三百五十五話
「なるほど……もう一人、残酷な人がいたんですね」
「っえ!? 僕、何かやった?」
「いえいえ、こちらの話です。それにしても……引退したボスまで引っ張り出して……先生」
「はい」
「何企んでるんですか?」
「智里ちゃんは、本当に僕を信用してくれないよね」
花菜とのレッスンを約束した翌日、時間が無いからと急ぎ集合をかけられた智里。
迎えが来るまでどこに行くのかを聞かされていなかった智里が見つけたのは、クルマを走らせてきた主だった。
当然のように自分の目のまえに来た主を見て、思わずため息を落とす。
そうか、この人も美祢さんと同じ思考回路していたのかと、少し頭痛を覚える。
そんな智里に、主も苦笑するしかない。
少なくとも今までの関係性で、残酷だと言われるような所業をしてきたことなどない。
それなのにこう言われてしまうのは、今までの自分の姿が信用に値するものではなかったということなのだろう。笑って見せながらも、本当に傷ついてしまう。
「えっと。智里ちゃんは花菜ちゃんから話聞いてる?」
「はい、『花散る頃』のレッスンですよね?」
「そうそう!! よかった……じゃあ、花菜ちゃんが来たら道場に向かうから」
「はい。……。……先生?」
「何?」
「今、道場って言いました?」
「うん」
「あ、そうですか」
「? それにしても花菜ちゃん遅いね」
「……。…………いや! 先生!!! 道場って何!? どういうことなんですか!?」
「えっ!? 急にどうしたの? 話聞いてるんだよね?」
唐突な主の発言に混乱する智里。その混乱に見当がついていない主も同様に混乱している。
花菜から話を聞いてこの場に現れたのではなかったのか? さっきは聞いていたと言っていたのに。
なんで道場に行くことが、そんなに不思議なのか?
本多を引っ張り出したことも知っているのに?
花菜ちゃんはいったいどんな話をしたんだ?
「いやぁ~! 先生ゴメンね。移動しながら説明すればいいかなって」
遅れてきた悪びれない態度の花菜に、主も智里も呆れた様子を隠さない。
そして智里はあきらめたように主のクルマに乗り込む。
「もう移動しながらでいいですから、ちゃんと説明してくださいね!!」
「……花菜ちゃん」
「ホントにゴメンって」
花菜も謝りながらクルマに乗り込む。言葉は謝っているが表情はそうではない。
説明が面倒だから主に押し付けようと言うのが、見え見えだ。
「……先生」
主から説明を受けた智里は呆れ気味だ。
「あれ? そんな顔されるようなこと言ったっけ?」
「先生、事務所に黙ってレッスンさせて……兵藤さん、怒りますよ?」
「いやいやいや! 別に僕だけしか大人がいない状況じゃないし、兵藤さんの条件は満たしてるでしょ」
あの日、主は兵藤からクギを刺されたはずだった。
アイドルに肩入れをして、危険性を見落とす大人というレッテルを張られた主は、基本的にはなみずき25とかすみそう25のレッスンに顔は出すが、事務所スタッフが居ない状況はなかった。
もちろん、兵藤があの日言った大人が見守る状況下と言うのは、事務所スタッフがいるのが大前提なのは誰の目にも明らかだった。
しかし、今から向かう間宮道場には事務所スタッフはいない。
花菜のマネージャーの沢口には、口頭で言っているだけで黙認状態なのだ。
現場での両グループ最高責任者の兵藤からしたら、とんでもない違反行為に見えても仕方がない。
だが主の言い分はこうだ。
確かに事務所スタッフはいないが、主だけが大人ではない。
間宮もいるし、政尾もいる。
ダンスレッスンには、本多もいる。
主だけがいる状況ではないので、もちろんセーフ判定だと言い張る。
「先生、子供じゃないんですから。そんな言い訳……」
「安本先生にはそれとなく言ってるから大丈夫」
「安本先生に言うなら、明確に言質取ればよかったのに」
だが、沢口マネージャーがいない時点で、安本も黙認しているも同然。
なら智里は、これ以上言葉をつないでも仕方がないとあきらめるのだった。
「まあ、大丈夫だよ。師匠は壊すのも得意だけど壊さないのも得意な人だから」
「アレを壊してないって言い張る先生も先生だけど……」
「あはははは」
次に主の言葉に呆れたのは花菜だった。
間宮の元に通い詰めて3年。花菜は一般の生徒が居ない時間の間宮と政尾を知っている。
主もその場にいたはずなのに、壊さないのも得意だと言ってしまう主の感性に疑問に思う。
おおよそ現代の武術ではやらない危険な修行を行っている二人の姿。
足のゆびを握り込み、砂鉄の上に立って握った足を砂鉄に突き立てる。鉄板を殴る蹴る。人体のあらゆる箇所を立ち木にぶつけるなどが、二人のウォーミングアップだと言うのだから壊れていない間宮と政尾が異常だと言うしかない。
何より流派の名前は間宮流弓術。
何故弓術なのに組打ちが主体なのか? 花菜は間宮が弓を引いてる姿など見たこともない。
そう考えると、よく自分は無事だったモノだと改めて思う。




