六十二話
放課後花菜の呼び出しで屋上に来た美祢。たが、肝心の花菜の姿がない。
「お待たせ……花菜?」
「こっちこっち」
階段の屋根から花菜の声が聞こえる。
「ねー、パンツ見られちゃうよ」
「誰もみてないって」
まるで自分がトップアイドルだということを、忘れてしまったかのような花菜の言葉に、美祢は少しだけ違和感を覚える。
「誰がみてるかわからないでしょ、いい加減降りてきなって」
美祢の言葉に呼応するように、飛び降りる花菜。
「ちょっと、危ないって!」
「このくらい大丈夫、大丈夫だから」
着地の瞬間痺れたのか、少しだけうずくまる花菜に美祢が近寄る。
「ほら~、だから言ったのに~」
近寄る美祢の襟に、花菜の手が延びる。一瞬のことで、美祢は反応出来ず、少しだけバランスを崩す。
「な、何!?」
「美祢、昨日先生と、@滴先生と何かあったでしょ?」
尋ねている花菜の目は、真剣のように鋭い。その目に動揺した美祢は、咄嗟に目をそらして防衛をはかる。
「な、何にも……無かったよ」
花菜は美祢の目ではなく、声色で美祢が嘘をついているのを確信する。美祢が解るように、花菜も。
「嘘。キスしたんでしょ?」
「誰に聞いたの!? あれはそんなんじゃないから!」
美祢の顔が、紅く染まっている。キスという単語に動揺した訳じゃない。受け入れそうになった自分を思い出したから。
「あれは、……違うから」
花菜の手に力がこもる。
「あの人に、何をしたの?」
「した訳じゃなくって……されそうになったっていうか……」
うつむいた美祢のほほに、花菜の親指が突き刺さる。
「ねえ、ちょっと痛いってば!」
力任せに花菜の手を振りほどいたせいで、美祢のブラウスのボタンが一つ飛んでいく。
「ねえ、仮に何かあったとしても花菜には関係ないでしょ!?」
「関係ある、私はあの人が好きだから」
「……っ!」
あまりにストレートな物言いに、美祢は思わず言葉を飲み込んでしまった。
そして瞬間、自分に問いかけてしまう。自分はあの人のことをどう思っているのだろう?
SNSで何度も言葉を交わし、@滴主水の苦悩も寂しさも何度か目にしたこともある。なんと声をかければいいのか、経験のない自分は何度も悩んだ。そのたびにあの人はすまなそうに自分からわびの言葉を入れてくる。まるで弱音を吐いた自分が悪いのだと、自罰するように。
あの時も何もしなければ、あれ以上の自分を傷つける言葉を口にしていただろう。それが嫌でとっさにあんな行動をとってしまった。
きっとあの人を本当に癒し、寄り添うつもりなら相当な覚悟が必要だろうと美祢は想う。それこそ、自分の人生全てを捧げるくらいの。
それを知っていながら、なぜあの時自分は軽々しく受け入れようとしたのか? そして目の前にいる親友で幼馴染のこの少女は、何も知らないのに軽々しくあの人を好きだといえるのか?
それを想うと、美祢の感情のタガはいとも簡単に外れてしまう。
「簡単に好きとか言わないで!」
「簡単になんか言ってない」
「言ってるよ! 先生のこと何も知らないくせに!」
「そんなのこれから知ればいいの」
「そんなのじゃない! あの人の人生を左右する大切なことなの!」
美祢の目から涙がこぼれ落ちる。
その涙は、知っていながら何もできない自分への情けなさと、知っていながら今この瞬間まで忘れていた自分への怒り。そして何も知らず素直に恋心を抱ける親友への羨望。それらが混じり合って地面へと落ちていく。
美祢は想う。たぶん自分は@滴主水を、佐川主というあの男性を好きなのだ。だが、アイドルの自分は、それを表に出してはいけない。なにより自分のような何の言葉も持たない小娘が、あの人に妥協を強いてはいけない。
あの人は、自分をアイドルとして生まれ直させてくれた恩人でもあるのだから。この想いを口にして困らせたくはない。
彼のあの言葉の通り言い訳もない、何のわだかまりも残さない、ただ一つの大切な一番星を手に入れて欲しい。
それが自分でなくてもいい。それをただ遠くから祝うだけでもいい。そう、本当に花菜があの人の一番星であるなら、……本物であるなら、それでもいいのかもしれない。
でも、あの人の想いを『そんなもの』と、何も知らないとはいえ口にした花菜が、本物であってほしくはない。
美祢は花菜を睨む。花菜は美祢を睨む。
「……花菜はアイドル辞めるつもりなの?」
「やめない。窮屈な思いさせるけど」
「あの人は花菜と付き合ったら、きっと花菜を一番に考えるはずだよ? なのに花菜はあの人を一番に考えないの? そんなの可哀想だよ! そんな人、先生に相応しくないよ!」
「じゃあ、美祢なら相応しいって言うの?」
「私……でもない。私だってアイドル辞める気ないし、アイドルとして目標あるから」
「じゃあ、水城にでも渡せって言うの?」
「そんなこと言ってないでしょ!」
今にも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気が立ち昇る。
「私もダメ、自分もダメ、水城もダメ。じゃあ誰が良いって言うの? 馬鹿じゃない!?」
「馬鹿は自分でしょ! この馬鹿クイーン」
「お馬鹿クイーンね! 番組でのこと今持ち出さないでよ!」
そして、とうとう二人の腕がお互いへと伸ばされる。
「誰にも渡す気ないんでしょ? 美祢もあの人のこと――」
「そこまでーーー!!!」
にらみ合う二人の頭に衝撃が走る。それは物理的な衝撃だった。
頭を押さえ、しゃがみ込む二人を見下ろす影が一つ。
「ユ、ユミちゃん!? なんでいるの?」
「ユミ! これ以上お馬鹿になったらどうすんの!」
抗議の声を聞きながらも、ユミは腕を組んで、なおも二人を見下ろす。
「まったく! アイドル二人が男のことで喧嘩して、情けない!」