八十五話
豚の被り物の下、主は先ほどの園部レミの言葉を思い出していた。
『あの娘たちと向き合うときに、できるだけ時間を言い訳にしないであげて?』
レミは悲し気な表情を見せ、それでも笑っていた。
『先生があの娘たちの気持ちに気づくころには、私はいないだろうしね。慰めてあげられないから……どうか真剣に考えてあげて』
レミのあの娘たちという言葉。複数形であることに引っかかりを感じる。
誰のことなんだろうか? もしかして……。
一瞬一人の少女の顔が、主の頭の中に浮かんでくる。
いや、そんな訳はない。あってはいけない。
思い浮かんだ顔を消すてしまおうと、主は頭を思い切り振る。
「おっと!? 先生! これはお気に召さないのか!!」
思案していた主の耳に、片桐の声が響く。着ぐるみの狭い視界から周りを見れば、いつの間にか収録は始まっていてはなみずき25のメンバーのコーディネートを審査するパートになっている。
先ほど、あまり意識せずに袖を通した服を思い出し、主はおどけて見えるような大げさなゼスチャーで大きな丸を両手で作る。
「合格! 合格です!! と、言うことは……このコーディネートはお買い上げ~~!!!」
番組企画として、主にも痛手を被ってもらうことではなみずきファンからの炎上を防ごうと設置されたルール。すなわち主の自腹買取制度が適用されている。
それを思い出した時には、もう遅いというもの。
「え~~、こちらのコーディネート総額は‥‥‥」
主の喉が鳴る。もちろんマイクには乗っていない。
「っじゅ、172,865え~ん!!!」
出されたフリップを見て、主は膝から崩れ落ちる。その瞬間スタッフから大きな拍手と笑い声が起きる。もちろんメンバーも大喜びだ。
「さて……こちらの服選んできたのは……だ~れだ!!」
「はい!!」
元気よく名乗り出たのは、……花菜だ。
「いや~! け、結構な金額になりましたが、先生は大丈夫でしょうか!」
片桐の笑い声の乗った声と、スタッフの笑い声だけが主の耳に入ってくる。
もうヤケだと、主は考えうる最上級のコミカルを体全体で表現する。
豚の被り物は笑顔だが、膝をついたまま伸ばされた左手は哀愁を誘う。
「あ、忘れてました!」
花菜は全力で哀愁を表現している主に近寄ると、伸ばされた左手の人差し指を握る。
「これで良し!」
主が人差し指を見ると、そこにはリングが付けられていた。
悪戯が成功したと言わんばかりの花菜の顔が、一瞬だけ豚の被り物に寄せられる。
「これ、ペアリングなんです。片方は私が貰っておきますね」
花菜はマイクに乗らないような小声でそう言って、戻る一瞬カメラから顔を隠し主に向けてウィンクして行ってしまう。
「ああっと! 服だけではなかった、装飾品! 指輪まで込々の値段でした! 先生……どうですか!」
片桐に聞かれて、主はそのまま前のめりに倒れそのまま動かない。
「さあ! 1人目から予想外の金額が飛び出てきました! なんで上限設定しておかなかったのか? うちの作家は馬鹿なのか!? ですが、アットくん。頑張って2人目行ってみましょう!!」
片桐の言葉で、一旦カメラが止まる。主は起き上がり次の衣装の下へと力なく歩いていく。
その足取りに力がないのは、もちろん金額のこともある。しかしそれだけではない。
花菜の言葉、それがどうしても主の中でレミの言葉と繋がってしまうのだ。
あるわけが無い。あってはいけない。
特に花菜とだけは絶対にあってはいけない。
彼女ははなみずき25のセンター。絶対的なエースなのだ。
謂わばはなみずき25の顔そのものだ。
そんな彼女が自分に好意を? アイドル中のアイドルが自分を?
あっていいわけが無い。そう思いながらも速まる鼓動と締め付けられるような、まるで自分の体が胸を中心にねじれていく感覚を鮮明に感じていた。
そしてこうも思う。一体いつぶりだろうか。
こんなにも感情を揺さぶってくれる存在に出会ったのは。
まったくアイドルというのは、いつの時代でも畏れるべき存在だ。ひとの心を簡単にかき乱してしまう。主は無意識に笑みを浮かべていた。
「さて! ここまで買い取り5人。合計金額40万、本当になんで上限設定しなかったのか謎ですが。残りは賀來村、園部の一度も試着に呼ばなかったコンビ!」
「はーい」
「はい」
「自信の方は?」
片桐が主の財布を心配しながらも笑いながら問いかけた。レミは緩い感じで答えていく。
「いや~、みんなに比べれば地味にしちゃったなぁって」
「賀來村クンは?」
「……自信ないです」
美祢は少しだけ後悔していた。主に似合う服を選んだことは間違いはない。
しかし、ここに至るまで選ばれたのは花菜を除けばモデルを兼任しているメンバーだけ。
走り回っている主を見て、呼ぶのを控えたのが悔やまれる。
難しい表情になった美祢の肩に、レミが手を置く。
「みーちゃん。大丈夫だよ」
久しぶりに聞いたレミのその言葉。
レミを見れば、よく知っているレミの笑顔があった。
思わず胸に飛び込みたい衝動にかられたが、何とか抑え込みカメラを見据える。
その姿にレミは、寂しそうな、それでいて喜んでいるような、何とも言えない表情を浮かべている。




