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六十六話

 主と淡路はホテル内のバーでグラスを傾けている。

 食事中もカフェでもそれなりに話が盛り上がり、主は淡路に少しずつ心を開いてしまっていた。

 お互い看護師という仕事を経験していて、相手は自分よりもスキルがある人だ。しかも元からおしゃべりが上手なのだろう。ただ一方的に話すのではなく、ちゃんと主の話も聞くという対応が出来ていた。

 ほんの一杯のつもりでいたが、お互い3回注文をしてしまっていた。

「ごめんなさい、こんな時間まで」

「こっちこそ楽しかったです。小説家さんのお話を聞けるなんてそんなにないですからね」

「いや、まだまだ駆け出しですから」

 主は先入観をもって対したことを恥じた。相手はちゃんと一人の人間として向き合ってくれていたのだ。

 ロビーまで下りてくると、何やら人だかりが出来ていて少しだけ騒がしいことに気が付いた。


「なんですか? あれ?」

 淡路の眉間に少しだけしわが寄る。

「テレビの取材……みたいですね」

 主はテレビの取材陣に見知った顔を見つける。夏の合宿所で一緒に料理を作ったスタッフが何人かいる。

 もしかしてと思い、カメラの先を確認するとやはりよく知った芸能人がいる。

 かすみそう25の面々が、特設された壇上に緊張を隠せない表情で座っている。

「ああ、アイドルが何か発表するみたいですね」

「そうみたいですね」

 淡路の口調に若干だが、キツさを感じる。

「お嫌いですか? アイドル」

「あ、……嫌いというわけじゃないんですが。そうですね、あんまりいい印象は無いですね」

 主の予想通りの答えを返す淡路。

 その表情ははっきりと嫌いだと言っている。


「お聞きしても?」

「ええ、なんて言ったらいいかな。見てください、あの中央に座っている子。見るからに苦労を知らない顔だちじゃないですか」

 そう言って指さしたのは、かすみそう25のリーダーの賀來村美祢だ。

「多分、あんなに可愛い顔で学校でもテレビでもチヤホヤされて、これからも苦労せず生きていくんだなぁって思うと、なんかズルく感じませんか?」

「そうですか?」

 その日淡路が見せた表情の中でも一番歪んでいる表情を浮かべていた。

「可愛いってだけでああやって綺麗な衣装で、毎日遊びみたいな仕事して。私は実習とか苦労に苦労を重ねてようやく看護師になって、それでも足りなくって毎日毎日勉強勉強です。顔だけでこんなに差がつくっておかしな話だと思いませんか?」

「顔だけならそうですね」

「ですよね! なんか不公平の象徴って感じなんですよね」

 淡路の目に明かな嫌悪が灯っている。


「淡路さん、つかぬこと聞きますが学生時代に彼氏いました?」

「? ええ、まあ」

「高校時代も?」

「いました……ね」

 主は淡路に笑顔を見せて、話を続ける。

「ですよね、淡路さんはモテそうな雰囲気ありますし」

「本当ですか? そう言われるとうれしいですね」

 主はロビーにある椅子を淡路に勧める。これは淡路を気遣ってではない。

 これから話が長くなりますよ。そういう合図だ。

 それに淡路が気が付かないのが、悲劇の始りだったのだろう。


「ちなみに僕は全然モテませんでした。仕事するまでまともに女性と話すこともなかったです」

「はあ……?」

「僕とあなたでは決定的に違う。たぶんあなたの学生時代のほうが楽しい思い出にあふれているでしょう。では彼女たちの学生時代はどうなんでしょうね?」

 主の表情はまだ変わらない。表情だけは優しい雰囲気を崩してはいない。

 けれど、正対している淡路にはそうではなかった。明かに自分によからぬ空気をぶつけてくるように感じていた。

「楽しいんじゃないですか?」

「そうですね、楽しいかもしれません。あなたの半分の思い出だとしても」

「何がおっしゃりたいんですか?」

「わかりませんか? 彼女たちがあそこにいるために支払った対価の話ですよ」

 淡路は主の言葉を聞いても何を言っているのかよくわからないといった表情のままだ。

 主はため息を一つ落として、再び口撃を始める。


「彼女たちはあなたのように、彼氏との淡い思い出も高鳴るようなドキドキも全てベットしてあそこにいるんですよ。いわゆる人並の青春ってやつを賭け値にして夢を追っているんです。僕のようにできないものではなく、あなたのようにあったであろう青春です。その対価は華やかな舞台だけじゃないですよね? あなたがさっき言ったような言葉も対価の一つです。等価値ですかね? 随分と想像力の欠けた発言でしたけど」

「だって、それはあの子たちが選んだわけですし」

「じゃあ、貴女は選んでいない? 消去法で看護師ですか?」

「そういう意味じゃ……」

 主は少しだけタバコの吸えないホテルのロビーを呪った。小休止のタイミングが自分でもわからないから。

「不公平だって言ったじゃないですか。まるで自分には看護師の道しか無かったみたいに」

「なんで怒ってらっしゃるのか、意味が分からないんですけど」

「あなたはさっき、職業差別したのに気が付いていないんですか? アイドルは苦労をしていない、そうおっしゃいましたよね」

「ですから、それの何がいけないって言うんです?」

 押され気味だった淡路も流石に、自覚のない罪に対しては憤りを隠さない。

「あなたの今までしてきた苦労と、今あの子たちがしている苦労は僕から見れば同価値です。それに地位向上を口にしていた看護師の先達に唾を吐きかけたんですよ、あなたは。そして私はあの子たちの仕事仲間です。かばうのは当たり前でよね? ペンネーム話しませんでした?」

 主もようやく笑みを消し、嫌悪の目で淡路を見る。


「不愉快です! このお見合いは無かったことでいいですね」

「ええ、看護師だけが素晴らしい職業だと思い込んでいる人と縁は結びたくないですから」

「あなたも看護師を侮辱してるじゃないですか!」

 ゆっくりと首を振り、淡路の言葉を否定する。

「意味わかりませんでした? 素晴らしい職業は、この世にあるすべての職業です。職業に貴賤無しって聞いたことありませんでした?」

 真っ赤に顔を染めた淡路は、肩を怒らせながら帰っていく。

 それを見届けて、主は一本電話を入れる。


「あ、叔母さん。やっぱりあなたの人を見る目は最悪でした。え? 何言ってるんですか、あなたのお見合いの成婚率1%ですよね。あと5年離職率7割の看護部長のくせに自己弁明が過ぎるのでは? 叔母さんは人は良いですけど、人を見る目がないのが最大の欠点です。次お見合いなんか持ってきたら、潤に言って二人で説教です。……ダメです、最大の被害者である息子に盛大に怒られてください。……え? 何を今さら、お見合いは失敗です」

 通話を切って、再びため息を漏らした主は椅子に体重を預ける。

※作中の会話は決して誰かを貶めるような意図で書いていません。

全てはフィクションです。詳しくは活動報告で。

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