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五十九話

「賀來村さん、あ、いや、結び目さん。どうしたの?」

「どうしたって、いきなりいなくなるから……みんな探してましたよ」

 はて? と主は思う。立木に喫煙可能な屋上を教わり、喫煙のために、その場所に来たわけだが探されるようなタイミングだったか? と。

「ごめんごめん。これ」

 主はまだ消えていない火を指差して自分の行動理由を説明する。あまり未成年の美祢に見せるような物でもないがと、合わせて頭を下げる。


「本当に好きなんですね、タバコ」

「いや、好きじゃない」

 美祢の言葉に間髪いれず答える。予想していない答えに美祢の瞼が数回、高速で落ちる。

「じゃあ、なんで吸うんですか?」

 決して褒められるものでもないタバコを好きでもないのに吸っていると答えた大人に、美祢は興味が湧いたのか煙を気にする様子もなく主へと近寄る。

「そうだね、最初はカッコつけたいからなんだよね。大人だぞって見せたくてね。今は……寄り添ってくれたのがこいつしかいないから……かな」

 それから主は自分の半生を美祢に語り出した。

 

 看護師という仕事が、あまりにもイメージとかけ離れその修正に苦労したこと。初めて人の死に遭遇した衝撃。そして何時からか人の死を冷静に予測をしていた自分に気がついた時。患者の家族に憤り、いつしか期待さえしなくなったこと。

 数々の負の感情の場面に、タバコの煙が共にいた。折れそうになった時、玄関の扉がやけに重く感じた瞬間。

 なんとか踏みとどまれたのは、ほんの数秒で消えてしまう煙がそこにいてくれたから、かもしれない。

「だから止められないんだよね、っていう言い訳ね。本当ならやらないほうが良いものだからね」

 酒のせいか主の舌は良く回った。回りすぎた。

「独り立ちって言うけど、僕は人って何かに支えられないと立っていられないと思うんだ。心が疲弊したときに支えてくれるナニかがないとね、折れちゃうんだよ。ヒビが入った心をさ、支えてほしいんだ。だけどね、そのヒビを直すなら、人でないとダメみたいなんだ。物じゃ癒せないんだって。僕にはまだわからないけどね」


 主は余計な言葉を口にしたと、痛感していた。美祢がうつむいたまま動かない。話題を変えようと、意図して明るく声を出す。

「それにしてもみんなすごいよね。よく腐らず頑張った、努力がちゃんと実ったんだ。凄いよなぁ」

 彼女たちを通して幼いときに夢見た自分を視ていた。

 名前の呪縛か、主は有名にならなければ幸せにはなれないのではないか。そう思っていた時期が存在する。

 幸せの定義もあやふやで、両親だけが目標であった頃。ただどうすれば良いのか、踏み出すべきなのか迷っていたら、そんな選択肢は時の流れに押し流されて消えていた。

 そんな自分に出来なかった選択を出来た彼女たちが、主には何よりも眩しく見えたのだ。


「昔ね、僕は英雄になりたかったんだよ」

 酒の魔力に飲まれた主は、美祢をみること無くただただ独白を繰り返す。

「僕になら世界から不幸を無くすことが出来るって、でもそんなこと出来なくて。世界じゃなく誰かならって、それも出来なくて。後悔ばかりが積み重なって、せめて作品にはそうならないようにってね、ご都合主義って叩かれたけど、止められなかった。いつか認めてもらえるって、結局受動的なんだろうね。今も」

 今小説家として働けているのも、主にとっては受動的な結果だ。なんならその最たるものと言っていい。

「本当は、僕の言葉なんか誰にも必要とされていないのかもしれない」

 主は短くなったタバコを消すと、虚空を見つめる。自分の言葉に自分の無力さを認識してしまったから。

 

 主が目から入る情報を遮断しようとした瞬間、空間に合っていた主の焦点が遮られる。

 暖かく、そして力強く美祢が主を覆っていた。

「そんなこと無い! そんなこと無いです!」

 美祢の声が主の頭の上から降り注ぐ。

「少なくても、私には先生の言葉が必要でした。アイドルになるときも、アイドルになってからも、あなたの言葉に励まされて、元気をもらって、何度も涙を受け止めてくれましたよ。……それに書き始めたのも、書き続けたのも全然受動的じゃないじゃ無いですか。今も誰かに先生の言葉が届いてます。きっと誰かが一番星に手を伸ばすきっかけになってますよ」


 美祢の言葉に、いや、美祢の言葉だからこそだろう。

 小説を書いても誰にも届かないとあきらめかけた時、唯一反応をくれた『結び目』としての美祢の言葉。

 そして二つのアイドルグループに在籍し、今も奮闘を続ける彼女。

 そんな彼女が今情けない自分に寄り添ってくれている。その事が、少しだけ主の心を癒していた。

 主の覆われた目から、涙が溢れる。声も出さず涙する主は覆い続ける美祢に負けないくらい、美祢を自分に押し付ける主。

 涙と感情で機能が低下した主の呼吸器が、何度も何度も音を立てて空気を取り込む。

 その間も美祢はなにも言わず、ただただ同じ力で主の頭を覆い続けていた。


 ◇ ◇ ◇


 主の涙は数分間流れ続けた。

 涙が止まってしまえば、未成年の少女に抱き付いているオッサンという状況。所によっては通報、即逮捕な絵がそこにはあった。

 主は気恥ずかしくなり、手の力を緩めて美祢をゆっくりと放す。

 それに気が付かないのか、何故か美祢はまだ主の頭を抱えている。

 あまつさえ主の髪を優しく撫でている美祢の手の感触も主に伝わる。

 主の頭の位置が位置なだけに、動かすこともはばかられる。そこは美祢の胸の中だったから。

「あの……」

 力を緩める気がない美祢に、ようやく主が声をかける。

「あ、ごめんなさい!」

 そう言って、ようやく美祢の体が主から離れた。

「……ごめんね。服汚しちゃって」

「気にしないでください、ただの練習着ですから」

 離れた美祢の顔は明かに主の方を向いていない。なぜなら美祢の顔は紅く染まっていたから。主も視線は地面を向いている。なぜなら顔が紅く染まっているから。

「……」

「……」

 暗く夜のとばりがおりている。二人の顔の色は二人ともお互いに確認できない。

 それでも相手には見えたかもしれないと、沈黙が流れる。

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