三百八十五話
シャッフル選抜のお披露目ライブ翌日から世間は騒然としていた。
いや、正確にはライブ終了後から、ネットを中心にざわついていたのだ。
第一報は、誰かがつぶやいた『みね吉、辞める?』という一言。そこから会場から退場しているファンが一斉につぶやきだした。
賀來村美祢卒業発表という言葉が、ものの1時間も経たずにトレンド入りし深夜になっても1位の座から動かないという異例の事態。
そして深夜だというのに美祢の所属する事務所には、芸能関係者や広告、マーケティングを生業にする会社からひっきりなしに連絡が入っていた。
緊急の事態に事務所関係者は、部署に関わらず対応に追われる一夜を過ごした。
夜が明けても、トレンドは大きく動かなかった。
1位が2位になっただけ、何より各種ネットニュースも軒並み美祢のことを取り上げていた。
もちろん騒ぎはネットだけではない。
朝の情報番組は冒頭から、賀來村美祢の名前を連呼し昨晩のシャッフル選抜のお披露目ライブの様子と共に卒業を伝えている。
朝も昼も、夕方になってもその話題は長い時間を割いて世間へと周知されていったのだ。
その間事務所側から伝えられた真実は、『本人の意向を調査中』という一言のみ。
まるで沈黙を保つような態度の事務所に対して、焦れるような想いから契約に問題があったのではないかなどの想像が、さも真実かのように伝えられてしまう。
そして、ようやく面倒な対応にひと段落した兵藤は、中心人物である美祢を呼び出す時間をつくれたのだった。
「賀來村、そこに座ってくれ」
「……はい」
さすがの美祢も表情が暗い。
疲れ切った兵藤の顔にはクマができ、いつもよりも凶悪な顔になっている。
おおよそアイドルに向けていい顔ではない。
兵藤も重々承知してはいるが、今はもう時間が足りない。
美祢のあの一言から二日が経っているというのに、兵藤に与えられた時間は驚くほど少ない。
この後、安本源次郎とともに事務所とレーベルの重役たちと会わないといけない。
それまでに賀來村美祢の意向を聞かなければならないのだ。
いや、美祢にあの言葉を撤回させないといけない。
誰に言われるでもない。兵藤の意思でそれをなそうと決めていた。
「で? あの言葉は……どういうつもりで言ったんだ?」
「……どう……って、あのままの言葉です」
緊張気味の美祢は、兵藤に睨まれながらも撤回する気はないと視線で答える。
「なんでだ?」
「……花菜と智里が、『花散る頃』を踊れたから」
美祢にとっては重要なことだった。それ以上の理由はない。
花菜が『復活』し、智里と共にセンターを務めることができる。
あの『花散る頃』を、自分が愛した曲を今後も披露することができる。
いつか、後輩たちも披露できるようになるだろう。
そこに自分がいなくても問題のない状況。それが叶ったのだから、自分の居場所は、もうはなみずき25にはない。
「なんでだ!? なんでだよ!? お前は賀來村美祢なんだぞ? まだまだこれからじゃないか!?」
「兵藤さん。私、もうデビューして10年だよ?」
「だから! 賀來村美祢だって言ってるだろ!? あと5年は、10年だってできるさ!!」
「兵藤さん。私は賀來村美祢だよ? あの最後列にいた泣き虫みね吉だよ?」
「今は違う!」
「そう、違うの」
「え?」
感情を爆発させた兵藤が、美祢の冷静な言葉に我を取り戻す。
美祢の表情が、いつもとは違うからだ。
今にも泣きそうな顔で、笑っている。
「私はね、花菜の代わりをしてただけなの」
寂しげに言う美祢に、兵藤は違うと言ってやりたかった。
だが、どうしても言えなかった。
どこかでは、わかってたのかもしれない。
あの賀來村美祢が、スカウト組の香山恵と積極的にコミュニケーションを取り、後輩を引っ張り、グループをけん引する姿。
それが当たり前だと思いたかったのだ。
だがデビュー当時から見てきた兵藤は、どこかで美祢に花菜を重ねていた。
あの絶対的な存在感を放つ姿に、花菜を重ねていた。
それを理解しても尚、兵藤は美祢にすがろうとしてしまう。
「……なんでだよ。花菜と一緒にいればいいじゃないか……あいつと輝けばいいじゃないか」
「私ね、月なんだって」
「え?」
「本多先生にね、言われたの。お前は月だって」
「……」
兵藤には、そんなことを言う美祢の表情が明るく見える。
「私ね、想うんだ。アイドルってお星さまなんだって。誰も違うように輝いて誰かの目に一番輝いて、いつも誰かに探してもらう。……私はね、ただちょっとみんなよりその誰かに近かっただけなんだ。月って地上から近いから明るく見えるけど、実はそんなに明るくない。それに月って誰かの光を借りないと見つけてもらえないの。だから大きな星が輝いたらさ、居座っちゃダメなんだと思う。……月にもさ月のプライドってものがあるから」
美祢は美祢のプライドをもって辞めると言った。
アイドル賀來村美祢の最後のプライド。
兵藤は想う。
なんで自分なら、このアイドルを引き留められると思ったのだろう。
誰よりも眩しいアイドルの決断を、曲げられると思ったのだろう。
簡単なことだった。
ただ自分は、このアイドルを他のアイドルより好きだったんだ。
情けない。
知らず知らず、魅了されていたのだ。
「今までありがとう。兵藤さん」
「ああ」
返事をした兵藤の顔が変わる。
賀來村美祢が辞める。それは理解した。
さて、では、あとどれくらい伸ばせるのか?
兵藤は改めて、仕事の顔つきになった。




