三百九十八話
賀來村美祢の卒業、引退コンサートが始まった。
会場を埋め尽くしたファンたちは、一人ステージに現れた美祢を見つめる。
今日に限っては自分の推しメンではなく、卒業していく美祢を見送るため。
開演前、とあるファンに呼びかけられたように、自分の持つサイリウムを操作する。
会場一面が、ライトイエローへ染まっている。
「わぁぁ!! えぇぇっ!! すっごっ!」
それを視た美祢は、驚きながらも笑顔で会場を見渡している。
「えぇぇ……やめてよ! 泣いちゃう、私泣いちゃうって!!」
おどけたような美祢の反応。それは会場から笑いを誘う。
「あっ! でも、なんかこの光景……見たことあるんだけど!?」
美祢が笑いながら言えば、仕掛け人たちも美祢に釣られて笑ってしまう。
「もう! ……ありがとうね。本当にありがとう!! 今日は、私の卒業コンサートに来てくださって本当にありがとうございます!!」
美祢は清々しい笑顔のまま、頭を下げる。
そして再び会場を見る美祢の顔もまだまだ笑顔だ。
まるで、最初っから泣くわけないじゃんと言っているかのようだ。
「今日のために、セットリストも演出も私が考えました。一杯、いっっっっっぱい!!! わがまま言って全部! ぜえぇぇぇぇんんんっぶ!!! 叶えてもらっちゃいましたぁ~!!」
だから、もう心残りは無いからね。
そう言っていた、美祢の笑顔。
それをファンは忘れはしないだろう。
はなみずき25に、そのアイドル人生だけでなく、芸能人生さえも奉げた美祢の終幕。
いつものような、まぶしい笑顔が会場に向けられていた。
「あっ! それとごめんなさいなんだけど……今日だけは、アンコールに応えられません」
思い出したように、頭を下げる美祢に残念そうな会場の声が降り注ぐ。
「そのかわり! 私のアイドルとしての全部を出し切るから!! みんなもちゃんとついてきてよぉ!!?」
美祢からファンへ、最後のお願い。
不満はある。
だが、彼女の最後の願いなら聞き届けないわけにはいかない。
返事の代わりに、ファンは全力の雄たけびを返す。
「よ~~~し!! じゃあ、さっそく一曲目行きたいから、メンバーに来てもらおう!! みんなぁ!!」
美祢の声に元気よく走ってきたはずのメンバーたち。
だが、メンバーの顔を見ればもう何人かは泣き出しそうな顔をしている。
特に後輩たちが、俯いて顔を上げない。
「はぁ~! こらっ。みんなお客さんを見なさい」
「ごめんな美祢。オープニングまでは泣いてなかったんだけどさ。これ見た途端に、みんな……」
恵がすまなそうな顔のまま、事情を説明する。
確かに美祢が一人、ステージに歩き出すまではメンバー全員がアイドルの顔をしていた。
だが、会場一面がライトイエローに染まってしまったその瞬間から、泣き始めるメンバーが出てきてしまった。
「ほらぁ~!! みんなが泣かせたんだからね! ほらほら泣かないの。楽屋で言ったでしょ! 覚えてる?」
「……ぅ」
「聞こえない!」
「笑顔は魔法!!」
泣きながらも後輩たちがそう答えると、満足したように美祢が頷いている。
「そうそう!! よくできました。……じゃあ、一曲目いける?」
まだ前を向くのが難しそうな後輩たちもいる。
しかしその顔は縦に振られた。
美祢の卒業コンサート。大事な大事な、最初で最後のコンサート。
それを自分達が台無しにするわけにはいかない。
そんな後輩とのやり取り、美祢が注目を浴びた直後からよく見ていたファンにはなじみの光景。
会場の半数ほどが、その眼がしらを抑えている。
「よーーーし! じゃあ、気を取り直して、一曲目、行っくよぉ~~~!! 『冷めない夢』!!!」
美祢が叫んだ曲名は、ファンにとっては意外なものだった。
はなみずき25のデビューシングル曲。
アイドル賀來村美祢が、いや、はなみずき25がこの曲で産声を上げた。
確かに美祢にとっても大切な曲なのかもしれない。
花菜の代理で披露したこともある曲だ。が、……今は花菜は復帰している。
何でこの曲を?
困惑しているファンを置き去りにして、メンバーはフォーメーション位置へと動き出す。
もちろん美祢も。
歌いだしたのは、本来のセンター花菜。
何故?
フロントや2列目の抜けている元メンバーの場所には、後輩メンバーが埋めている。
美祢は? 今日の主役の美祢はどこだ!?
ファンは、コールを忘れて美祢を探す。
いた!
美祢がいたのは、3列目の端。
デビュー当時の位置に美祢はいた。
その位置で、あの泣きながらパフォーマンスしていた位置で美祢は笑顔でダンスを踊っている。
嬉しそうな笑顔で、花菜の背中を見ながら。
あの頃の位置で親友メンバーへ、エールを送るかのようなダンス。
そうか。
ファンは少しだけ理解した。
今日のセットリストも演出も、美祢のわがままが入っている。
この大事な大事な曲をオープニングに持ってきたのは、あの頃の位置から完全に復活した花菜を見たいからなんだ。
誰でもない、美祢自身が。
はなみずき25が始まった最初の位置で。
なら、あの頃に戻るのはメンバーだけではダメだ。
会場にいたファンは、初めてはなみずき25を目にしたころの熱狂を思い出して応える。
たぶん美祢が見たいのは、この光景のはずだから。
一曲目から、会場のボルテージはこれ以上ないほど上がっていく。




