三十九話
無断欠勤をした翌日、主は本業である看護師としての上司、看護部長室に呼び出されていた。
「よく来たわね。座って」
「失礼します」
主の座ったテーブルをはさんで向かい側に看護部長は座る。
「昨日はどうしたの?」
「少しトラブルがありまして、申し訳ありません」
「噂の彼女と別れ話でもめたのかしら?」
その言葉に主の眉間にしわが寄る。
「部長? それセクハラです。部下のプライベートに立ち入るなんて」
「じゃあ、叔母としてなら聞いて良いのかしら?」
「駄目ですね、ここは職場です」
主の上司で叔母の麻生祥子は少し困った顔をする。
「あの時と同じ顔をするのね。10年前と」
「そうでしょうか? いつもと変わらないと思いますが」
祥子はゆっくりと首を振る。
「あの時と一緒。何かに憤ってる顔をしている」
「何にも」
祥子は胸に付けたネームプレートを外し、もう一度主に呼び掛ける。
「主、何があったの?」
「何もありませんって、これでももう大人なんですから。おばさんに心配されることはしません」
「でもね、姉から預かっている子が困っているのに放ってはおけないでしょ?」
「過保護すぎますよ、部長。では失礼します」
そう言い残し主は退室する。
「やっぱり、この子と何かあったのね」
祥子は隠し持っていた手書きの資料を手に取る。
「やっぱり、持ってましたね。この子とは何もないですから変な詮索しないでくださいね」
去っていったように見せかけて、背後から祥子の持つ資料を奪い取る主。
古い看護師ほど紙媒体に執着するのは、職業病なのだろう。
「けどね? おばさん心配なのよ。あなたのお母さんもそろそろ結婚してほしいっていってるし」
「あのですね。家は名家ってわけでもないですし、家名は兄が継いだでしょう? 俺とは誰も縁が無いんですから諦めるように言ってください」
先ほどの神妙な雰囲気はどこに行ったのか。世話好きな叔母とそれに辟易する甥がそこにはいた。
「叔母さんもね、いい子いないかなぁ~って探してはいるのよ? でも、なんて言うかみんな好みが主とは違うって言うか……ね?」
祥子は本当に申し訳なさそうに、主に対して手を合わせる。それが一層主を惨めにしているときが付かずに。
「だからって、この子は高校生ですよ? 社会的に許されるわけがありません」
「じゃあ、なんで付き合ったりしたの? 少し不誠実なんじゃないかしら?」
「付き合ってないって言ってるでしょ?」
せっかく舞い降りた甥の春に何としてもゴールインさせようと、必死に喰らいつく叔母。
そうはさせまいと、何とか振り切ろうと叔母を振り払う甥。
「あなたのお父さんだって、あなたぐらいにはもう、結婚して子どもいたのに」
「それ、外で絶対に言わないでくださいね。身内として恥ずかしいです」
時代を盾に糾弾する主。しかし、心配性な世話焼き叔母には効いていない。
「確かに今はそんな時代ではないって言っても、社会的信用はやっぱり違うわ。甥が変な目でみらるのを予防する必要はあるんじゃないかしら? 何なら私もあちらの親御さんにご挨拶しに行くから、ね?」
「しつこいなぁ。この子はアイドルなんですよ、俺と付き合ったりなんてそもそもできないんです! ……あっ」
アイドルという言葉を聞いて、祥子の顔が変わる。
「アイド……ル? アイドルですって? ちょっと前にあんなことがあったにもかかわらず? 親に散々迷惑かけておいて、また、アイドル?」
「ちょ、ちょっと前って、もう10年も前のことですよ? 10年ひと昔って言うじゃないですか? 10年も過ぎればそこそこのことも時効になりますよ? そうでしょ叔母さん」
叔母の伸びた角をどうにか収めようと、主は言葉を尽くすがそれは全くの逆効果だった。
主の家族と近しい親族にとって、アイドルは禁句だった。なぜなら、主自身がアイドルに入れ込み、あわや逮捕となりかけたからだ。
なのに、その張本人がアイドルと親し気にし、その上無断欠勤までしたのだ。
本人が吹っ切れたとは言っても、周囲の家族が納得するかは別問題。
特にこの過保護な叔母にとっては。
「ほんとう! 本当に何もないんですよ!!」
「じゃあ、なんでアイドルなんかと知り合いになるの!?」
「それは……」
主は言葉に詰まる。なぜなら、主の勤める病院の規則では副業が認められていない。
小説家としてデビューし、しかもアイドルと仕事もしているなどと上司でもある叔母にバレたら、クビになる。最悪仕事はクビでも仕方がないが、叔母としての追及が面倒だ。
「色々ありまして」
「それを言いなさいって言ってるんだけど!?」
「それ以上は、本当にセクハラで告発しますよ? プライベートなことまで言いたくありません!」
そう言い残し主は本当に退室して、病院外へと逃亡していく。




