五十話
「立木さん、お疲れ様です」
「先生。お疲れ様です、上がりましたか?」
主はかねてから依頼があった、つぼみのメンバーを題材とした小説を届けにやって来た。
「それにしても、先生は〆切に余裕持たせますね。もっと掛かるものと……」
「いや、これでも時間いただきましたし、それに最近は第1稿でOKもらえるとも思わなくなりましたからね」
「頂戴いたします」
立木は主から丁寧に原稿を受けとる。
「外、暑かったでしょうから冷たいものでも」
「あ、恐縮です」
「じゃあ、サッとチェックしちゃいますんで」
主は応接室に通され、冷えたお茶で口を潤す。
見慣れない場所で、緊張しながら待つ作業というのはついつい余計なことを考えてしまうもの。主もついつい考えてしまう。一度は頭から排除を試みるが、考えないように考えないようにと念じてみても押さえ込めるものではなかった。
主は応接室をソッと開けると、近くにいたスタッフに声をかける。
「あの、……御手洗い借りれます?」
未だに緊張を抱えながら、トイレから出てきた主に声がかかる。
「あ、先生じゃーん!」
そういって明るく駆け寄ってきたのは、香山恵だった。
アイドルカーニバルの控室の一件以降、顔を合わせていなかったメンバーの一人がまるで好感度Maxかのような顔で近寄ってくる。主にとっては若干の恐怖を感じさせる出来事だ。
「か、香山さん。お久し振りです」
「色男先生、事務所で何やってるの?」
「仕事で来たんだけど、その色男ってなに?」
香山恵はニンマリと顔を歪ませて、肘で主を突きながらハスキーな声を抑え気味に話しだす。
「だって先生、水城のことフッたんでしょ? 聞いたよ~」
「ちなみに、誰に?」
「本人。あの娘泣いてたなぁ~」
事実、主は水城晴海をフッた。しかしその話がはなみずき25メンバーに伝わっていると思うと、なぜだか焦ったような気分におちいる主。しかも女の子を泣かせたという主も知らない事実。
あの颯爽と去っていった水城晴海が、友人の前では泣いていたんだという主も知らない一面。
主の心は、焦りと動揺で早鐘を打っていた。
それを読み取ったようにさらに追撃をかける恵。
「女の子に『年の差を考えられないくらいの女の子が好きだ』って凄いこと言うよね。誰か好きな人いるんでしょ? 絶対誰か考えて言ったよね?」
「っ! や、やだな。いないよ? そんな人。本当に」
「え~! 誰にも言わないから教えてよぉ~」
主の袖をもってブンブンと振り回す姿は、楽屋での恵を知っている主でさえクラッっと来てしまう。いや、むしろ元を知っているからこそ、その高低差にめまいがおきる。
「めぐぅ~? いたいた。何やってるん? あ、先生」
「あ、あいリーさん! 良いところに」
メンバーを探しに来たら、すがるような顔のオッサンに出会ってしまった不運な小山あい。
しかも絡んでいるのは、小山あいが苦手とする乙女モードの香山恵だ。
「あ~、終わったら戻るように言っといてくれます? じゃ」
何かを察した小山あいは、まるでなにも見なかったというように背を向けて立ち去ろうとする。
「ちょちょちょ! ちょっと、見捨てないで!」
尚もすがりつく主に、小山はいつでも逃げられる態勢を取りつつ答える。
「え~! だって恋バナしてたでしょ? 恋バナの時のめぐ、しつこいから嫌や」
「ねぇ~、誰が好きなの? 私たちが知ってる人?」
「な? 今日はお園いないから無理やねん」
いつもであれば園部レミが抑え役であったが、別の仕事でこの場にはいない。
もうあきらめろと、小山の視線は言っていた。
完全に見捨てられた主に残された選択肢は二つしかない。小山の言うように諦めて追及を受けるか、小山を逃げられない状況に巻き込んで、自分への興味を逸らすかだ。
そして主が選んだのは……。
「好きかどうかわからないけど、小山さんは可愛いですよね」
「え~! あいリーのこと好きなのぉ~!! だって! あいリー」
主から視線を外した恵のスキをついて、主はもう一度トイレへと駆け込む。女子には追ってこれない聖域へと。
「ちょ! 先生!! ズルやん、そんなん!!」
主の後ろで小山が叫ぶ。
「ねえねぇ。あいリーは先生のことどう思ってるの? ねえねえねえ」
「先生の卑怯モン!! あとで覚えてろよ~!!」
小山の声がまるでエコーのように徐々に小さくなっていく。小山はそのまま逃走したのだろう。
遠くなっていく足音が二つ。それを聞いて主は安堵のため息を漏らす。
男子トイレの壁を背にゆっくりと出てくる主。周りに香山恵と小山あいがいないとわかると大きく息を吐きだす。
「あ~、怖かったぁ~」
「何が怖いんですか? @滴先生」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!! ……って、結び目さん」
「え? 何かいました!? 虫ですか? 虫ですね!?」
主の叫びで、居もしない虫と格闘を始める美祢。
何を見たのか、短い悲鳴をあげて主の背中と壁の隙間に逃げ込む美祢。
それを戸惑いながらも可愛く思えてしまう主がいた。