七十話
「はぁ~!」
美祢は昨日のことを思い出し、盛大にため息を吐きだす。
「美祢さん、昨日のことは忘れましょ?」
「忘れられないよ~!! 絶対オンエア乗るじゃん!! もぉ~~!!」
傷の深い美祢をなんとか浮上させようと、奮闘する智里。しかしながらその効果は低いようだ。
「大丈夫ですよ。いい具合になってますから、スタッフさんにお任せです」
美祢の落ち込みように比べて、日南子は実にあっけらかんとした晴れ晴れとした表情でアイスを頬張っている。
「ひーちゃん寒くないの?」
後ろを歩く美紅は、少し早めに売り出されたホットのペットボトルを握りしめながら、怪訝な表情を日南子に向ける。
「アイス好きなんで大丈夫です!」
元気に答える日南子に、智里は一応釘をさす。
「ヒナ、デブったらリョウさんに怒られるからね」
「うっ! ……美紅さん、食べますか?」
「いらないいらない! 寒いの苦手なの」
アイスを向けられただけで身を震わせてしまう美紅。
「じゃあ、ちーちゃん。いっしょに食べよ?」
「私もパス。体重ヤバいんだから」
「え~……」
「私貰っていい?」
小さく美祢が手を上げる。美祢は逆にやせ過ぎを指摘されている。
おもに友人であるユミにだが。
それに中学から1サイズも成長していない自分の胸部に、美祢はまだ希望を残している。
普段ならこの季節にアイスなど食べる気はないが、日南子の胸を見ると‥‥‥。
今食べなくてはいけない衝動にかられた美祢が、結構な勇気をもって手を上げていた。
「わ~い。美祢さん、あ~ん」
「……あ、あ~ん」
日南子に放り込まれたアイスが、急激に美祢の体温を奪っていく。そんな幻想が現実になってしまったかのような感覚が美祢を襲う。
「ん~~~!!! やっぱり無理! あったかいところ行こう!」
「ここらへんだと……あ、喫茶店ならすぐそこにありますよ?」
「喫茶店か……」
難色を示す美紅に日南子は笑顔で言い放つ。
「ああいうお店って、先生が好きそうですよね」
「……確かに」
智里は思わず頷いてしまう。裏路地にあるなんとなく寂れた印象の喫茶店。
あの変わった大人には、なんとなくよく似合うと智里は納得していた。
「似合うも何も……いるんだけど!」
美紅が店内を覗くと、そこには@滴主水こと佐川主が確かにいた。
「ちょっとまって! あの女の人……誰?」
美祢が見つけた、主の前に座っている女性。何かを覗き込んでは口元に手をやりコロコロと笑っている。主も何か必死にしゃべりながら、時々少年のような笑顔で笑い合っている。
まるで、付き合いたてのカップルかのような光景にアイドルたちには見えた。
もちろんそんなことはなく、ピザ時計廻りと作品について語り合い、まさにイメージが合致した瞬間なのだが、少女たちにはそんな風に見えていた。
「あの感じは……彼女。間違いない」
「え!」
「え~!」
「昨日お見合いしてたんだから、それはないって。美紅さんも好きだなぁ、恋ばな」
美祢と日南子がそれぞれ声をあげる。年長者の美紅が言うなんの根拠もない妄想が、真実であるかのように響いていた。智里の名推理は当然のように、誰にも届いていない。
「あれは、間違いなく先生から口説いていますね。先生の目的はあの胸! 先生は大きめの人が好きなんですよ!」
「そう言えば、昨日もあの状況でヒナの胸チラチラ見ていたような……?」
智里がさも核心をついたみたいな、思わせ振りな言い方をしているがまったくの見当違いである。昨日の控え室での主の視界の割合は床五割、天井一割、美祢と日南子の顔がそれぞれ一割である。女性のからだの一部も多少は視界に入っているが、あの時間全て合わせて一割にも満たない極僅かな時間でしかない。
しかし、名推理ほど届かず、迷推理ほど人の耳に届くものはない。
主の訂正が入るわけでもなく、智里の自意識過剰が大爆発な誤情報はこの場では真実となってしまう。
「エヘヘ、先生おっきいのが好きなんですね~」
何故か満更でもない日南子の言葉に、美祢の頭の中の理性という名のブレーカーはあっさりと、割りと簡単に墜ちてしまう。
「あ、パイセン!!」
美紅が止めようとする声にピクリとも反応もせず、美祢は勢いよく入店していく。
「……、え!? 美祢さん?」
「あ、あああ、貴女! 先生のなんなんですか!?」
席に接近する美祢に主は、いち早く気が付くことができたが、なぜここにという疑問のせいで名前を呼ぶことで精一杯だ。
そして美祢は理性の働かない頭のまま、ピザ時計廻りに絡みに行く。
「私は……、先生のパートナーです!」
ピザ時計廻りの言葉は間違いではない。漫画のという言葉が前提としてつくが。
「ぱぱぱ、パートナー!? じ、人生のパートナー……」
誤変換したまま、美祢の理性ばかりか意識のブレーカーまで墜ちてしまう美祢。
「危なっ!」
とっさに美祢の頭を抱え、机と床への衝突を防ぐ主。
「はぁ~、……なんで、ここに?」
抱きかかえた美祢に問いかけるが、返事はない。
辺りを見回すと、窓の向こうに見知った顔が三つほど見つける。
昨日とは立場を逆転した主は、凍りついた笑顔のまま三人に入店を促すのだった。