三百九十四話
表題曲のパフォーマンスがうまくいっていない。
そうメンバーに重くのしかかる空気の中でも、発表される楽曲はフォーマンスできるレベルまでもっていかないといけない。
あまり時間のないなかで、カップリング曲の振り入れも同時進行で始まる。
昨日までの空気のまま、レッスン場は重苦しい。
「お疲れさまで~す!」
そんな空気を感じさせない美祢の声が響く。
美祢の声に、後輩たちは辛うじて返事を返す。
その声は誰の耳にも元気がない。
一期生、二期生の全員は、どうしても美祢の方を向くことができない。
あんなに会って話したいことがあったはずなのに。
どうして、あんなことを言ったのかを問いただしたいと想っていたのに。
誰もが、美祢に目を向けることができないでいた。
「全員そろったわね。じゃあ、カップリング曲『夜明け前の空気が好きだと、君は言った』の振り入れ始めていきます。宜しくお願いします」
「よろしくお願いします!」
美祢の元気な声に、メンバーの顔が上がる。
習慣とは恐ろしい。
あんなに沈み込んでいた心が、美祢の声を聴いた途端、いつものようにアイドルへと切り替わるのだ。
これが、エースの佇まい。
その姿を見ると、どうしても胸が締め付けられる。
その笑顔を見ると、視界が歪む。
カップリング曲の『夜明け前の空気が好きだと、君は言った』は、当然ながら別れの曲だ。
賀來村美祢との別れの楽曲。
あんなにも好きだった人との別れ。
表題曲のように、メンバーは感情を発露していいわけではないと考えていた。
冬の夜明け前、徐々に空が白んでくるあの空気。
まるで世界が洗濯されたかのような、そんな清浄さに包まれた二人を包む冷たさを表現しなくてはいけない。
美祢と花菜。この二人以外の感情表現は厳禁だ。
その誰にも侵されない二人だけの空気の中。彼女たちの別れを見守ることしかできない。
美祢はこの空気をどんな場面とするのだろうか?
花菜はそれだけに集中する。
まだ誰もいない、無人の始発駅だろうか?
それとも雪に覆われた、誰もいない道端だろうか?
花菜の中にあるこの楽曲の歌詞は、静かな寂しさだった。
だが美祢が見せた風景は、花菜のイメージとは違っていた。
夜遅くまでともいた仲間たち、その集団の中で不意に訪れた二人だけの空気。
その中で、美祢の演じる彼女がポツリと言った一言。
そんな冬の楽し気な一場面。
周りには、寒いだの、早く寝なくちゃなど、騒がしい仲間がいる。
そんな中にある特別感が、美祢を通して見えてくる。
「……どっちがいいのか、みんなで考えなさい」
振りを考えたリョウは、グループとしてどうあるべきかを考えろと言い出す。
同じ歌詞、同じメロディ―から全く違う感情表現。
本来なら、同じ解釈をした人数の多い花菜に会わせるのが筋。
だが、美祢はそれを良しとはしない。
違うのだ。
この楽曲は、悲しい別れの場面ではない。
楽し気なあの思い出を、ふと浮かべた人の曲なのだ。
そう言って譲りはしない。
「おかしいよ、美祢。この曲はあんたの最後の参加曲なんだよ?」
代表して恵が美祢に問いただす。
この曲を最後にグループを、アイドルを辞める美祢。その悲しみを歌った曲のはずだと。
「私は関係なくない? だって、ラスサビの歌詞あるじゃん」
確かにそこには、まるで過去を振り返ったような表現が置かれている。
そこには、誰が卒業だとか、引退だとかは関係ない。
「え? もしかしてさ……この曲、私いなかったらパフォーマンスしないわけ?」
美祢の言葉の中に、少しだけ怒気が混じる。
美祢は、たとえ自分がいなくってもすべての楽曲が、変らずパフォーマンスされることを願っている。
もし、この曲が一回だけ。美祢の卒業コンサートだけでパフォーマンスされるなんて扱いを受けるなら、それこそ安本源次郎への裏切りだと。
「私は、そんな特別扱い要らない」
そう、美祢にとってはもう特別な楽曲を安本源次郎から貰っているのだから。
この楽曲に関しては、ほかの楽曲と同じでいいと。
初期の楽曲のように、ライブで必要な時に登場する曲として扱ってほしい。
確かに過去には、園部レミと渋谷夢乃が披露して以降、あまりライブで披露できない『逢い別れ』という曲もある。
だが、それとこの曲は違う。
この曲はあくまでカップリングなのだからと。
この静かな中にある、心躍るメロディ―が悲しいだけなわけが無いんだと。
それに自分が特別なアイドルではないと美祢は想っているのだ。
そんなわけが無いと、どれほどメンバーが言おうと美祢は納得しない。
「本当に頑固なんだから!」
「えっ? 花菜、頑固なんて言葉知ってたんだ」
「知ってるに決まってる」
「おバカ女王なのに?」
「何年前の話してんの!?」
言いたいことも、聞きたいことも、そんなものはどこかに行ってしまっていた。
今は何とかして、美祢を言い伏せないといけない。
メンバーは結託して、美祢に対抗する。
しかし、結局のところは美祢の笑顔に負けてしまうのだろうけど。




