五話
主は受付で担当編集者を呼び出しながら、昨晩のことを思い出す。
自分の作品に対する急な注目に戸惑いはあったが、現実としてランクインし、自分のところに書籍化の打診があったのは事実だった。
しかも複数の出版社から打診があり、聞いたことのないようなレーベルやメジャーレーベルも見受けられ、主にとっては夢のような話であった。
しかし、そんな夢のような出来事を前に主を支配していたのは恐怖心だった。全く知らない未知の仕事。
いったんは夢の印税生活などという言葉が頭の中を支配したが、そもそも創作の仕事というモノの実態を想像すらできていない。
急な気分の乱高下に襲われた主が考えたのは、撤退の二文字だった。
話を断ることで自分の心の安寧を優先しようと思ったのだ。
気分を落ち着かせるためにいつものルーティーンとして立ち上げたのは、いつもの小説投稿サイトだ。
事の発端となったサイトを立ち上げてしまう自分に嫌気がさしながら、仕方なくメールボックスの掃除を始める。
その中に見覚えのあるアカウント名を見つけ、誘われるように開く。
そこには何やら何に謝っているのか不明な謝罪ともうこのサイトに来ないという旨のことが書かれていた。
何事かとその前に送られてきたメールを確認すると、いつも通りの感想が送られてきているだけだった。
その間に送られているメールはないが、何事かあったのだけはわかった。
躊躇したが、このままにする気がない主は自分のSNSを立ち上げ、メールの主のアカウントを呼び出す。
『結び目』というアカウントは主が小説を書き続けることができる大事なファクターだった。この読者がいなければ主は早々に小説というモノをやめていただろう。
何度も感想をもらい、感想のお礼をダイレクトメッセージで送りそれに対するお礼が返ってくるし、そしてどうでもいい自身の近況で話し合うなどもはや主にとって一読者ではなく顔の知らない友人であった。
そんな友人が思い当たらないことで自分に謝りながら、アカウントを消そうとしてるなど主は到底受け入れることができなかった。
『結び目さん、メッセージ見ましたけど何があったんです? 何に謝られているのかさっぱりなんですけど?』
そう送ったメッセージ。いつもは即返ってくる返事がやけに遅い。
画面を見ながら爪を鳴らすが、一向に返ってこない。落ち着こうとタバコに手を伸ばすと通知音がなる。伸ばしていた手を画面まで戻し急いでタップする。
『ごめんなさい。ご迷惑をおかけしてしまいました、もう先生の小説を読む資格がないです』
何を馬鹿なとすぐに送り付けたいが、主は慣れないフリック入力に苛立ちながらそれでも言葉を選びながら必死に文章を書き連ねる。
『君が読む資格が無いなら誰にも俺の小説を読む資格はないよ。だったら俺が小説を書く理由がない、俺のほうこそ書く資格がないんだよ。ともかくそこまで言う理由を教えてくれないか?』
そう送るとまたしても返信は止まる。
混乱した頭を掻きむしり、もう一度タバコに手を伸ばすが2本吸い終わっても一向に返信が来る様子がない。
ため息を落しながら、いつものように自身の近況を送ってみる。
『結び目さん、何があったか知らないけど聞いてよ。俺のところに書籍化の打診が来たんだ。なんかめちゃくちゃ読者が増えて、ポイントいっぱいもらえてさ、ランクインしただけでもすごいのに、いきなり書籍だってさ』
それにも返信がないので続けて今の自分の心境へと筆を進める。
『でもさ、正直こんな注目、こわくって。全部断ろうと思うんだ』
そう送ると意外にも送った直後に結び目から返信が飛んでくる。
『何でなんですか? せっかく来たチャンスじゃないですか! 書籍化されるの夢だって言ってたじゃないですか!』
『知らないこと仕事にするって怖くない? 難しいとか失敗したらとか考えるとさ』
『もったいないって思いませんか?』
『思うかもしれない。けど生活するなら今のままでも十分生活できるし』
『でも、「星の数ほどある言い訳よりも心が叫ぶ一番星を選べるから漢は輝く」って言ったのは先生ですよ?』
その言葉は2作前の主人公に主が語らせた言葉だった。その言葉は主にとって一番痛い、心に刺さった棘のような言葉だった。
30も半ばを過ぎ、思い返せば後悔のほうが多い人生だった。
あの時ああしていれば、この時こうしていれば。そんなありきたりな後悔を創作では払拭したいとひねり出した言葉だった。
その言葉に更なる言い訳をしようと、何度か文字を入力する。
しかし、どうやっても自分の言葉に対する否定が思い浮かばない。そう、主自身も気が付いているのだ。本心では書籍化に挑戦したいと。
何もなかった自分の人生をここで何者かにできるんじゃないかという期待にすがりたいと。
気分を切り替えるために、いつものタバコに手を持っていくが震えて上手くつかむことができない。
否定しようと思えば思うほど胸が締め付けられるような苦しさを感じる。
頭の中ではわかっている。挑戦無くしては、リスクをとらなければ何もないのが人生なんだと。
なによりここで引いたら、自分の子供と言える創作物に負けるではないか。そう考えると、
「それは嫌だなぁ」
と、そんな言葉が漏れる。
『わかった。やるだけやってみる。結び目さん、書籍化が現実になったら一番に感想聞きに行くから』
それを送ると主は返信を待たずに、再びブラウザに向き合い目についたオファーに返信をするのだった。