三百五十八話
「んふふふ……」
「どうした美祢ッチ。気持ち悪い笑い方して」
「ちょっと、近原さん。アイドルにその言い方ないんじゃないかな?」
美祢はマネージャーの近原に抗議の声を上げる。
確かにファンに見せられない笑い方だったかもしれない。それでも気持ち悪いとまで言われる笑い方はしていないはずだ。
そもそもこんな笑い方をしているのは、近原が原因だというのに。
美祢の手元には移動中に確認するように言われ、近原に渡された紙の束がある。それは美祢が出すソロアルバムの収録曲の歌詞たちだ。
イヤフォンから流れてくる音源に合わせながら、美祢は歌詞を追っていた。
移動中どんな交通手段であっても美祢は活字を追うことができる。それはこの仕事していく事において大事なことだと、美祢は考えている。
時間は有限。その中で、移動時間は無為になりがちだ。
その中でも必要なことを行えるのは、ひっきりなしに訪れる仕事をこなしていく一助となる。
だがそんな大事な仕事中、美祢は一瞬仕事を忘れた。
美祢が見ていたのは、主から挙げられた歌詞。
タイトルに『月の雫』と書かれた歌詞には、主の心情が込められていた。
強がっている美祢を案じて、それでも寄り添うことのできない不甲斐なさを吐露する主。
それは美祢にとっては、遥か遠方から届くラブレターに等しい。
だからついつい笑みがこぼれても仕方がないし、それが少々みっともなくても仕方がないのだ。
あの瞬間は、アイドルではなかったのだから。
ただ恋する乙女の笑みを気持ち悪いと言われるのだけは、納得がいかない。
「そんなに面白い曲あった?」
近原が当然の疑問を投げてくる。近原も美祢に手渡す前にチェックはしている。
しかし、そんな笑ってしまうような歌はなかったように思う。
美祢が感じている特別感に覚えがないと頭をひねる近原を見て、思考をアイドルに戻す。
「どれもすごくいい曲ですよ。挑戦的なのもあっていい感じです」
「そう? ならいいんだけど」
「それにしても、安本先生。……だいぶ力を入れてくれたんですね」
改めてほかの楽曲に目を通せば、安本の尽力がうかがえる。
曲のジャンルも多彩、その上で表現される世界観は恋愛だったり、社会風刺だったり、応援ソングになっていたりと一枚のアルバムに詰め込めるだけ詰め込んだという印象が強い。
まさに筆のノッテいる安本源次郎の作品だと思わせる。
「そうだね。これは普通に……売れるよね」
「……ですよね」
近原の確信が自然と彼女を笑顔にする。
美祢もつられるように笑顔を見せるが、内心は違った。
ソロアルバムという、グループ外での仕事で結果を残すのは重要だ。
認知度にも関わってくる大事な仕事。それは廻りまわってグループに貢献できる機会だ。
だが、その仕事がまわっている時。美祢は孤独になってしまう。
アイドルグループに所属しているという、はなみずき25にいるんだという認識があいまいになってしまう瞬間が、美祢は怖い。
外での人気を上げるという重要性とメンバーがいないという寂しさの釣り合いが取れない瞬間が確かにあるのだ。
もし、自分がはなみずき25の一員であるという認識が薄れた時、果たして自分はこの仕事を続けていけるのか?
そんな疑問を頭の中の誰かが口にするのだ。
夢の場所には、もうたどり着けないというのに。
この5年間聞かないフリを続けていたが、最近はその声が大きくなっているような気がしてしまう。
「はぁ……」
美祢はクルマの窓から外を眺める。
懐かしいあの場所が、恋しくなる。
あの服の匂い、あの背中の温度。
日々失われていく記憶が、美祢の寂しさを増長させる。
主が花菜を『復活』させるために尽力していることは知っている。
内容はわからないが、遠くから見る花菜の表情が最近明るくなっていることは知っている。
たぶん、いや、間違いなく主が何か動いているに違いない。
あの状況にあった花菜を持ち上げる主に、頼もしさを感じながらも嫉妬してしまう自分に美祢はうすうす気が付いていた。
花菜もあの背中の暖かさを知っているのだろうか? あの胸の中の安心感を知っているのだろうか?
知らないはずがない。
花菜もあの人を好きなのだから。
たぶん、主も花菜を嫌ってはいない。
ならば、知っているはずだ。
自分だけが知っているはずだった、あの温もりを。
消されたはずだった記事の内容、それを美祢は知っている。
安本源次郎経由で、美祢の耳へと伝えられている。
その内容が美祢の頭にチラつく。
自分の愛したアイドルと、推しの作家の逢瀬。
美祢は手にしたラブレターにもう一度視線を落とす。
そこには自分あての言葉が並んでいる。たぶん。
邪な考えがフィルターとなり、それが花菜当ての言葉に見えてしまう。
でも、それも仕方がないのかも知れない。
だって、自分の言葉はあの5年前から宙に浮いたまま。
もう一度伝える時間は、いっぱいあったというのに。
「仕方ないよね」
「ん?」
「うんん。何でもない」
美祢がページをめくると、そこには美祢の心情を当てたかのような安本の歌詞が並んでいた。




