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三百六十二話

「お兄ちゃん、入るね」

「ん~!」

 主の書きだした美祢の物語もあとすこしというところまで来たころ、玲が主の部屋に入ってくる。

 その顔はすこし緊張しているようだが、主の目には映っていない。

「あ、あのさ。お兄ちゃん……」

 いつものように何かのおねだりだと理解した主は、玲に目も向けない。

 意識は玲ではなく、物語の中の美祢に集中していた。

 自分に目もくてくれない主に、玲は何度も口を開こうとしながらも、それをうまくできなかった。

「ん、もうちょっと待っててね。切りのいいとこまで書いちゃうから」

「あ、……うん」

 カタカタとなるキーボードの音。それは玲にはなじみのない主の顔と共にあった。

 主の仕事する風景。思えばこれまで玲は見てこなかった。

 いや、主が玲に見せようとしてこなかったのだろう。

 その顔を見てしまった玲は、これから自分が口にしようとする言葉の重みを感じていた。

 決して軽い気持ちではない。

 自分の将来を考えたうえで、必要なことだと想えたからこうして主の前に来たのだ。


「ん、お待たせ。玲、どうかした?」

「あ、うん」

「ああ、そうだ。昨日ゴメンね。寝ちゃった」

「ううん! 全然っ!」

 ようやく自分のほうを向いた主に視線から、思わず視線を外してしまう。

 さっきまであった決意がここにきて揺らいでしまう。

 兄にお願いごとをする。そんな慣れた行為のはずなのに。

 それが自分にとってどれほど重要なのかを理解しているからなのだろう。

 玲は主に見つめられたまま、動くことができなかった。

「玲、どうした? 話があるんだろ?」

「え、あ、……うん」

 主に促されても、玲は口を開くことができない。

 まるで縫い付けられてしまったかのように、玲は口を開くことができない。

「……じゃあ、先に朝ごはんにするか」

「あっ! ちょ、ちょっと待って」

「変なヤツだな。どうしたんだ今日は」

 主の怪しむような視線が、玲にまとわりつく。

 その視線が重しになっていることも玲は認識していた。

 兄に頼む。

 そんなこともできないなんて。


「……お兄ちゃん」

「ん?」

「い、いえ! 四代目主水之介先生にお願いがあります!!」

 これ以上兄を待たせるわけにはいかない。そう想って玲は、兄ではない兄に呼び掛ける。

「何かな?」

 玲の決意を受けて、主の中の四代目主水之介が顔を上げる。

「わ、私に、っ私に! ソロ曲を書いて下さい!!」

 願い事を口にできた玲は、勢いのまま頭を下げる。

「まあ、昨日の今日だからわからなくもないけど……どうして?」

 主の目に厳しさが宿ったのを玲は見逃した。

 頭を上げた玲には、その声色通りの普段の主がいる様に見えたからだ。

「私も、美祢ちゃんと同じ道を行きたいっ! 美祢ちゃんと同じように輝きたいんです!!」

 玲は感情のまま、その想いを口にした。

 綾という偉大な姉の存在。その陰に甘んじるしかない現状。

 何より、急な注目のせいで同期に守られてしまう今は、玲が見てきた美祢の姿からは程遠い。

 憧れに近付くため、ただの知り合いではない。

 綾の妹ではない姿を美祢に見てもらいたいのだ。


「美祢ちゃんと同じ道ね……」

「お願いします!!」

「ダメだ」

 即答。

 いつもなら玲のお願いにノーを口にする兄ではない。

 主が玲の言葉に食い気味に否定してきたのが、絶対にお願いを聞く気が無いというはっきりとした意思表示。

 だから玲も理解したのだ。

 自分の呼びかけ通り、主は四代目主水之介として今、玲の前にいるのだということを。

「ど、どうして……ですか?」

「君は美祢ちゃんの何を見ているのかな?」

 主の声が冷たい。いや、四代目主水之介の声が冷たいのだ。

「そ、それは……」

「ソロ曲があれば? 披露する場所があれば? 随分と君の美祢ちゃんは甘い道を来たんだね」

「……」

 美祢の躍進の初めから見てきた主には、到底許せる言葉ではなかった。

 彼女の涙も、あの自信のなさから自分を貶めていた言葉たちも、今も美祢を創り上げてきた大事なモノだ。美祢がどれほどの笑顔でそれらを塗りつぶそうと、その土台にはしっかりと刻み込まれている。

 もしも妹の言葉が、ファンの物であったのならそれは一つの見方だと許せただろう。

 だが、今の妹の言葉はアイドルとして発したものだ。

 佐川玲が賀來村美祢の努力も苦悩も知らないのは、怠慢でしかない。


「そうだな。はなみずき25とかすみそう25の資料が事務所にあるから見せてもらえばいい。それでも君が同じ想いでいるなら、ソロ曲を書いてあげてもいいよ」

 そのソロ曲を最後にアイドルを辞めさせる。

 その覚悟で主は言い放った。

「……あ、兵藤さんですか? はい、佐川玲がこれからそちらに向かいます。賀來村美祢の項目の資料、開示できるところまでで結構ですので、見せてあげてもらっていいですか?」

 主は冷たい声のまま、ケイタイを切る。

「さあ、行ってきなさい。美祢ちゃんの道の一部、ファンに見せていない賀來村美祢を見てくるといい」

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