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五十二話

 1階のエントランスで呆然としている主を見つけ、ある人物がゆっくりと近づいていた。

「タイ……アップ……?」

 呆然として片言のようにつぶやく主の腰に巻きついて来るモノがある。

「せ~んせ!!」

 思考停止していた主の無防備な腰は、かなり力強く締められる。

 現実世界に戻ってきた主は、締め付けられる腰回りに視線を落とす。そこにあるのは見るからに女性の手。

 一瞬、香山恵に再び捕まったかと焦り、締め上げる手を振りほどこうと手を伸ばす。

 同時に体を回転させ、何とかこのホールドを外そうともがく。

「きゃぁ~!!」

 何とも楽し気な声を上げる手のぬしの声は、明らかに恵とは違った高めの声だった。

 そのことに気が付き、いったい誰がと主は考える。美祢であれば肩は突くだろうが飛びついてきたりしないと思われる。小山あいであればこうして過度なスキンシップはしてこないだろう。水城晴海はやりそうだが、他事務所のエントランスにいるわけが無い。

 考えてみても一向に誰か予想はできない。

 意を決して動きを止め、ゆっくりと振り向く。

 そこにいたのは……。


「た、高尾さん!?」

「先生! お久しぶりです!!」

 高尾花菜だった。あの合宿の日、苛烈に主を叱咤した花菜。アイドルカーニバルで水城晴海を楽屋に連れ込んだことを最大限の怒りでもって叱責してきた花菜が、何故か主の腰に手を回しじゃれついてきていた。

「お久し振りです……? 高尾さん……だよね?」

「はい! 高尾花菜です……忘れちゃいました?」

 上目遣いで答える花菜。その表情も言葉も、以前美祢に聞いていた花菜のキャラクターにはなかった。そして以前、自分の目で見た花菜のキャラクターともまるで違う花菜がそこにいた。

 そのことで主は、一瞬ではあるが花菜を花菜と認識できないという誤作動を起こしていた。

「え? なんでここに?」

「だって、ここ事務所ですよ?」

 そうだったと主は思い出す。ここは花菜が所属する事務所の中だった。故に花菜がいても不思議ではない。不思議なのは何故自分にじゃれついているか、その一点であった。

「あの……とりあえず離れてくれません?」

「離れてあげません」

「……話しづらいんだけど」

「話せてるじゃないですか」

 何かが反応してしまいそうになるのを必死に抑えながら、何とか現状の打開を試みるが即否定された。

「写真撮られちゃいますよ?」

「あ、それはダメだ」

 意外とあっさりと手を離してきた花菜に、やはりアイドルなんだと再度認識する主。

 アイドルとして無用なトラブルが起きないように、すべての感情がアイドルとしての行動の下に制御されているかのようなあっさりとした引き際を見せる。

 職業人として生きてきた主は、そんな花菜を少しだけ尊敬のまなざしで見る。

 感情の抑制というのは意外と難しい。習得できない人は何年社会人をしていても習得できないということも間々ある。

 それを十代の花菜ができているのだから、尊敬に値するだろう。


「先生は事務所で何してたんですか?」

 そんな花菜に純真そうな目を向けられて、話をはぐらかすことができるほど主は大人になり切れていない。仕方なく自分のファンを公言してくれている美祢にも話していない話と、先ほど立木から聞いた話を漏らしてしまう。

「……ってことは、次かその次のシングルか。先生! 先生のアニメの主題歌はわたしがばっちりセンターで決めるから」

「いやまだ、はなみずき25が歌うって決まったわけでもないのに……」

「ううん、決めた。絶対に歌うからね」

 その顔は年相応の希望に満ちた満面の笑みだ。アニメ制作に大人の思惑が乗っていることを聞き及んでいる主には眩しすぎる笑顔だ。

「そう、……じゃあ、その時はお願いね」

 そう言って、幼さを見せる花菜の頭をそっと撫でる。

 嬉しそうに主の手を受け入れる花菜を見て、こういう一面もあるのかなどと思ってしまう。


「その代わりに、お願いがあるんですけど……」

 上目遣いを巧みに使い、おねだりをしてくる姿などまるで、自分の娘のように思えてくる。

「なに? 何でもは無理だけど少し程度ならわがままも聴けるよ」

 正直、花菜には色々と助けられた一面もある。小説家としてデビューできた切っ掛けも一部は花菜にある。地の底まで落ちたかもしれない合宿での出来事も、その剛腕で無理やり引き上げてくれた。

 なにより、あの事件でかばった少女がアイドルを嫌いにならず、自分もアイドルになろうと思いその夢をかなえてくれたことは、過去の主の過ちを減刑してくれたのような気分にさせてくれる。


 そんな花菜のわがままに少しぐらい付き合っても、罰は当たるまい。むしろこのわがままを聞かなければ罰が当たるというもの。そう言い聞かせ、主は花菜のわがままを聞く気でいた。

 ……それに看護師の給与では無理だが、今は小説家としての収入もある。今まで取っておいた作家としての収入であれば、多少のことは生活にダメージを与えないだろうという打算もある。

 そんな打算的な主の耳に、花菜のわがままが届く。

「じゃあ……わたしとデートしてください!」

 主の耳に届いたそこ言葉が、脳に届くまでかなりのタイムラグが生じたのは言うまでもない。

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