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三百六十六話

「……とうとう、踊れるんだ」

 リョウに『花散る頃』のセンターを踊ることを認められた花菜は、自宅で一人喜びを噛みしめていた。

「本当に、本当に感謝しないとなぁ」

 一緒にレッスンしてくれた智里には、どう感謝を伝えて良いのかもわからない。

 さほど仲も良くないのに、先輩メンバーに誘われたというだけで訳も分からないまま奇妙なレッスンに参加してくれた。初めて間宮師匠と会った時、自分もあんな顔をしていたのだろうかと思い出し笑いしてしまう。

 主の説明に半信半疑のまま、現れたのはボスよりも年上の老人。

 そもそもまともに動けるのかという疑問が、智里の顔にはあった。

 だが脚運びだけではあったが、師匠が『花散る頃』を踊ってみせれば智里の顔は真剣なモノへと変わっていた。あの順応性は自分よりも優れていると花菜は思う。

 そして吸収力もケタ違いだった。自分が3年も費やした技法を1カ月足らずで自分の物にしたのだから、本当の天才というのは智里みたいな人のことを言うのだろうと花菜は想う。

 だからこそ、申し訳がないとも思う。

 確かに発表当初、自分のポディションは美祢のとなりの位置にいた。

 だが、それを満足に披露することもできずに美祢を一人にしてしまった罪悪感。

 あの暴走にも近い美祢のとなりで、何度も自分の役割を果たしてきた智里が、それでも自分に踊ってほしいと言う気持ちはどんなものなのだろう。

 智里を想えば、花菜の胸が締め付けられる。


 しかし、何度も夢に出てきたあの『花散る頃』を完全な状態で披露できるという興奮も、簡単には冷めてくれない。

 この5年で、何度自分の膝が壊れる音を聞いただろう?

 何度、美祢に見捨てられたのだろうか?

 もう数えることもできないほど、繰り返し繰り返し夢に出てきた光景。

 それを払拭できる機会が、待っていると想えば心も踊ってしまう。

「私って、最悪だな」

 心が弾めば弾むほど、協力してくれた智里に申し訳ない。

 本当にダメな先輩でしかない。

 気が付けば、花菜の手はアルコールへと伸びてしまう。

 憂鬱な気持ちを無理やり晴らしてしまいたくなる心情が、無意識に伸びてしまった。

「……はぁ」

 さすがに自分が情けなくなった。

 またか、またなのか?

 美祢のように逃げない自分になりたいと誓ったのに。

 もう、この先は楽しいお酒だけにしようと誓ったのに。

 誰でもない、自分をここまで持ち上げてくれたあの人に、佐川主という恩人に誓ったのに。


「……もう寝よう! そうしよう!!」

 誰でもない、自分にそう言い聞かせて花菜はベッドへと急ぐ。

 そして花菜は夢を見る。

 間宮の元へ通うようになって、しばらく経った頃の夢を。


 ◇ ◇ ◇


「ねぇ、先生?」

「何?」

 主のクルマの中、助手席にいる花菜が主に問いかける。

「何で、先生はこんなにしてくれるの?」

 正直主にはメリットが無いと花菜は想っていた。

 自分のような落ち目のアイドル。もう事務所にも世間にも終わったアイドルだと認識された自分。

 そんな自分といて自らの立場も危うくするような、何でそんなことをするのか?

 花菜は疑問に思っていたのだ。

 主は確かに花菜の想い人だ。だがそれほど接点が多いわけでもない。

 何かとアプローチしたこともあったが、美祢が忙しくなってからは主は美祢のそばの現場が多かった。

 かすみそう25でもそう、はなみずき25でも美祢の個人仕事でのかかわりのほうが断然に多い。

 何故自分なんかを気にかけてくれるのか? それは花菜にとっては当然の疑問だ。

「ん~、花菜ちゃんが好きってだけじゃダメ?」

「え?」

 唐突に言われたかった言葉をくれる主に、花菜の思考が追い付いて行かない。

 その言葉が本当なのかすら、花菜には判断できないほど。

「好きなんだよね。アイドルしてる花菜ちゃん」

「あ、アイドルとして……っかぁ」

 それはそうだろう。むしろ、現状の花菜を見て、そう言ってくれるなんてなんて奇特な人だと花菜は想う。だが、花菜は少しだけ浮かれてしまった。

 想い人から聞けた「好き」という言葉に。


「じゃあさ、美祢は?」

 比べて欲しくない、誰よりも比べてはいけない親友の名前を出してしまう。

「美祢ちゃんも好きだよ」

 同じ主の言葉に、どことなく自分への言葉とは違う物を感じた。

「あ、アイドルとして?」

「ううん、美祢ちゃんは女の子として好きなんだ」

 明確に自分とは違う好きだと主は言った。

「へ、へぇ~。そうなんだ……」

「だからさ、美祢ちゃんが花菜ちゃんのマネしてるもの嫌だし、花菜ちゃんが今のままっていうのにも納得してないんだよね」

「そっか……じゃあ、私頑張らないとだね」

「うん、花菜ちゃんなら美祢ちゃんより、誰よりもアイドルできるって信じているから」

 何故だろう。

 完全にフラれたのに、誰よりもアイドルとしての自分を信じてくれる。

「完全に、私は推しなんだね」

「もちろん、花菜ちゃんは僕の最推しだからね」

 横で見た主の顔は、全く嘘をついていない。

「そっか。……先生、少し寝るからついたら起こして?」

「うん、おやすみ」

 フラれたのに、完全に心は沈んでいかないのを感じていた。

 まったく勝ち目のない美祢と自分との勝負。これまで何度も負けを認識させられた来た。

 アイドルでも勝てないと、そう想わされてきた。

 でも、この人にとってはそうじゃないらしい。

「……ズルい大人になっちゃったなぁ」

 主の変貌が悲しくもあったが、その言葉に救われてしまっている自分もいた。

 この人の手の中で、踊らされているのか? それとも踊りたいと願っているのか?

「花菜ちゃん? 何か言った?」

「ううん、何でもない。おやすみ先生」

 あの日流れた涙は、いったいどういう感情なのか?

 夢を見ている花菜にも、未だにわからない。

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