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五十五話

 都内にあるマンションの一角に、そのスタジオはあった。漫画スタジオ動植物園。代表の傘部ランカだけではなくスタッフの数人は自分でも連載を持っている。

 中には雑誌の看板候補に上がる作家まで在籍している。

 なぜそんな人物までいるのかといえば、単に環境の良さが理由に上げられる。

 このスタジオでは、作家による優先度を設けてはいない。傘部ランカであろうと、その下の作家であろうとできる作業から片付けていくのが決まりだ。しかも大ベテランである傘部ランカにコンテチェックをしてもらえ、傘部ランカをアシスタントとして使える。作品のクオリティにこだわりたい作家にとっては夢のような環境だった。


 アシスタント陣も豊富で、チーフアシレベルが複数在籍していてローテーションを組んでいるので休みも(他の作家のところに比べれば)無理のないように設定されている。

 そんな漫画制作工場で先ほどから、苛立たしそうに膝を揺すっている人物がいる。

 やせ形で線の細い、見るからに神経質そうな男。自分の描いたコンテを手に、ぶつぶつと呟き空中にペンを走らせては架空の原稿を塗り潰してまた、空中にペンを走らせる。

「違う!!」

 本来はこの時間に、弟子である作家の背景を書くはずであった傘部ランカは、一人書斎にこもりひたすら絵コンテを切っていた。

「先生、牧島さんが到着しましたが」

「やっと来たか! すぐ行く!!」

 呼びに来たアシスタントを伴い、傘部ランカは肩を怒らせながら歩き始まる。


 応接室に仕立てられた一室に背中をアルマジロのように丸めている二人の男と、この難局をどう乗り切るかあらゆる想定を必死に頭の中で追う佐藤がいる。

 傘部ランカは、三人がいる部屋のドアを蹴破るように入っていく。

 音に驚いた三人は、肩を震わせ反射的に立ち上がる。

「傘部ランカ先生! 担当の牧島です。この度は本当に申し訳有りませんでした!」

「お初にお目にかかります! し、新人の@滴主水と言います!」

「@滴主水先生の担当をしています。佐藤と言います、お久しぶりですね。傘部ランカ先生」

 佐藤の挨拶を受けて、傘部ランカは佐藤の顔を覗き込む。数巡して思い出したように手を打つ。

「ああ、泣き虫ジュウザの佐藤くんか! どれぐらいぶりだ?」

 泣き虫ジュウザとは、傘部ランカの代表作『失楽少女』に出てくる敵キャラクターの名前だ。傘部ランカは、歴代担当の似顔絵をキャラとして漫画に登場させることが、度々ある。佐藤もその一人だが、泣き虫ジュウザは作中でもトップクラスに酷い最期を迎えたキャラの一人だ。佐藤が傘部ランカにどう思われていたかは、推して知るべし。という奴だ。


「それよりも傘部先生、@滴先生へのご用件とは?」

「ああ、そうだったね。……@滴くん、なぜ君はコンテを確認しない? 作品のクオリティが心配じゃないのか?」

 編集者二人は、やはりその件かと顔を歪ませる。傘部ランカは、何より作品のクオリティに重きを置く。〆切よりも自身の生活よりもだ。それがたたり入院する羽目になったこともあり、今は一定のクオリティを維持しつつ効率も考えるようにはなったのだが。

 編集者二人は、鳴りを潜めていた昔の傘部ランカが現れたと警戒する。

 牧島も佐藤も見誤っていたのだ。傘部ランカが、@滴主水の魔法創世神話をどれ程の熱量で描いていたのかを知らなかった。

 佐藤が担当をしていた頃の傍若無人な作品クオリティだけを追い求めていた若き日の傘部ランカが、そこにはいた。


 佐藤は@滴主水が、傘部ランカの求める答えを口にしてくれることを願うしかない。

「何故って、先生の完成原稿が僕のイメージのカットと同じだからです。欲をいえば、シリアスとコメディの移りが銀河大帝先生的だったら何も言うことはないです」

「銀河大帝先生的か……じゃあ、今この場面なんだが」

 傘部ランカは手に持っていた描きかけのコンテを主に手渡す。主は一読して主人公がどんな表情で、動きの方向性を書き足して返却する。

「なるほど……ここは振り切っていい訳か」

 その後も魔法創世神話一作目の『ゼロから始める魔法体系』について、傘部ランカと@滴主水とのイメージのすり合わせが、延々と続いた。

 傘部ランカから最初のような怒気は消え失せ、意識は創作に集中していくのが外野の佐藤と牧島にもわかった。


「呼びつけてしまって本当に申し訳ない。どうしても読み取れないシーンがあってね。少しだけ八つ当たりをしてしまった」

 煮詰まっていたものが、先に進んだことで落ち着きを取り戻した傘部ランカは素直に頭を下げる。

「だけどね。@滴くん、君はもっと原作者として意見を言った方がいい。この作品の世界は君だけにしか見えていないんだから、それを伝える作業を怠けたらダメだ」

 そう言って何枚かの原稿を主に突きつける。

 それは疾風迅雷伝の没原稿。ピザ時計廻りが描いている原稿だ。雑誌に乗らなかったはずの原稿は、そのまま雑誌に掲載出来るクオリティになっている。


「あ……」

 担当の牧島は、何かを知っているような反応を見せる。

 受け取った原稿を見て、主は申し訳ない気持ちになった、信頼しているという耳触りのいい言葉でピザ時計廻りを突き放していたという事実。

「もっと会話をしなさい」

 傘部ランカは、優しく主の肩を叩き自分の戦場へと向かう。

 それを見送り、主は一つの決断をする。

「佐藤さん、牧島くん。僕は専業になるよ、この年でギャンブルは少し怖いけどね」

 主は二人の担当に笑いかけながら、人生の舵を大きくきるのだった。

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