いて、少しだけ背筋に寒いものが流れるが仕事のためと思うと、あの頃も仕事のためだったっけなぁと、なんとなく懐かしさもこみあげてくる。
「あの、ちょっとご挨拶をさせてもらいたくって、御都合のいい日取りありますか?」
『こら! 馬鹿弟子め。今更何の用だ』
いつの間に代わったのか。先ほどとは違う、老成を想像できる声。その割にわがまま放題な性格を滲み出す口調。
本当に変わらないんだな。主の口角はそれとは知らず上がってしまう。
「間宮師範、お久しぶりです。……僕は弟子にはならないって言ったの覚えてませんか?」
『お前の都合などどうでもいい。儂が弟子だと言ったら弟子なんだ』
「相変らず人の話聞きませんね。……師範。少しお願いがありまして」
『わかった。明日にでも来い』
用件を言う前に承諾する間宮に苦笑いを浮かべながらも、懐かしさが勝ってしまう。
◇ ◇ ◇
「はぁ~。本当に変わらないなぁ」
翌日、主は自宅からそう遠くない場所にある、間宮流弓術の道場を訪れる。
何も変わらない。そう思ったが、見覚えのない『間宮流総合弓術道場』という看板が掲げられていた。
年月で変わらないものは無いんだと、そう言わているような少しだけ切ない気分になる主。
「何やってる! 早く入っていこい、まったく馬鹿弟子め」
「台無し、本当に台無し」
変ったように見えても何も変わらないもの。そういうものも確かにあるのかもしれない。
ただ、少しだけセンチメンタルな気分だった主は、間宮の言葉で物凄く残念な気分になっている。
「で? 用事ってのなんだ?」
「はい、実は動画の撮影に協力願えないかと思いまして」
「動画? インターネットとかで流すのか?」
道場で正座をしながら聞いている間宮は、気にした様子は見せないが師範代の政尾は少しだけ重い空気を主に投げる。
「いえいえ! そう言う動画じゃなく、資料用です」
「資料?」
「はい、あ~……その漫画の」
「漫画? お前そんなの書いてたのか?」
「えっと……何と言いますか。描いてるのは僕じゃなく、でも作っていると言うか」
スッっと短い衣擦れの音が鳴ったかと思うと、間宮の手が主の肩を握っている。
「まどろっこしいから、すっと言え」
「はい! 僕の小説が漫画になったので、アクションシーンの資料として動画を撮らせてください!」




