六十四話
美祢と花菜が男を巡ってあわや関係断絶の危機となり、友人のユミのお陰で事なきを得ていた日から、二週間後のこと。
主は、はじめて買った姿見に自分の姿を写していた。
「やっぱ、なんか違和感なんだよなぁ……けど、まあ、仕方がないか」
主にしてはカッチリとした服装を着ている。いつもは夏でもパーカーを着ているパーカーを偏愛もとい、オシャレ未履修の男が、ジャケットスタイルで鏡の前に立っていた。襟足を何度も擦っているのは、フードがないのが落ち着かないのだろう。
「あー、こんな高級時計を普段使いにしろとか、マジでキツイ」
ちょっと前の主であれば、間違っても購入検討はおろか、視界にもいれなかった腕時計を装着している。とは言っても二桁万円に若干届かない程度の値段であり、カテゴリ的には高級時計には分類されない。
しかし、主の看護師時代を考えればかなりの高級品だと言っていいかもしれない。
なぜ、主がこのようななれない格好で慣れない高級品を身につけているのか?
それを知るには、時間を二週間前に戻す必要があった。美祢と花菜が主をめぐって争いを始めるちょうどそのころ。主に一本の電話がかかってきた。
◇ ◇ ◇
『もしもし主? お母さんだけど。祥子叔母さんがね、やっと主に会っても良いって女性見つけたんですって。二週間後なんだけど開いてるよね?』
「母さん。なんで断ってくれなかったの」
『断るわけないじゃない! あんたもお兄ちゃんみたいに親に孫抱かせるぐらいの孝行はしても良いんじゃない? 相談もなく仕事辞めて物書きになりますなんて心配かけたんだから』
主はうんざりとした表情のまま黙り、母親の攻勢を受け流していた。母親のそろそろ結婚しなさい攻勢には黙って言いたいことを言わせ、態度でお断りだといってやるしか反撃の手はない。
『……ってことだから、場所はメールしといたからちゃんとした服装で会いに行くのよ』
主の携帯のディスプレイが暗くなっていく。
沈黙は抗議の態度にもなるが、時に沈黙は肯定として処理されることもある。
こうしてめでたく? 元上司で叔母の祥子が選出した女性とお見合いをすることとなってしまった。
「はあ……ちゃんとした服? スーツか?」
クローゼットを確認すれば、長らく使用していないスーツがかかっている。れっきとしたスーツではあるものの、はなみずき25のメンバーたちとの食事会で使用したままでヨレヨレである。
「あー、あのあと色々と忙しかったからなぁ。……ちゃんとした服、どうしよう」
クリーニングに出してもいいが、主の近所のクリーニング店では二週間は間に合わないかもしれない。
「ついでだし、まともなの買っておくか。……まともなの? まともってなんだ?」
前述したとおり、オシャレ未履修の主にはちゃんとした服、まともに見える服という判別がつかない。
そして、孤独に愛される男にはそれを相談する相手もいない。
「……まいったな。いっその事平服で行って破談ってのも……、いや、それは相手に失礼か。…………あ、ダメ元でお願いしてみるか」
そう独り言をこぼした後、手に持ったままの携帯でとある人物をコールする。
「あ、お疲れ様です。佐藤さん、業務外のお願いなんですけど……。いや、本当にすみません」
◇ ◇ ◇
そして後日、主は佐藤と共に服を買いに来ていた。
「あの……佐藤さん。もう一度聞きますけど、こちらの方はなぜ?」
「先生。何度でも言いますけど、何が悲しくってオッサンがオッサンの服を二人で買いに行かないといけないのかって話ですよ」
「ですよね。あの、でも」
「あ、先生! これ似合いそう!!」
そこにいたのは水城晴海だった。彼女は男装アイドルとしてメンズ服のモデルとしても活躍している。最近は普通に女性用のモデルも始めたらしい。いうなれば、ファッションのエキスパート。佐藤の伝手として、ファッション面では最上級のカードだ。しかも主に好意を寄せていて、こんな面倒な相談にも大喜びで参加してくれている。
「あの、水城さん。歩きずらいです、世間の目がとかじゃなく物理的に」
水城に腕を組まれ、店内を引きずられるように歩く主の姿は、大型犬に引きずられるダメな飼い主のようだった。しかも水城のほうが圧倒的に身長が高い。なのにもかかわらず、絶対に腕は組みたいらしく、腕に水城の腕が絡まっている。加えて手は水城が強引に恋人繋ぎを希望して、今日の報酬先渡しということで手もがっちりとホールドされている。
その様な状態で、好意を寄せる男性の服を自分で決められる、そんなシチュエーションにテンションマックスな水城が主を強引に引き回すと何が起きるだろうか?
「痛い痛い!! さっきから肘キマッてるから!! 折れる、マジ折れるから!!!」
ほぼねじり上げるような恰好で、右に左に急な方向転換も加わりスタンドで脇固めを喰らっている主は必死に水城の手を叩きタップをしている。
「はい! ブレイクブレーク!」
「ダメ駄目、腕だけはダメ。一応この人作家さんだから、腕折るのだけは勘弁してあげて」
「――ぁっっっ!! ……と、止めるの遅いですよ、佐藤さん」
「あ、ごめんなさい。ムービー撮ってたら止めるタイミング遅れました」
謝る佐藤の顔には、いやらしい笑みが前面に出されている。
「先生ごめんなさい!! 大丈夫ですか!?」
「……うん、あの、繋ぐのは手だけでいいかな。本当にごめんね、水城さん」
頼った手前、佐藤にも水城にも強く言えない主は、佐藤に抱いた軽い殺意になんとか蓋をすることにした。




