三百七十三話
歓声を聞いている花菜の横顔。
それを見た美祢は、胸から上がってきた言葉を口にしてしまいそうになっていた。
観客は花菜のほうしか見てはいない。メンバーでさえ、美祢を見ていない。
美祢が待ち望んだ瞬間。美祢の言葉をメンバーは止められる状況にない。
衝動的かもしれない。でもいつかはと考えていた本心。
美祢がゆっくりと口を開こうとした瞬間、イヤモニから兵藤の声が入る。
「賀來村! 今は口を閉じろ! 特報を流す」
そう、『花散る頃』が終わった後に流す映像がある。何度もリハーサルで言われたことなのに、兵藤の声がかかる瞬間まで忘れていた。
仕事を思い出した美祢は、開きかけた口を閉じて観客のほうを向く。
暗転した会場がざわめいている。
この演出は何か特別な発表がある時のヤツだと、ファンは期待に胸を躍らせながら声を上げている。
そして画面に大きく映された、特報の文字。
その後に続く文字で、ファンは困惑の声を上げる。
『新シングル発売決定』という文字に理解が及ばない。
もう新シングルは発売したじゃないかと、ファンは運営の言葉を理解できない。
そして続いた文字に驚愕の声を抑えられなかった。
『はなみずき25 10周年企画!!』
『はなみずき25・かすみそう25シャッフル選抜 シングル制作決定!!!!』
その文字を見たファンは、もう何が何なのか理解ができない。
今や二つのグループは、それぞれが超人気のグループ。
それが久々の合同の企画、そんな豪華なことがあっていいのか?
いや、待て。選抜ってなんだ?
俺の推しはどうなる?
ファンは新しい企画に嬉しさを抑えられない。それと同時に選抜という文字に不安を感じていた。
もちろん一番不安なのは、今ステージにいるメンバーたちだ。
その選抜という文字に、今までとは違うプレッシャーを感じていた。
果たして自分は、この注目が大いに集まるであろう企画に参加できるのだろうか?
もし参加できなかったら、自分のアイドル人生はどうなってしまうのか?
ステージ上の笑顔を絶やせない状況で、メンバーの胸中は複雑なモノになっていた。
そんな不安を押し留めているメンバーの中で、智里だけが全く違う不安を抱えていた。
先ほどの美祢の表情と兵藤の言葉。
あの時美祢は何を言うつもりだったのか? 兵藤は何を察して止めたのか?
智里の胸中に何か予感めいたものが、蠢いている。
認めたくはない。だがもしかしたら?
そんな訳はない。けどもし……。
智里の笑顔が固まっている。
だがそれに気が付いた者はいない。
智里でさえ気が付いていないのだから。
もしそうなら、自分の計画を急がないといけない。
それを見てもらえれば、美祢の気持ちを変えることができるかもしれない。
直近のスケジュールが智里の頭の中を駆け巡る。
「はい、じゃあ智里! 久々のかすみそう25さんとの合同企画、意気込みを聞かせてもらえるかな?」
リーダーの恵が、企画の感想をメンバーに聞いていた。
皆が選んでもらえるように頑張りたいと言っている。
「はい……私はこの企画! 絶対に出ます!!! 必ず! どんなことをしてでも絶対に出ます!!」
珍しく熱の入った智里の言葉。それに驚いてしまった恵であったが、こんなことははなみずき25でMCをしていれば日常茶飯事だ。
驚きをおくびも出さず、智里の言葉を後輩メンバーへの発破とする。
「だってさ! 出れたらいいなとか、そんな甘い気持ちじゃかすみそう25のメンバーさんに全部取られちゃうよ! 企画倒れになっても皆で出れるように頑張ろう!!」
「はい!!!」
力強い智里の言葉とそれに続く後輩メンバーたちの返事。
ファンはメンバーに声援を送る。
がんばってくれと、必ず観に行くからと。
そんな声援を声が枯れるまで送る。
直前の美祢の表情に気が付いたファンはいなかった。
それどころか、メンバーも意識は選抜企画へと向いていた。
となりにいた花菜も美祢の変化に気が付くことは無かった。
関係者席いた主は全く意識せずに、手を強く握っていた。
花菜をけしかけた計画が見事に成功した。あの時の美祢は放とうとした言葉。
それが聞けなかったのは計算外だったが、もう美祢の頭の中にはそれを意識せずにはいられないだろう。
ならそう遠くない未来、あの時の返事ができる。
主の顔は興奮に染まっていた。
「パパ、顔怖くなってる」
「あ、ゴメン」
「その顔、みーさんに見せないでね。私、心配」
裏で動いている主の動向は、それとなく把握していた公佳。
主が何を望んでいるのかは、もう何年も前から気が付いていた。
それこそ出会った頃にはもう。
だが、主がここまでのことを企んでいたとは思っていなかった。
「あ~あ。じゃあ、私はあの選抜に意地でも出ないといけなくなっちゃったか」
「え?」
「だって……そうなんでしょ?」
「うん、そうだね」
主と美祢の娘を標榜してきた少女は、先ほどの美祢から感じた未来を確信し動きだすのだった。




