エピローグ
その日、アイドルグループ『はなみずき25』の十五周年記念ライブが、開催された。
6期生の御披露目や、まだ芸能界で活躍中のOGたちも舞台に上がり、グループの輝かしい未来や懐かしい光景を見たファンは大いに盛り上がった。
ライブ4日目の最終日。5期生のエース神山光希が、アンコールの舞台に一人で登場する。
デビュー当初から、光希は表題曲の選抜メンバーに選ばれ数々の表題曲を経験してきた。しかし、未だフロントメンバーにはなったとこがない、三列目の常連。多少アピール過剰で悪目立ちすることから、ファンからは『三列目のエース』と呼ばれ親しまれている。
そんな彼女が、4日間通して静かだったことにファンは違和感を覚えていた。
彼女が一人で現れたことで、ファンは『なるほど、ソロもらったから静かだったのか』と、納得の様子で、微かな笑いさえ起こっていた。
そんな会場の雰囲気なのに、光希は笑顔を見せず思い詰めた様子でマイクを構える。
「今日、この時間を頂いたのは、ファンの皆さんにご報告と……お許しを頂きたいと思い……、スタッフさんに無理をいってお願いをしました」
普段の彼女らしくない、真剣な言葉。
どうしたのかと、ファンからはどよめきが起こっている。
「私は、一人の卒業生に憧れてアイドルを目指しました。けれど、その人のことを話すのは、はなみずき25ではタブー視されてきました。……十五周年。その人がいなければ迎えることは難しかったでしょう。……私が歌うのは相応しくないかもしれません。でも! あの光景を私はまた見たいんです! 憧れたあの光景を!」
ファンも誰をいっているのか、理解し始めた。
長くファンも話題に出せない、『伝説』のメンバーの話を。
「安本先生にもお許しを頂きました。先輩たちにもお許しを頂きました。……後は皆さんだけです! お願いします! 私にあの人の歌を歌わせてください! どうしても、今日、あの光景を見せたい人がいるんです!」
光希が誰を思っているのか、古参や中堅のファンは見当がついていた。
はなみずき25の結成当初から、SNSでペンライトの配色や色々なサプライズを呼び掛けていた有名なファン。
その更新が永らくないのだ。
闘病のため現場にいけないと、嘆いたのを最後に。
ポツポツと、ペンライトの色が変わっていく。
伝説のメンバーの色に。一面がライトイエローに変わるのを光希が、涙を流しながら確認する。
「ありがとう、ありがとうございます! みんなありがとう!」
豪快に涙を拭いた光希は、自分史上最大の笑顔をファンに向ける。
「じゃあ! 聞いてください!! 『エンドマークの外側』!」
ファンの中でも有名な『エンドマークの外側』は、賀來村美祢が注目を集めた最初の曲。
何度も何度も歌われ、ラストライブでその完成を見せつけた、はなみずき25の数ある伝説の中でも伝説中の伝説の名曲。それを光希は伝説の解禁の序章として選択した。
だが、それは賀來村美祢とは明らかに違う歌い方。賀來村美祢はいつか来る終わりを見ながら、それでも前にと苦しい決断をした少女と歌っていた。
光希はここからはじまる新しい冒険への喜びを噛みしめる少女として歌い始める。
人が違えば、曲の解釈が変わるのはしかたがない。
だが、この曲は永らく誰も歌うことのなかった賀來村美祢の代表曲。伝説のあの場にいたファンはもちろん、後々知ったファンもこの曲に対する神聖視は特別なものがある。
それを真っ向から変えてしまうことへの違和感はぬぐえなかった。
光希にも会場の雰囲気が変わったのは理解で来ていた。それでも自分のわがままで始めたこの曲を途中でやめるという選択は無い。
なんとしても最後まで。後で叩かれようと、今は一人のファンのためにこの歌を届けるのだと。
その感情がメロディ―に乗ったのか、後半は何とか会場の空気を捉えることができた。
◇ ◇ ◇
ライブ後、スタッフから軽い反省会でそれなりのお小言をもらった光希は、めげることなく宣言する。
「次はファンの皆さんを納得させられるパフォーマンスにします」
そう告げて、マネージャーの一人を引きずり会場を後にする。
光希が訪れたのは、都内の病院。
急性期を受け付けている、それなりの大規模病院へとマネージャーと共に駆け込んでいく。
「光希! なにもこんな時間に行かなくても。あちらの迷惑になるんじゃない?」
「でもっ! 約束したから! ライブの後に感想聞くって!」
ライブが始まる前に、入院中のファンと連絡を取っていた光希。
本来なら個人的なやり取りなどタブーなのだが、相手の状況が状況だけに事務所側も渋々OKするしかなかった。
