三百八十七話
美祢は改めて安本に呼ばれた。
自分の運命を変えたあの部屋を前に、奇妙な感覚を覚えた。
「やあ、お疲れ様。賀來村さん」
「安本先生、お疲れ様です」
美祢にとって懐かしい、安本の作詞部屋。
だが美祢の記憶にある、あの部屋はどこか違うような雰囲気。
いつも安本の隣にいたいたはずの立木もいなくなってしまって、この部屋から発せられるプレッシャーのようなものもどこか薄らいでいるかのようだ。
「聞いたよ、やめるんだってね」
「はい、ようやく夢を叶えましたから。……ようやく太陽が帰ってきましたからね。月は沈む時間です」
「そうか……ああ、オーディションでも言っていたね。そうか、あの泣いていたあの娘が夢を叶えたか」
安本の脳裏には、10年前のはなみずき25のオーディションが思い浮かぶ。
10年前のはなみずき25の最終オーディションでは20人の少女が並び、どれほどこのグループに入りたいのかと志望動機を口にしていた。
その中で異彩を放つ少女がいた。
他の娘であれば、いかに自分が優れていてグループに入れば懸命に働くと、自分が輝けることを前提に自分を売り込んでいた。言葉は違えどそう誰もが口にいていた。
だが美祢だけは違った。
「私は花菜というカッコいい幼馴染がいます。このはなみずき25にスカウトされた幼馴染です。何をするにも一緒で、アイドルに憧れたのは私のほうが先でした。私は全然なれるなんて思ってもいなかったので、花菜がアイドルになるって言った時はうれしいという気持ちしかなかったんです。……でも、それを口にした花菜は不安そうでちっともカッコよくなかった。私の知っている、あのカッコいい花菜なら誰もが憧れるアイドルになれると思います。でも、あのままの花菜がデビューしても誰も応援してくれない、そんなの嫌なんです! だから、私が支えないと! 花菜が輝くその隣でささえてあげたいんです!!」
涙ながらにそう言った美祢に、安本はアイドル志望の少女には意地悪な質問をする。
「17番の……賀來村さん? 君は『高尾を支える。輝いているその隣で』そう言ったよね?」
「はい」
「じゃあ、君は輝かなくってもいいのかな?」
「花菜が、カッコいい花菜が輝いてくれるなら、その隣にいれるなら。真っ暗なステージにでも上がれます」
美祢はそう言い放った。自分が輝く機会なんて必要ないと。
それでも高尾花菜を支えるためならどんなステージにも上がれると。
「面白い子が来たなって思ったよ。この子がそれでも輝いたらどんな風になるんだろうってね」
「そうですね、言ってましたね。……でも、そんな気持ちなんか2年で折れちゃいましたけど」
「あの頃の君は応援されることに慣れていなかったんだね」
どんなアイドルであれ、デビューが決まれば多くの人の眼に晒される。
そして人の好みなど千差万別。本人の決意など関係がない。
好みのアイドルがいれば、人は応援したくなるものなのだ。
そして応援されれば、応えないとと思うのも人なのだ。
美祢は自分が輝けると思ってもいなかった。だが、美祢に小さな輝きを見つける人はいた。
アイドルの決意と応援するファンの想い。それは美祢にとっては相反するものだった。
それに戸惑い、葛藤し、そして自分の夢に必要なんだと気が付いたときには誰も残ってはくれていなかった。
「泣きましたね。センターの、花菜の隣に行きたければファンの人たちに応援してもらえないと。気が付くのが遅かったですね」
「でも、君は高尾花菜の隣に立てた」
「……安本先生と@滴先生のお陰です」
「僕は彼に乗って見ただけさ。それでうまくいけば僕たちの労力も少なくていいしね」
両手を上げておどけてみせる安本を見て美祢が笑う。
そして笑いの波が引いていくと、美祢は視線を落としてつぶやくように話始める。
「ようやく花菜が帰ってきました。私の知ってるカッコいい花菜が。私なんて必要としない、本物になったカッコいい花菜が。それに智里もいます。まだまだ花菜に比べたら小さな太陽ですけど、智里がはなみずき25を照らしてくれます。だから……私はお役御免です」
「そうか、10年間よく頑張った。君みたいなアイドルを見るのは後にも先にもないだろう。……お疲れ様」
安本のその言葉がどういう意味なのか美祢にはわかっていた。
美祢にとって最大の賛辞をもらったのだ。
そんな存在になることができた。それだけでこれまでの10年間が報われた様な気がする。
「やめた後はどうするんだい?」
「あ、え~。……希望はあるけど絶望的なんですよね」
「でも、君はあきらめないんだろ?」
「ええ、まあ。後悔はしたくないので」
弱気なことを言う割に、安本の目に映る美祢の目はいつも以上に輝いているように見える。
先を考えて引退できるなら、それは幸せな芸能人生なんだろうと安本は想う。
「最終公演はどうする?」
はなみずき25を支えてきた彼女へ送る最後の舞台。
安本は美祢の希望をかなえるつもりだ。
「あ、……@滴先生と会った、あのイベントホールが良いです」
「え? もっと大きなところでも満員にできるだろう? それこそ野球場だって」
「私の、アイドル賀來村美祢がもう一度生まれたあの会場が良いです」
美祢の言葉を聞いて、安本には思い当たるものがあった。
それは賀來村美祢と@滴主水の出会いの地。
彼の中で賀來村美祢が生まれたあのイベントホール。
「そうか、わかった。手配しておく」
「それとソロ曲を頂けたら……なんて」
「もちろんさ。最後に君に送るソロ曲だ」
「あ! 違うんです。私じゃなくってファンのみんなに」
「ん?」
「送るなら……ファンのみんなにお願いします」
美祢が照れたようにうつむいている。
これはなかなかに難しい仕事になるなと思いながらも安本は紙とペンを持ち美祢に向かう。
「詳しく聞こうじゃないか。君の最後のソロ曲、そのイメージを」




