三百八十四話
全力で『花散る頃』を踊る美祢の視界に、時々映り込む後輩の姿。
さっきとは違い、ほんの刹那だが笑顔が消える瞬間があるのが分かる。
だぶん、客席からは気が付けないほどの一瞬だが、美祢にはそれが分かった。
この楽曲の振りは、センターのポディションが最も難しい。
それを踊る矢作智里は流石だと思う。
かと言って、後ろが極端に簡単かと言えばそうではない。
生粋のダンサー、各種ダンスへの造詣が深い伝説の振付師、本多忠生の最後の作品がそんなに簡単なわけが無かった。
事実、SNSや動画投稿サイトによくある『踊ってみた』系の動画で、唯一この楽曲の物はない。
それはセンターが特別難しいからではない。
各パートへの要求レベルが尋常ではないのだ。
もちろん、プロのアイドルに求められるダンスの中で最高峰だと言える自信がある。
そんな楽曲のダンスを、まだデビューしたてのかすみそう25三期生たちが必死に踊っている。
宿木ももに統率されているとはいえ、経験を考えれば十分にその要求レベルに応えている。
最も新しい後輩が、美祢に言われるでもなく最高のパフォーマンスを見せている。
そして、はなみずき25の三期生も負けじと頑張っている。
特に志藤星。
星が望んだ場所ではないが、『花散る頃』では初めてのフロントをきっちりと踊っている。
いつもとは違う位置なのに、その役割をちゃんと果たしている。
そこは元々矢作智里のいた位置。
智里のように踊らないとという気概が、そのダンスから感じられる。
メンバー上位のダンススキルを持つ智里と比べられる位置でも、星はその位置で胸を張っている。
本当に頼もしい後輩たちが、そこにはいた。
公佳も初めて披露する楽曲で、堂々としたパフォーマンスをしている。
あの幼さが残る娘の姿ではない。
成長して、頼もしい先輩になった背中を後輩たちに見せている。
もう、ママとは呼んでくれなくなった娘の姿は、古巣のこれからがまだまだ明るいのだと思わせてくれる。
そしてともにセンターを踊っている矢作智里。
彼女は花菜とは違う表情で踊っている。
あの偉大なセンターとも違う、新しい輝きをもってその場所を照らしている。
今はまだ、センターのイメージはそれほどついていないが、近い将来『はなみずき25のセンター』と言えば、矢作智里という時代が来るだろう。
今までと、まるで違うはなみずき25の姿。
それが美祢には眩しすぎる未来だと映る。
だからこそ、胸に去来したモノが涙を刺激する。
そうか、まだまだだと思い込みたかったのだ。
後輩には、まだまだ自分が必要だと、はなみずき25にはまだまだ自分が必要なんだと、思い込みたかったのだ。
だが違った。
思えば10年。
アイドルの10年と言うのは、世間の認識とは違う。
それは長すぎるというのに、十分な活動時間だ。
辛く苦い涙の日々もあった。
嬉しくて、こらえきれない涙もあった。
想えば涙と共にいた10年という歳月。
幸せな10年だった。
ペアダンスパートに入り、智里と目が合うともう我慢が出来なかった。
さっきまでの刺激はより強くなり、美祢の視界を奪っていく。
涙とともに踊るのは、いつ以来だろうか?
こんなにも呼吸が苦しくなるものだったか?
こんなにも手足が縮んでしまうものだったか?
思わず振りを忘れて、涙に手が伸びてしまうのを必死に止める。
これ以上、無様な姿にするわけにはいかない。
この曲のセンターだと認識されて、5年だ。
誰よりもこの曲が似合うとまで言ってくれた、ファンのみんなに申し訳がない。
流れる涙をそのままに、美祢は踊る。
ファンも久々に見た美祢の涙に、息をのんでいた。
何故、美祢が泣いているのか?
ファンには全くわからない。
確かに美祢が色々なインタビューで、一番好きな曲として挙げているのは知っている。
確かに、つい最近になってようやく、本当の姿を見せた注目の集まる曲だ。
特別な思い入れがあったのだろうと、想像は容易だ。
だが、美祢の涙の意味が分からない。
まるで、本当に名残惜しい人との別れをしているかのようだ。
曲の主人公ではなく、美祢自身が誰かとのお別れを表情で言っているみたいだ。
そんな微妙な空気で、盛り上げるコールが打てない。
今までのどんなライブよりも静かな『花散る頃』が、ステージで披露されている。
だが、それでも観客はステージから目を離せない。
美祢の涙から、誰も目が離せなかった。
曲が終わり、今までにない余韻の中でセンターの二人が抱き合う。
いや、正確には美祢が智里を抱きしめたのだ。
涙を流して、嗚咽をしながら美祢は、ただ智里を強く抱いていた。
「み、みーさん……?」
抱かれている智里も何が起きているのか理解が出来ていない様子。
だが公佳だけは、美祢たちから顔を逸らして泣いていた。
これから美祢が言う言葉を知っていたかのようだった。
「あり、がとう。ありがとうね、智里。ありがとうね、みんな! ……これで、私は辞められる!」
「え……?」
その言葉を一番近くで聞いた智里でさえ、美祢の言葉の意味が理解できなかった。
やめる、辞めるとは、いったいどんな意味だったか?
美祢の声が届いた全員が、反応できない。
騒然とした会場は収拾できず、メンバーはスタッフに抱えられるように撤収していった。
そして会場に残されたファンは、未だに美祢の言葉をもう一度自分の口から出して確認することしかできなかった。