病院にも事前に許可をとり、相手の家族とも短い時間ではあるが、綿密な話し合いをしている。
光希はどんな顔で喜んでくれるだろうと、病院には似合わない満面の笑みで廊下を突き進む。
事前に知らされていた個室を見つけ、中に人の気配を感じると光希は勢いよく扉を開けて飛び込んでいく。
あの人は、横山さんはどんな感想を言うだろうか? 褒めてくれるかな? 次はもっと頑張れって言われちゃうかな? と、色々な想像が頭に駆け巡る。
「横山さん! ライブみてくれました!?」
光希の眼に入ってきたのは、白い布を顔に掛けられた誰か。
それが人であるのは光希にも理解ができた。
だが、その人からは一切生命を感じることができなかった。
かたわらに座っていた女性が、光希の声に反応して顔を向ける。
女性の眼から流れている涙が何を意味しているのか、光希には理解できない。
「神山……光希さん?」
「……はい。……あの、横山さんは?」
涙を流している若い女性は、横たわっていた人にかかっていた白い布をはがす。
その左手には、指輪が悲しく光っていた。
「ライブの配信はね、最後まで見れたの」
そこには、穏やかな表情の横山が寝ていた。もう二度と起きる様子はない。
「この人ね、アンコールであなたが出てきたとき『美祢ちゃんおかえり』って。……とっても幸せそうだった。私には何も言わなかったのに、……ちょっと妬けちゃうわね」
優しく横山の顔を撫でる女性から、涙が落ちる。
横山の頬に落ち、まるで横山も泣いているようだった。
「うそ……だって、『涙を流さない方法』とかもっと、もっと! ……聞きたい曲があるって」
「ありがとうございます。この人は幸せに逝くことができました。あなたのお陰です」
そう言いながら光希に深く頭を下げる女性。
ふらつきながら、光希もなんとか頭を下げて返礼を済ませんると、光希はマネージャーに抱えられるように病室を立ち去るしかできなかった。
明かりの落ちた病院のロビーでタクシーを待つ光希は、俯き顔を両手で覆い隠している。
足元は零れ落ちたなにかで濡れている。
光希と横山の出会いは、光希がはなみずき25に入る前にさかのぼる。ファンとしてライブ会場を訪れた光希が、その規模の大きさに圧倒されていた時に声をかけられたのが初めてだった。
それから何度かライブ会場で再会し、2人は交流を重ねていった。
いつも優しく、明るい横山は光希の初恋の相手だった。
彼女がいると言われ、叶わないと知った初恋。
はなみずき25のオーディションを機に疎遠になったが、それでも光希の初めてのファンは横山だった。
握手会には必ず光希に会いに来てくれ、結婚の報告もしてもらった。
自分の中にある淡い恋心を抑え、笑顔で祝福したのはいくつ前のシングルの時だったか?
そんな横山が、いなくなる。
もう、自分の歌声を聞いてくれることはないのだ。
信じることができないが、生気のないあの横山の顔が頭から離れない。
だから、これは事実なのだと頭の中で誰かが繰り返し光希に語り掛ける。
横山の最期の言葉。それを思い出すと涙が止まらない。
無理を言って、封印されていた曲に手を出して危うくライブを壊すところだった。
そんな光希に、彼はあの『伝説』を重ねたのだ。
不甲斐ない自分に腹が立つ。彼の聴く最期の曲が、あの自分で本当に良かったのかと疑問が噴き出て止まらない。横山が穏やかに逝ったのは本当だろうか? 様々な感情が光希の中で吹き荒れる。
下を向きながら涙を流していると、誰かの靴音が耳に入る。
顔を上げた光希と先ほどの女性の眼があってしまう。
とっさに流した涙を隠そうと、光希は顔を背ける。
靴音が光希へと近づいて来る。
「神山さん」
「は、はい」
涙をぬぐいながら、光希は顔を向ける。
優しい顔の女性は、座ったままの光希と目線を同じにする。
「神山さん、主人があなたを応援していて良かった。こんなにも悲しんでくれるあなたで良かった。いつか、……貴女の歌声は、雲の上のあの人に届くと思うわ」
優しく光希の頭を撫でる女性の手。
それはひんやりとした冷たい手だったが、光希の心は温かさを感じていた。
一番悲しいはずの人が、不甲斐ない自分を慰めるなんて。あの人が選んだ女性らしい。
「はい、頑張ります」
涙はまだ流れているが、しっかりと女性の眼を見て光希は応える。
あの人が見た最期の伝説が、自分に重ねた伝説を嘘にしないために。
あの人の言葉は真実なんだと、この人に想ってもらえるようなアイドルになろう。
光希の心に、決意の炎が灯った。
そして新しい伝説の扉は開く。
彼女の名前は神山光希。
『三列目のエース』と呼ばれた彼女の夢への旅路は、ここから始まる。
完




